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日本経済新聞社編『世界を変えた経済学の名著』

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世界を変えた経済学の名著 (日経ビジネス人文庫)

世界を変えた経済学の名著 (日経ビジネス人文庫)

 

 

 半分は教養のために、半分は授業の参考になるかと思って読みました。第1部「文明論の視点」、第2部「思想の広がり」、第3部「経済理論の発展」、第4部「経営学の深化」と分かれており、その分野の専門家の先生方が1章ずつで、計18冊が採り上げられています。

 第1部がやや異色で、1章は福沢諭吉の『文明論之概略』です。文庫になる前は、『経済学 名著と現代』というタイトルだったそうなのですが、文庫版で『世界を変えた~』となったことで、余計に福沢諭吉から始まるのが奇妙な感じはします。2章のブローデル『地中海』も、おそらく類書ではあまり扱われていないのではないでしょうか。

 他の章を見ると、アダム・スミス、ケインズあたりは王道ですが、トクヴィル、ウェーバー、ヒューム、ブキャナン&タロック、サイモンなどが扱われているのを見ると、他の社会科学にも大きな影響を与えた研究を重視して選んでいるような気もします。

宇野重規『保守主義とは何か――反フランス革命から現代日本まで』

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保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)

保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)

 

 

 冒頭で、「保守」あるいは「保守主義」が一種のバズワードになっており、曖昧な思想になっていることが指摘されます。その大きな原因として挙げられているのが、「進歩」という理念の衰退です。すなわち、保守主義とは進歩主義との対立や緊張関係の中で展開してきたものであり、進歩という理想に対する懐疑が拡がった現代では、結果として保守主義も迷走してしまっていると論じられます。

 その思想を整理してゆく上で、まず参照点としてエドマンド・バークが採り上げられます。彼の保守主義思想を、(1)保守すべきは具体的な制度や慣習であり、(2)そのような制度や慣習は歴史のなかで培われたものであることを忘れてはならず、さらに、(3)大切なのは自由を維持することであり、(4)民主化を前提にしつつ、秩序ある漸進的改革が目指される、と要約します。歴史の中で培われた制度や慣習を重視するという立場から、たとえば王権の連続性が担保されてきたイギリスと、革命による断絶を経験したフランスとでは、保守するものが異なるというわけです。人々の自由を重視する立場であったバークが、フランス革命による急進的な変化に対しては批判的であった点が強調されます。

 続いて、それぞれの時代と社会における進歩主義的な理念に対して、保守主義がどのように向き合ってきたのかという問題設定の下で、「社会主義との闘い」、「『大きな政府』との闘い」、「日本における保守主義」が論じられてゆきます。類書と比較した際の特徴として、「保守主義者」とは自認していない人々も、保守主義思想の系譜に位置づけられているようです。たとえば、市場メカニズムの称賛者としてもっぱら見られることが多いハイエクについて、ハイエクは自らを保守主義者ではないと自認していたにもかかわらず、その重要な思想として人間の計算能力の限界と自由の擁護があったことを指摘し、保守主義的な側面が描き出されています。それから日本の箇所では伊藤博文を挙げて、最新の研究に基づいた議論が展開されています。

 また、保守主義における特徴として、理性だけではなく感情や共感の重視という点を挙げ、宗教の役割についても論じられています。特に、アメリカにおける政治や世論を捉える上で、宗教の理解は不可欠であるとされます。宇野先生が近年、宗教に関心を寄せられているということも、この保守主義の問題と関連しているということが、本書を読んで感じとれました。

 本書を読んで、たとえば現代社会における生命倫理の問題を考える上では、「歴史の中で培われた制度や慣習」、「秩序ある漸進的改革」というバークに基づく保守主義的な理念は重要になるのではないかと思いました。この点に関連するかもしれないこととして、本書でハーバーマスに若干触れられている箇所も興味深かったです。

 

村松秀『論文捏造』

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論文捏造 (中公新書ラクレ)

論文捏造 (中公新書ラクレ)

 

 

 2000年代前半に起きた、当時ベル研究所の研究員であったヘンドリック・シェーンが起こした一連の論文不正を扱っています。NHKのドキュメンタリーを後にまとめた本で、ところどころに煽り立てるような文体も見られるものの、全体としては綿密な取材に基づいていて勉強になりました。

 不正が調査委員会に認定されてから14年、本書が世に出てからは10年が経っていますが、今でもこの事件はその規模や科学コミュニティに与えたインパクトとしては、際立っています。しかしながら、どのように不正に向き合い、予防・告発・処罰をすべきかということについては、今なお根本的に難しい問題が残り続けていると感じました。

 当時ベル研究所にて、シェーンの上司であったバトログ教授の、インタビューが印象に残りました。

 

「今回の事件から私たちが学ばなければならないひとつのポイントは、『明らかに、捏造は起きる』ということでしょう。非常に頭がよく、科学システムを熟知し、物事の覚えがきわめて早い人間がいた場合、たしかに捏造は起こりえるのです。そして、実際に今回、捏造が起きました。ですから、研究における不正を防ぐためのコントロールを、拡大するほうがいいのかもしれない、ということです。

 今回の、胸が引き裂かれるような経験から、私たちは科学的な取り組みの根底にある信頼の基礎を、新しいコントロールの枠組みで補完していくことを学んだ、と思います。研究所、科学者、ジャーナルなどさまざまなレベルにおいて、科学における倫理的行動の違反をどのように最小限に抑えることができるか、完全になくすことはできないのですから、最小限に抑えるにはどうしたらいいか、そのコントロールについて議論しなくてはなりません。そして、信頼とコントロールのバランスについて、どうしたらいいのか見出さねばなりません。これは事件が残した大きな課題です」

[pp.268-9]

 

  山岸俊男先生がしばしば指摘されていますが、信頼で成り立つシステムは行動にかかる取引費用は小さくて済むので、それが成り立つのであれば越したことはありません。しかし、 実際に不正は起こるので、監視と処罰にどの程度の費用を払うべきかという問題に向き合わざるをえなくなっています。いずれにせよ、マートンが定式化したような、科学の古典的な規範が揺らいでいるのは、確かだと言えると思います。

 もう一つ、本書では「責任」という用語がたびたび用いられていますが、共同研究者の責任とは何かということも考えさせられました。本書の検証では、シェーンの上司であったバトログ教授がもっと早い段階で不正に気づき、自ら告発することはできたのではないかということが指摘されています。そして、またバトログ教授が、その後に特に処罰はされていないことが問題視されています。もし科学における責任というのが、ヴェーバーの言うような、「責任倫理」ということであるならば、意図にかかわらず起こした結果に基づいて何らかの処罰を受けるべきかもしれませんが、現状ではそのような合意された規範はないようにも思います。

 

Bornmann (2008) "Scientific Peer Review: An Analysis of the Peer Review Process from the Perspective of Sociology of Science Theories"

論文

Bornmann, Lutz. 2008. "Scientific Peer Review: An Analysis of the Peer Review Process from the Perspective of Sociology of Science Theories." Journal of the Sociology of Self-Knowledge 6: 23-38. 

 

 論文のピアレビューについての実証研究は色々とあるものの、理論的・体系的な研究がないという問題意識が掲げられた論文です。「科学理論の社会学」の観点が必要であるとし、(1)北部アメリカ学派、(2)社会構築主義、(3)社会システム理論という3つの見方が提示されています。

 社会システム理論の箇所はやや訳が怖いところではあります。D1の時に社会学理論の教科書の輪読に参加させていただいていた際に、Kさんが、「Luhmannの回になると、コメントが少なくなりますね」と仰られていたのを思い出します。少しは定訳をあたっておくべきかもしれませんが、面倒くさいので結局はフィーリングの訳で済ませています。

 

1.北部アメリカ学派

  • 「科学のエートス」として、Merton(1973)は構造機能主義の伝統から、科学において適切かつ正しいとされる規範と価値を概念化した。(1)科学的知識は公共の知識となるべきである(公有性)。(2)科学者はあらゆる形態の私的な利益を放棄する(無私性)。(3)知識は常に精査されるべきである(組織された懐疑主義)。(4)知識に関する主張は非人格的に、またその源から独立して判断されるべきである(普遍性)。
  • ピアレビューに関する研究は、北部アメリカ学派の仮定が、ピアレビューにおけるプロセスにおける科学者の行動を適切に描いていることを示している。(1)Hargens and Herting(1990)によれば、査読者が統一された質の基準に従って判断をしており、普遍性と組織された懐疑主義という2つの規範が働いている。(2)現在までにおいて、実験的なデザインを持った研究によって、体系的なバイアスが働いていることを疑問の余地なく示したものはない。よって、普遍性の規範が働いている。(3)予測の妥当性に関する研究は、編集者と査読者が論文のインパクトを正確に評価できることを明らかにしている。リジェクトされ、後に他のところで刊行された論文は、アクセプトされた論文よりも引用数が際立って少ない。これは、レビューのプロセスにおいて、科学的な質が志向されていることを示している。

 

2.社会構築主義 

  • 社会構築主義の支持者は、北部アメリカ学派の理論的仮定を否定する。
  • 第一の仮定:科学における行動は、Mertonが示した規範に支配されていない。ピアレビューの公正さに関わる研究はすべて、普遍性の規範を検証している。その中には、ピアレビューのプロセスがジェンダーなど、科学的ではない基準によって体系的に影響されていることを示す研究もある。
  • 第二の仮定:科学者は、科学における言説への参加に関して特権を有してはいない。北部アメリカ学派によれば、科学者は長年にわたる大学における研究活動によって、特定の知識と能力を獲得する。このために、科学における言説を適切に行使できるのは、専門家のみとされる。しかし、Harry M. Collinsによる実験によれば、ある分野における知識(重力波物理学)を持った専門家による問いへの答えは、部外者(社会科学者)によって与えられた答えと区別ができなかった。Collinsらによる知見は、同一分野において現役の科学者が、科学的な質を評価するのにもっとも適切であるという仮定、および組織された懐疑主義の仮定に対して矛盾する。
  • 第三の仮定:科学的知識は「ありのままの真実」を反映したものではなく、社会的・局所的に構築されたものである。Cole(1992)によれば、査読者の意見の不一致は、社会構築主義の仮定を実証している。すなわち、審査に影響するのは論文の科学的な妥当性ではなく、局所的・社会的な条件だというものである。予測的な妥当性に関する研究は、一方ではアクセプトされた原稿がその後の研究に対してより大きな影響を持つことを示している。すなわち、「成功するか」、「成功しないか」という選抜の機能は果たしているように見える。他方で、査読者は同じ原稿に対して異なる判断に至ることが示されている。あるジャーナルにおいてリジェクトされた原稿は、別のジャーナルにアクセプトされるのである。このことは、あるジャーナルにおけるレビューのプロセスという、社会的・局所的な条件による影響があることが示唆している。
  • 第四の仮定:科学研究は、レビューを受ける科学者と、レビューを行う科学者による社会的な構築物である。社会構築主義者によると、論文の内容に対して責任があるのは、著者のみではなく、査読者、編集者との共同成果物である。著者は執筆の段階から、レビューのプロセスを予期する。そして、レビューのプロセスにおいては査読者と編集者は、論文の内容に関して自らの利益を実現しようと模索する。

 

3.社会システム理論 

  • 観察者の視点を導入することで、Luhmann(1992)は、構築主義者による知識/対象という区別は維持する。Luhmannにとって知識とは区別の構築であり、その区別は事実と直接の対応を持つわけではない。社会構築主義のアプローチとは異なり(そして北部アメリカ学派に従い)、科学とはLuhmannにとって、「真実」を志向する特有のコミュニケーションの形態である。この志向によって、科学は機能的に文化したシステムとして自らをその環境と区別し、自律的なシステムとして維持できるのである。
  • Luhmann(1992)は、確実性の高い知識を構成する上で、社会システム理論において重要な2つの要素を用いている。それらは、(1)セカンドオーダーの観察、(2)知識の進化である。
  • 社会システム理論によれば、科学は確実性の高い知識を生み出す自己生成的なシステムとして、分化した社会の下位システムである。自己生成的なシステムは再帰的であり、操作的に閉じたシステムである。科学における操作的な要素は、知識のコミュニケーションである。コミュニケーションは、「真実」か「非真実」かの区別(二値コード)を構成するために用いられる際にのみ、科学的であると呼ばれる。
  • (1)セカンドオーダーの観察。Luhmannは、Spencer-Brown(1969)に遡る観察の概念に、社会システム理論の基礎を置いた。Spencer-Brownは『形態の法則』を発展させ、あらゆる観察は2つの要素(指示と区別)から構成されるとした。あらゆる指示の基盤は、観察者によって引かれる内部と外部の区別である。いったん区別を引くと、観察者には「見えない地点」が生まれ、区別の片側しか見ることができない。もう片方の側は、高次の観察によってのみ区別可能である。あらゆる観察は見えない地点に満ちているので、さらに高次の観察を行ったとしても、真実の「よりよい」記述を期待することはできない。
  • Luhmannは観察のフォーマルな定義を、科学における知識の生産プロセスに対して適用した。自然界は自らについて語ることができないために、研究プロセスにおいては、ある自然現象を説明すると主張できるような、ファーストオーダーの観察に頼らなければならない。ファーストオーダーの観察は現象についてのみ言及可能であり、観察それ自体については言及できない。セカンドオーダーの観察を通して、「真実」、または「非真実」として、知識は構成される。
  • セカンドオーダーにおいては、コミュニケーションは、どの観察が関連性を有するのかを判断しなければならない。知見(ファーストオーダーにおける観察)は、ジャーナルに投稿された原稿として表される。セカンドオーダーの観察(批判的評価)によって、査読者たちは論文中の知見を、「真実」、あるいは「非真実」とコードする。セカンドオーダーの観察によってのみ、科学は自らをシステムとして分化させる。
  • (2)知識の進化:Luhmannは、進化論におけるばらつき、淘汰、安定化という要素を、知識の一般化プロセスに適用している。科学は高度のばらつきを持った知見を生み出す。このばらつきは、受容可能な以上の知見が生み出されることを意味する。このために、淘汰のプロセスにおいて、一部の知見がコミュニケーションにすくい上げられ、「真実」であると記される。科学においては、淘汰のプロセスはピアレビューによって行われる。ピアレビューはまた、科学における知識の安定化の機能を満たすことができる。Luhmannによれば、進化のプロセスにおいて、安定化とはシステムが知識体系における変化を避けたり、過去の構造を維持しようしたりする傾向である。このシステムの安定化傾向を乗り越えた新たな知見のみが、間主観的な「真実」となる。

 

ジョッシュ・ウェイツキン『習得への情熱―チェスから武術へ―』

読書

 

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

 

 

インスピレーションを得るための公式や型紙は存在しない。だけど、それを得る自分なりの方法を発見するために辿るべきプロセスならある。

[p.240]

 

 本郷書籍部で目に留まったので買ってみました。

 著者はチェスから太極拳推手へと転向し、どちらの世界大会でも高い成績を挙げているという、異色の経歴の持ち主です。著者によれば、あらゆる分野において高いパフォーマンスを達成することには共通した原理があるとのことです。しばしば、一流の競技者は無意識でそれを行っており、言葉で説明することはできないと考えられることもあるものの、本書はそれを細かく要素に分解し、意識的に書き留めたものとなっています。

 一人の人間の自伝としても興味深く、自らを題材にした映画(『ボビー・フィッシャーを探して』)のヒット後に、周囲から注目される中でチェスを競技することのプレッシャーによって荒廃した時期や、そこから回復していった過程のあたりは、特に惹きつけられて読みました。

 著者が強調するのは、学習プロセスにおける基本原理の徹底(「小さな円を描く」)であり、それを繰り返すことで無意識下にその原理を定着させる(「数を忘れるための数」)ことです。実際、著者はチェスで学んだ基本原理を太極拳において適用することで、驚異的な速度で上達していったことが明らかにされます。

 後半では、大舞台においていかにしてパフォーマンスを発揮するかということが話題に移ります。スポーツ選手が時として、集中力が極限まで高まり、あたかも時間の流れが緩やかになっているように感じられる例を挙げ、そのような「ゾーンに入る」とはどういうことかや、意識的にそのような状態を作り出すためのルーティンについての考察が行われます。

 自分にとっては卑近な例になりますが、たとえば論文を書いていて次から次へと適切な表現が浮かぶときもあれば、1時間考えてもほとんど1文字も進まないような時もあるので、「ゾーンに入る」ような状態は、アカデミックな研究でもあるかもしれないとお思いました。そうした状態は運よく天から降りてくるように感じられるものですが、本書が述べるように(「引き金を構築する」)、それに至る一定の原理はあるのかもしれません。

 

Hong (2014) "Trends and Determinants of Social Expenditure in Korea, Japan, and Taiwan"

論文

Hong, Ijin. 2014. "Trends and Determinants of Social Expenditure in Korea, Japan, and Taiwan." Social Policy and Administration 48: 647-65.

 

 来月の研究会用に読んでいます。分析は正直うーん…というところもありますが、研究の蓄積がない分野でとりあえずデータをできる限り集めて、考えられる仮説を検証してみたということの意義はある感じでしょうか。バックグラウンドの部分はあまり自分に知識がないので、かなり勉強になりました。

 

 

  • 西洋諸国における福祉国家の発展に関する研究は、1960年代にはじまり、理論・方法論の両面において、その背後にある論理の幅広い理解を可能にしてきた。
  • 理論的な観点からは、初期の研究(Wilensky 1975)においては、近代化と経済発展が支出拡大の主な要因と主張された。このような見方は後に、収斂アプローチと呼ばれるようになった。くわえて、国ごとの政治と制度の違いが関係していることが、ますます強調されるようになっている。一方では、過去の政治決定が、その後の政策の展開を制約することが主張されている(経路依存の論理)。また、福祉へのコミットメントの度合いを解釈する上で、 政治的な交渉と妥協を生み出す原因となる、労働組合や左派政党における組織的な利害を強調する研究もある(権力資源アプローチ)。1970年代初期の石油ショックをはじめとして、近代化と権力資源による説明は、グローバリゼーションによる外的なプレッシャー、経済危機、脱工業化などの別の理論によって修正を迫れられている。
  • 方法論的な観点からは、西洋ヨーロッパ諸国における比較政治経済研究は、データの妥当性と比較可能性をどのようにして増すかに注意を向けてきた。初期の例としては、O'Connor and Brym(1988)が、「福祉国家の規模('welfare effort')」とは何か、すなわち従属変数は何であるのかを、特定する必要性を述べたことが挙げられる。
  • アジアにおいては福祉国家が拡大し、西洋においてはグローバリゼーションと福祉の削減がすでに大きな議論となっている時期に、東アジアにおける社会政策研究は始まった。 研究の動向としては、Esping-Andersenの分類を補完するような、第4の東アジアの福祉レジームは存在するのかどうかが、議論される傾向がある。しかし、単一の事例(しばしば編著の形式)であることが多い。
  • 理論的には、東アジア諸国における福祉の発展の起源と特徴を理解する上で、ある程度の進歩が見られる。孝行の徳のように、家族の価値を強調する儒教の文化的影響は、現実の特徴というよりも、政府が残余的な福祉国家を維持するための、政治的なレトリック装置であると理解されている。同様にして、かつてにおける福祉の提供は、普遍的な社会権への関心ではなく、健康的で質の高い労働力を維持するための、権威主義的なレジームの道具であったという理解が受け入れられている。しかしながら、これらの国々を単一のカテゴリーにくくってしまうことに意味があるのかどうかは、結論が得られていない。
  • 比較可能なデータの欠如がまた、方法論上の大きな制限になっているように思われる。国際機関による二次データはいくつかあるものの、これらは主に記述的な統計量として用いられてきた。
  • この論文は、韓国、日本、台湾の3ヶ国について、データによる比較を通じて、理論的な理解を試みるものである。

 

東アジアの福祉国家を定義する

  • 大まかに言って、東アジアの福祉の特徴は、以下のように述べられる。

 

  1. 国家の経済発展が優先事項であり、社会政策は健康で生産的な労働力を商品化する手助けをするためのものとして理解されている。
  2. 福祉ミックスにおいて、家族と私的セクターの関与が大きく、公的支出は小さい。
  3. 西洋諸国と比べた場合に、近代化の初期において、福祉の始まりが遅かった。
  4. 社会政策の発展がトップダウン型であり、権威主義的な政府が正当性を求める上では、公務員のような利害集団が政治的に重要だと見なされる。
  5. 植民地の経験が、政策の普及のメカニズムに影響している。
  6. 女性をターゲットとした社会サービスが軽視されている。

 

  • 包括的な東アジアの福祉レジームは見つかっていないものの、その中の下位グループを特定している研究はいくつかある。もっとも知られているのは、イギリスの植民地であった香港・シンガポール、および日本の植民地であった台湾・韓国である。
  • この研究の焦点となるのは、日本、韓国、台湾である。この中でも、特に韓国と台湾は共通性を有している。福祉の支出規模の小ささ、社会政策の時間的な推移、民主化にともない近年になって福祉の問題が重要性を増したことなどである。これ以外にも3つの国は、似たところがあり、特にビスマルク的な社会保険システムが挙げられる。福祉国家の発現時期を表す基準として暫定的に用いられている、GDPに占める3%の支出という閾値は、1980年には3ヶ国すべてが超えている。特に重要なこととして、福祉の重要性が増していた2000年代には、3ヶ国すべてで政治的な変化が起きた。

 

東アジアの社会支出の動向:比較の視点

  • 3ヶ国における社会支出の推移についての説明は、それぞれの国ごとの事例分析に限定されてきた。OECDの社会支出データベース(SOCX)は、比較研究で広く使われているものの、分析に使われるのは日本だけである。これはおそらく、韓国の支出水準が低いためだろう。韓国がOECDに加入したのは1996年であるため、時系列データとしては近年に限定されてきた。しかし、SOCSの近年のアップデートにより、1990年から2009年までカバーされるようになった。台湾はOECDの加盟国ではないため、財政部(Ministry of Finance)のウェブサイトより、1988年から2011年のデータを入手した。台湾の従属変数は、「GDPに占める社会支出」に、「年金及び遺族給付への支出」をくわえ、その年のGDPで割ったものである。これらのデータによって社会支出の推移を示したのが、図1である。
  • 日本と韓国では、1990年代から着実な上昇傾向が見られ、2008年の経済危機の後は安定化しているように見える。台湾は、支出の水準は全般的に韓国と似ているものの、より安定したパターンを維持している。
  • これは、3ヶ国を同じ分類に含めることはできないことを意味しているのだろうか。Castles(2007)が描いた、西洋諸国における推移の比較が、より広い視点を得る上で有用である。
  • 表1において顕著であるのは、すべての福祉国家において福祉の削減が起きていると述べる根拠は、ほとんどないという事実である。オランダとニュージーランドのみにおいて、大きな削減を行っていることが目立っている。残りの先進産業国では、全般的な支出は増加している。東アジアの国々おいては、1990年から2009年の間に社会支出の水準が大きく増加したと述べることは可能である。しかし、南ヨーロッパの国々では、1990年から2009年、1999年から2009年のどちらをとっても、より大きな拡大が起きている。これはおそらく、社会人口学的な推移の効果と、社会的な必要が増大したためであろう。変動係数の減少は、国家間の差異が次第に小さくなっていることを示す。よってこの点からは、収斂仮説がある程度に支持される。この記述的なデータから明らかになったのは、東アジア諸国は支出の規模が小さく(主に韓国と台湾)、福祉へのコミットメントが年を追って増加していることによって、他の産業国にくらべて外れ値とはなくなっているということである。

 

東アジアの社会支出の規定要因:文献レビュー

  • Lin(1991)は台湾において、軍事支出や労働組合支出の変数とともに、近代化理論の検証を行った。近代化理論に関係する変数である、「人口にしめる都市労働者の比率」のみが、福祉支出に正の影響を持っていた。Kim and Jung(2003)は韓国において、グローバリゼーションと権力資源の変数とともに、近代化理論の検証を行った。しかし、従属変数である社会支出の合計が2つのデータセットに分かれているため、整合した結果として得られているのは、65歳以上の人口比率という、文脈的な変数の正の効果のみである。Ahn and Baek(2008)は韓国について、複数のデータ(国家統計とSOCX)によって、権力資源、制度、フェミニスト理論、マルクス主義理論に関わる多くの独立変数を用いたものの、すでに検証されている近代化理論以上のものは得られなかった。この結果から、韓国の福祉国家は未だ初期の段階にあり、福祉支出は経済成長と近代化の自然な結果として、もっとも説明されるのだと結論づけられている。より近年のAhn and Lee(2012)の研究においても、経済成長と産業化のみが、韓国における社会支出の拡大を有意に説明する要因であった。
  • 国際機関から得られた二次データによって、比較研究も行われている。Park(2007)は、階級的な連立政治は東アジアにおいて、西洋の福祉国家ほど関連を持っていないと推測している。しかしながら、選挙における対立は、分析上の有用な視点になりうることも、主張されている。くわえて、グローバリゼーションと1997年の経済危機の効果は、それほど明確ではないとされている。Croissant(2004)が二次データの分析結果を解釈するところによると、東アジアの福祉国家は支出の規模が小さく、教育と、私的支出、家族へと焦点をより当てている。興味深いことに、Croissantは韓国、台湾、タイは1997年以降に、福祉国家の規模拡大へのプレッシャーをより受けるようになっている。これは人口学的、経済的、政治的な動向(高齢化、年金システムの成熟、社会保険システムの拡大)によって、西洋的なモデルの道に従うように強いられているためだという。

 

仮説とデータ

  • 「福祉へのコミットメント」を表す上で、GDPに占める公的社会支出を用いることには、批判がありうる。しかし、3ヶ国における比較研究が存在しない現時点では、これは必要な措置である。3ヶ国について、1988年から2012年をカバーする、最新の二次データを収集した。
  • 近代化理論に基づく伝統的な説明を超える規定要因を特定するのが難しいため、ここでは様々な理論を検証する。

 

  • H1. 福祉への必要が増大するにつれて、社会支出の規模も拡大する。
  • H2. 近代化の水準が高さは、福祉支出に正に寄与する。
  • H3. 国家の行政能力の高さは、福祉支出の拡大をもたらす。
  • H4. 民主化の水準の高さは、福祉のコミットメントの高さにつながる。
  • H5a. 政府における中道-左派の議席は、正または負のいずれかに社会支出を変化させる
  • H5b. 政府における中道-左派の議席は、社会支出に正に影響する
  • H6a. グローバル市場への参加の拡大は、福祉支出に負に影響する。
  • H6b. グローバルな財政危機は、福祉支出に正に影響する。

 

  • 仮説1-4は、機能主義的な見方とある程度に関連している。すなわち、経済成長と近代化は、社会支出の拡大をもたらすというものである。計量分析による先行研究では、有意な結果が確認されているのは、これらの変数のみである。
  • 仮説1の社会的な必要は、労働力人口における失業者の比率で表される。
  • 仮説2の伝統的な近代化理論は、「GDPの年成長率」と「総労働人口に占める農業従事者の比率」を指標として検証される。
  • 仮説3と4は国家の建設と、政治的民主化に関わる説明を試みるものである。前者はGDPに占める政府最終消費の比率、後者はPolity IV計画による民主化の指標によって測られる。
  • 仮説5aと5bは、権力資源論を表している。イデオロギー的な理由によって、左派政党の議席が増えるほど、社会支出も拡大するというのは率直である。しかし、政治指導者の志向が支出にどう影響するかは、予測がより難しい。社会支出が拡大する縮小するかによって、独立変数は異なる解釈がなされなければならない。中道-左派の政府は、より福祉にコミットメントするように投資を強いられることもあるし、福祉の削減を行う際には、より正当性を有していると感じるかもしれない。右派/左派の区分は、アジアの政治的な文脈では非常に困難である。たとえば、韓国と台湾には共産党が存在しない。全般的に言って、革新政党はヨーロッパの福祉国家拡大期とくらべた際に、労働者の保護へのコミットメントが弱い。よって分析では、世界銀行のDPIを、より中道左派の方向へと解釈に修正した。そうでなければ、これら3ヶ国において左派政党を見つけるのは困難である。
  • 最後に、GDPに占める貿易の変数によって、グローバリゼーションを考慮する。また、1998年から2002年と、2008年から2011年について、「1」をとる経済危機の変数を含める。経済危機は福祉支出を拡大させると予想される。というのも、社会的な問題を悪化させ、GDPの水準を低下させるためである。

 

方法と結果

  • 固定効果を入れたパネルデータ分析を行う。プールすることによって、「国×年」が分析単位になり、Nが小さいという問題に対処することができる。
  •  y_{it}= ( \beta_{1}+\mu_{i}+\lambda_{t} ) +\sum_{k=2}^{k} x_{kit}+e_{it}
  •  \beta_{1}は切片、 \mu_{i}は国の効果、 \lambda_{t}は時点の効果を表す。固定効果モデルでは、 \mu_{i} \lambda_{t}は固定されたものとして扱われる。
  • データの構造上、多重共線性の問題に弱くなるため、まず予備的な分析によって独立変数の相関を確認した。予想したとおり、多くの変数で統計的に有意な相関があった。特に、「民主化」と「貿易」の変数は、他のいくつかの変数と共線性の問題を有していた。相関を考慮した結果、いくつかの変数を残した3つのモデルを採用した。第1のモデルは、「政府支出」、「左派の政治指導者」、「左派政党の議席比率」、「危機」の変数を含む。第2のモデルは、「農業就業者」、「失業」の変数を含む。第3のモデルは、「貿易」の効果のみを含むものである。それぞれのモデルは、Wooldridgeの検定により、一次の自己相関の有無を検証した。モデル3では自己相関がないという帰無仮説が棄却されたため、Cochrane-Orcutt推定を行った。分析の結果は表3である。
  • 統計的に有意な変数は少ないものの、因果の方向性としては期待された通りとなっている。失業に関する仮説1については、正の係数であるが、統計的に有意ではない。仮説2について、農業就業者の減少は社会支出の増加を予測しており、近代化理論と整合的である。国家財政の増加は正の影響を持っており、仮説3も支持される。民主化の度合いは短期での変化が小さく、時間によって不変となりやすいために、仮説4は検証できなかった。権力資源論を反映した仮説5aと5bは、期待されたとおりの向きではあるものの、左派政党の議席は10%水準での有意性であった。しかし、これは興味深い知見であり、おそらく世界銀行のDPIデータとは異なった値の割り当てを行ったことによるものである。グローバリゼーション(仮説6a)は、有意な結果ではなかったが、経済危機(仮説6b)は有意な結果である。全体的に言って、モデル1は決定係数とBICの観点から、もっともデータを説明している。モデルは不安定性であり、多重共線性の問題は残っている。

 

結論と考察

  • 東アジアの国々は過去20年間に社会支出の拡大を経験したものの、地中海の国々ほど大きなものではなかった。パネルデータ分析の結果、福祉の発展における近代化理論の重要性が確認された。あわせて、政府の財政能力の役割と、経済危機の効果も認められた。議会における左派政党の比率は、小さな効果であるように見える。ただし、効果がないという帰無仮説を5%水準では棄却することはできない。「左派政党」の異なる操作化を試みることによって、指標の改善の可能性が示されたので、左派政党の効果に関する結果は有望であると思われる。おそらくもっとも大きな貢献は、利用可能な二次データの比較を通じて、推測統計を用いたことである。 これは、東アジアの福祉研究では長らく行われてこなかった。
  • 台湾政府が近年採用している異なった計算方法により、台湾の社会支出データには何らかの歪みがあるかもしれない。すでに述べたように公的社会支出を用いることには限界があるので、東アジアにおける研究においても、「従属変数の問題」についての議論を将来は避けることはできない。
  • より体系的な研究を、理論的な観点から行う必要がある。この研究の結果からは、西洋の産業国とくらべて、福祉の規定要因は異なっていないように見える。しかし、東アジアにおける相対的に低い福祉支出と、相対的に遅い増加速度を考慮すると、Croissant(2004)が主張する西洋ヨーロッパ諸国との収斂仮説は、支持されるとは言い難い。
  • 将来の方向性としては、左派/右派のイデオロギーと政策課題が政党ごとにどのように形成されているのかという研究がありうる。というのも、ヨーロッパの福祉拡大の時期とくらべた際に、労働運動が政治に対して影響を持ったとは言いがたいためである。