Goodman and Liao (2016) "Paul Felix Lazarsfeld’s Impact on Sociological Methodology"

Goodman, Leo A. and Tim F. Liao. 2016. "Paul Felix Lazarsfeld’s Impact on Sociological Methodology." Bulletin de Méthodologie Sociologique 129: 94-102.

 

 短い論文ですが、読むべき文献がたくさん挙がっていました。

 投票行動研究、マスメディア研究、パネルデータ分析など様々な分野において膨大な功績を残しているLazarsfeldですが、彼自身が方法論の分野でもっとも誇りに感じていたのは、潜在クラス分析を導入したことであると論じられています。

 その後に潜在クラス分析の主な歴史に触れられており、特にGoodmanによる最尤法を用いた推定がブレイクスルーになったとのことです。

Biegert (2017) "Welfare Benefits and Unemployment in Affluent Democracies: The Moderating Role of the Institutional Insider/Outsider Divide"

Biegert Thomas. 2017. "Welfare Benefits and Unemployment in Affluent Democracies: The Moderating Role of the Institutional Insider/Outsider Divide." American Sociological Review 82(5): 1037-64.

 

 寛大な失業給付は就業に対する意欲を失わせてしまうのか、それともよりよい仕事へのマッチングを高めるのかという問題に関して、制度的な文脈による異質性を考慮して分析した論文になっています。

 インサイダー/アウトサイダーの分断が大きい社会では、失業給付はむしろ失業を長期化させるだろうという仮説です。(1)有期雇用者に対する無期雇用者の雇用保護の強さ、(2)労働組合の組織率、(3)賃金交渉の中央化の度合いによって、その分断を指標化しています。

 データは、1992年から2010年のEuropean Labour Force Survey(20ヶ国)と、アメリカのCurrent Population Surveyです。これらは繰り返しのクロスセクション調査ですが、同一の社会人口学的グループが継続して観察されていると見なす、「疑似パネルデータ」に変換して分析しています。これによって、固定効果モデルによる時間不変の変数の除去を可能にしています。

 引用文献を見てはじめて知りましたが、疑似パネルデータへの変換手法にはAngus Deatonが貢献しているのですね。

 

山田史生『絶望しそうになったら道元を読め!――『正法眼蔵』の「現成公案」だけを熟読する』

 

絶望しそうになったら道元を読め! 『正法眼蔵』の「現成公案」だけを熟読する (光文社新書)

絶望しそうになったら道元を読め! 『正法眼蔵』の「現成公案」だけを熟読する (光文社新書)

 

 

 前に電子書籍で買っていたものを、今になって読みました。

 『正法眼蔵』の巻頭に収められている「現成公案」という2,500字程度の短い文章から、禅思想の本質を読み解くというものです。1冊を除いて解説書には頼らないというスタイルであり、そのため随所に、「~おもいます」と著者の解釈が前面に出されています。

 「諸法」と「仏法」のあり方については、観察変数と潜在変数の関係をイメージしながら読みました。著者も、「落下するりんご」と「万有引力」を例に出しているので、あまり間違った捉え方ではないようです。

ウォーズマン理論と線型性

 


  私の知る限りでは、線型性の仮定についてフィクション作品でもっとも考える素材を提供してくれているのが、ウォーズマン対バッファローマン戦です。

 

 ウォーズマン理論とは - はてなキーワード

 

苅谷剛彦『オックスフォードからの警鐘――グローバル化時代の大学論』

 

オックスフォードからの警鐘 - グローバル化時代の大学論 (中公新書ラクレ)

オックスフォードからの警鐘 - グローバル化時代の大学論 (中公新書ラクレ)

 

 

 今年の東大の学内広報を読んだ時も思いましたが、日本の大学の置かれている危機や展望について、積極的に発言されていますね。

 

  • 「リアルな競争」と「想像上の競争」という概念は面白かったです。たしかに、日本の大学が置かれた状況は人材や資本がグローバルに移動しているという意味での「リアルな競争」ではなく、大学ランキングを下にして国際競争力が脅かされているという「想像上の競争」の面が大きいのでしょう。
  • オックスフォードのチュートリアル制度による密度の高い知的鍛錬についてはたとえば、東大の入学式の祝辞でも触れられていましたね。また、アクティブラーニングの流れについても批判的であり、履修するコマ数が多く、十分に予習・復習をする時間を前提としていない日本の履修制度の下で、主体的な学習を進めようとするのは危険とのことです。
  • 先生がここ数年の間に取り組まれている、「追いつき型近代」の理論を現代まで延長させ、日本の大学政策とも関連付けるというのは面白いとは思いましたが、論証の正確さについてはどうなのでしょうか。たとえば韓国では異なる分岐が見られるというのは、もう少し細かく見ないといけないような気もします。まあ、全体としては、タイトルにもあるように「警鐘」を鳴らすのが目的で、緻密な検証にはそこまでこだわっていないようにも見えますが。
  • 穿った見方をすると、学力格差の議論の時と同じように、警鐘を鳴らすだけして、その後はまたすぐ別のテーマに移ってしまうのかもなあという気がしています。

Lawrence and Breen (2016) "And Their Children after Them? The Effect of College on Educational Reproduction"

Lawrence, Matthew and Richard Breen. 2016. "And Their Children after Them? The Effect of College on Educational Reproduction." American Journal of Sociology 122(2): 532-72.

 

 公刊されてわりとすぐにダウンロードはしており、読まないとなあとは思っていたのですが、ようやくという感じです。

 世代間の教育達成の関連をパネルデータで「前向き」(prospective)に検証するというのが目的になっています。通常のクロスセクションデータによって、回顧的に得られた親学歴の変数を使用すると、本人(子ども)は代表性があっても、親は代表性がないというのが問題の焦点です。実際に子どもを持った人々の情報しかデータには入らないため、出産行動によるセレクションがあるということになります。

 とりわけ大卒女性は子どもを持ちにくい傾向にあるため、通常のクロスセクションデータでは、親大卒→出産→子大卒という間接効果が適切に推定できないことになります。

 

 本論文はそうした問題を踏まえ、潜在結果モデルのフレームワークにより、パネルデータに対して周辺構造モデルを適用した推定になっています。

 周辺構造モデルにおいて、直接効果と間接効果に分解するという手続きは勉強したことがなかったので、とても興味深いところでした。下位集団ごとに異なるウェイトを計算するというのがポイントですか。

 近年のトレンドなのか、知見の頑健性の検証にもかなり力が注がれていますね。潜在結果モデルによる因果効果の推定は、処置変数の割り当てに対する潜在結果変数の値の条件付き独立(観察されない交絡変数の不在)という直接検証できない仮定に依存しているので、感度分析によってシミュレーション的に頑健性を確認するという手続きですね。

 uniform selection,positive selection,negative selectionという3つのシナリオを仮定しているのですが、ここの詳細は一読しただけではまだ理解できませんでした。

フョードル・ドストエフスキー『賭博者』

 

賭博者 (新潮文庫)

賭博者 (新潮文庫)

 

 

 再読しました。今回も原拓也訳でしたが、紙版ではなくKindle版にて。

 ドストエフスキーのヨーロッパ旅行における経験に深く根ざした作品ですね。作中で主人公を翻弄するポリーナは、当時のドストエフスキーの恋人であり、一緒に旅行をして回ったアポリナーリヤ・スースロワの人格を少なからず反映しているとされます。

 ドストエフスキー作品では、人間精神の矛盾が過剰に描き出されるのが特徴で、高潔な理想を抱いたり、口に出したりする人間が身を破滅させるというような描写がしばしば出てきます。『カラマーゾフの兄弟』には、「聖母の理想をいだいて踏み出しながら、結局ソドムの理想に終わる」という台詞も出てきます。本作では、ギャンブルという要素を媒介させて主人公の身の破滅を描くことで、そうした矛盾や混沌が表現されているといえるでしょうか。

 

 ところで、ここ数年は小説を読む量も頻度も、かなり落ちていました。

 小説自体がつまらなくなったわけではないのですが、小説を読んでいる暇があったらもっと研究をすべきではないかという、罪悪感がしばしばあったように思います。ちなみに人類学者ブロニスワフ・マリノフスキーの日記には、「今日も調査が進まずに小説ばかりを読んでいてしまった」というような記述が頻繁に出てくるのですが、こうした罪悪感は自分だけでないのかもしれませんね。

 しかし、仕事と娯楽をトレードオフに捉えすぎていたのかもしれないなと、他方で思います。当然かもしれませんが、むしろ相互補完的な面もあるのでしょう。特に社会科学の研究では、対象を単純化して捉えようとすることが多いので、ドストエフスキーの小説のように人間社会のきわめて複雑で多様なあり方を教えてくれる作品からは、よい刺激をもらえます。