Bonke and Esping-Andersen (2011) "Family Investments in Children: Productivities, Preferences, and Parental Child Care"

Bonke, Jens and Gøsta Esping-Andersen. 2011. "Family Investments in Children: Productivities, Preferences, and Parental Child Care." European Sociological Review 27(1): 43-55. 

 

 育児に関する選好を学歴で指標化してしまって大丈夫なのかなとはじめは思いましたが、ちゃんと仮説の構成手順を読むと、まあまあ説得的に感じました。

 

  • 育児にかける時間の量は、子どもの福利と技能の発達においてきわめて重要である。近年の研究は育児時間が特に高学歴世帯において増加していることを示している。こうした学歴による育児の格差の拡大が、より平等な社会においても起きているかどうかは明らかになっていない。たとえば、スカンディナヴィア諸国のように、普遍的で良質の育児サービスや寛大な家族給付が存在し、労働市場において男女がより平等な社会においてである。
  • 家事の分業に関する研究は、夫婦の相対的な市場生産性に注目することがもっぱらである。しかし、こうした相対的な市場価値が交渉力の強さとなり、家事の分業に影響するという仮説は部分的にしか支持されていない。
  • 市場生産性と交渉力と育児の関係は明快ではない。第一に、育児とは望ましい活動であると広く考えられている。夫婦間で交渉が起きるとすれば、子どものための時間を減らすためというよりも、むしろそれにかける時間を増やすために他の家事について交渉するのである。第二に、育児にかけるに時間が特に高学歴夫婦で増えているという事実は、時間制約の中で育児の優先度が高くなっていることを示している。第三に、Becker and Murphy(2007)が述べるように、高度な人的資本を持つ人々は、育児においても生産性が高いかもしれない。
  • 育児時間に関する研究の多くは、教育年数の影響が線形であることを仮定している。もし育児の技能が教育に対して線形であるのならば、なぜ高学歴の親は同等のアウトカムを得る上で、低学歴の親よりも長い時間の育児が必要になるのであろうか。
  • このパズルを解く鍵はおそらく、教育に内在するものとして、市場生産性とは別の要素を考えることである。育児の質的な側面に注目する研究においては、文化的要因(家庭の本の冊数)は子どもの認知的技能に強い効果を持つ一方で、こうした文化的な要因は世帯所得とはほとんど関連がない。
  • 教育の線形的な効果の仮定は、もし重要な交互作用が存在する場合には問題となる。学歴同類婚は夫婦の時間の用い方の一致をよりもたらしやすくなる可能性がある。
  • 同類婚は教育水準によって異なる育児実践をもたらすと考えられる。高学歴者間の同類婚は価値観、文化、嗜好に関してより社会的な選択を経ているため、育児に費やす時間をより強化する方向に働くと予想される。これに対して、低学歴者間の同類婚は家事の分業について伝統的な価値観を選択しやすいことが知られており、育児についても母親に偏りやすいことが予想される。
  • データはDanish Time-Use Survey。デンマークには寛大な育児給付が存在しており、経済的な要因は育児にかける時間の制約とはなりにくいことが予想できる。親と同居している18歳以下の子どもがいるサンプルに分析を限定する。
  • 市場における生産性は賃金率によってモデル化する。親の学歴が育児に対する選好の指標であると仮定する。
  • 育児に費やす時間は、労働時間、家事時間、余暇時間とも関連するために、見かけ上無関係な回帰(SUR)モデルによって頑健性を確認する。
  • 賃金率で測られる市場生産性は、育児時間に直接的な関連は有していない。父親・母親それぞれの学歴は育児時間と正に関連している。これは、もっぱら重要であるのは母親の学歴であるという通念とは反する結果である。そして予想されたとおり、高学歴者間の同類婚は育児にかける時間と正に関連している。
  • もし育児が効率を求めて行われるものだとすれば、夫婦間で分業を行い、全体での投資時間を減らすようになるはずである。しかし分析の結果、ともに高度な人的資本を有する夫婦は、どちらかが育児に特化するのではなく、全体としての育児時間を増やしている。

Williams (2016) "Understanding and Interpreting Generalized Ordered Logit Models"

Williams, Richard. 2016. "Understanding and Interpreting Generalized Ordered Logit Models." Journal of Mathematical Sociology 40(1): 7-20.

 

  通常の順序ロジットモデルにおける比例オッズの仮定を弱め、かつ多項ロジットモデルよりは柔軟(あるいは節約的)である一般化順序ロジットモデルについての論文です。著者は関連するテーマの論文をいくつも書いていますが、本論文では「比例オッズの仮定が成り立たない場合にそれをどのように解釈できるか」ということに重きをおいて、5つの具体例を紹介しています。

 

  • (1)モデルの特定化の失敗。本来は比例オッズの仮定が成り立つものの、重要な変数がモデルから落ちていたり、二乗項が入っていなかったりなどして、比例オッズの仮定が満たされていないように見えてしまう場合がある。
  • (2)非線形確率モデルとしての解釈。それぞれのアウトカムが生じる確率をシンプルに示すことで、潜在変数Y*を導入せずとも結果の解釈ができる。
  • (3)独立変数の効果はそれぞれの累積ロジットに対して非対称である可能性。比例オッズの仮定の下では、4値の従属変数において、「1 vs. 2,3,4」、「1,2 vs. 3,4」、「1,2,3 vs. 4」とそれぞれの累積ロジットにおいて独立変数の効果はすべて等しい。しかし、これは成り立たない可能性がありうる。Fullerton and Dixson(2010)は、政府の福祉支出に関して、いくつかの独立変数は支持よりも不支持に与える効果がかなり大きいことを示している。
  • (4)状態依存の回答バイアス(state-dependent reporting bias)。潜在変数Y*の分布はどのグループにおいても同じであっても、観察値を実現させる上での閾値がグループによって異なる場合がある。たとえば、「とても賛成」、「どちらかというと賛成」の間の閾値や、健康状態が「とてもよい」、「まあまあよい」の間の閾値は、回答者が参照するフレームによって異なりうる。
  • (5)回答の「方向」(direction)に影響する独立変数と、回答の「強度」(intensity)に影響する独立変数がある。たとえば、女性は男性よりも極端な政治的態度を示しにくい傾向がある(「とても賛成」、「とても反対」のどちらの態度もとりにくい)。

 

 (4)のグループによって参照するフレームが異なることで、閾値も異なるというのは、前に読んだこの論文で扱われている問題かなと思います。(5)の問題は、不均一分散を許容する順序ロジットでもモデル化できそうです。違いとしては、一般化順序ロジットモデルを用いた場合のほうが、推定に必要なパラメータの数は増えるものの、非対称な効果を検証できるという感じでしょうか。

 

Raymo and Shibata (2017) "Unemployment, Nonstandard Employment, and Fertility: Insights From Japan’s 'Lost 20 Years'"

Raymo, James M. and Akihisa Shibata. 2017. "Unemployment, Nonstandard Employment, and Fertility: Insights From Japan’s 'Lost 20 Years'." Demography 54(6): 2301-29.

 

 「失われた20年」における雇用環境の変化が、男女で異なるメカニズムを通して出生率に非対称な効果をもたらしているという仮説が検証されています。

 

  • 慶應の家計パネルからパーソンピリオドデータを作成しています。調査開始(2004年)以前の出生については、回顧的に特定することになるので、若干テクニカルな点についての補足がされていました。データの構造上、同居している子どもの年齢から出生年を特定することになるものの、調査時点で18歳以上の子どもはすでに同居していなくなっている可能性があるので、分析から除外せざるをえない対象者がいたとのことです。
  • パーソンピリオド上で20~40歳に該当する出生イベントから、各年の合計特殊出生率を推定。日本の場合には婚外子が少ないことを利用して、t年の出生率=(t年の出生イベント数/t年に結婚している女性の数)×(t年に結婚している女性の数/t年に結婚している女性の数)という分解をしています(未婚女性の出産イベント数は無視できる)。
  • 観察されたデータから推定された出生率と、失業率・非正規雇用率を1980年水準に固定した場合の反実仮想的な出生率を比較しています。Raymo先生がよく用いている手法であるという印象で、おそらく"purging"と呼ばれるものと同じ手続きかと思います。
  • 反実仮想的な分析を通して、男性の失業率・非正規雇用比率の増加は、婚姻率の減少を通して出生率の低下に寄与しているのに対して、女性の失業率・非正規雇用の増加は、婚姻率の変化はもたらさなかったものの、機会費用の変化(雇用労働よりも子育てにかける時間の相対的な価値が上昇したこと)によって出生率の増加に寄与したという結論が得られています。Raymo先生の他の論文でも見られるパースペクティブですが、男性稼ぎ主モデルが根強い社会において、男女で非対称な変化が起きているという解釈になっています。

 

Clear Eyes Contact Lens Relief Soothing Drops

 

 

Clear Eyes Contact Lens Relief Soothing Drops, 0.5 fl oz (15 ml) by Clear Eyes

Clear Eyes Contact Lens Relief Soothing Drops, 0.5 fl oz (15 ml) by Clear Eyes

 

 

 

 

 手持ちの目薬が切れそうだったので、Walgreensにて購入しました。コンタクトレンズ着用中に使えそうなのが、ぱっと見でこれしかなかったのでとりあえずこれに。パッケージにはソフト用と書いてあったのですが、大丈夫でしょうか。大丈夫だと信じます。

 保存液もハード用はあまり見かけないんですよねえ。Amazonで探す方がよいのかもしれません。

 

García (2013) "Implementation of a Double-hurdle Model"

García, Bruno. 2013. "Implementation of a Double-hurdle Model." Stata Journal 13(4): 776-94.

 

  ちょっとだけ動かしてみました。ゼロがインフレしている連続的な従属変数に対するモデルということではtobitと同じですが、ゼロかそうではないか(participation)と、ゼロではない場合にどれだけの値をとるか(consumption)の意思決定プロセスが異なっていると想定できるのが利点になっています。

 有限混合分布モデルとも関連していますか。また、解釈を容易にするために、tobitや類似のモデルと同様に予測値も出したほうがよい感じっぽいですね。

 教育の分野ではどうでしょうか。たとえば、習い事や塾にかける教育費を分析するのに適用できるかもしれません。

『ダンケルク』

 

ダンケルク(字幕版)

ダンケルク(字幕版)

 

 

 昨年公開の映画です。機内サービスで観ました。

 第二次世界大戦中における連合軍のダンケルクからの撤退作戦を描いた作品です。戦争映画はこれまでそれほど意識して観てきたわけではないのですが、数え上げてみると、『プライベート・ライアン』、『フルメタル・ジャケット』、『硫黄島からの手紙』、『父親たちの星条旗』、『戦場のピアニスト』、『ハート・ロッカー』あたりが記憶に残っています。これらを戦争映画の範疇にすべて含めてよいかどうかはわかりませんが(『フルメタル・ジャケット』はどちらかといえば、前半の訓練施設がメインですし)。

 今回は戦争映画だからとか、設定に興味があったというよりは、クリストファー・ノーラン監督の映画というのが観た理由です(ちなみに監督自身の言葉によると、「戦争映画」ではなく、「生存映画(survival film)とのこと)。同監督の作品はSFのイメージが強かったものの、今回は史実に基づいた作品ということで気になっていました。

 登場人物が理不尽に死んでゆくのは戦争映画で頻繁に描かれることですが、本作は撤退作戦ということで、それがいっそう顕著に感じられます。さらに登場人物がこれまでどのように生きてきたかや、家族関係であるとかの背景情報はほとんど描かれておらず、あまり感情移入ができないように敢えてしているようです(これはたとえば実在の人物を主人公にし、家族との交流が出て来る『硫黄島からの手紙』とは対照的です)。そのことによってかえって戦争という事実が淡々と突きつけられるという効果が出ているのではないでしょうか。

 

村上春樹『やがて哀しき外国語』

 

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

 

 

 著者が90年代にプリンストン大学に招かれてアメリカ滞在していた頃の経験を基にして書かれたエッセイです。

 村上春樹の小説を読んでいると、日本の土地や人物に関わる固有名詞が出て来るときでさえ、どこか日本ではないような感覚をしばしば受けることがあります。しかし、本書はノンフィクションということで、日本とアメリカ、日本人とアメリカ人の考え方の違いなどの固有性や土着性を著者も当然意識して書いているでしょうし、読者としてもそれらを感じざるをえません。

 90年代のアメリカということで今よりは20年以上も昔であり、また当時の時代状況を反映した記述も多々あると思います(ちょうど湾岸戦争が勃発した頃で、「その当時のアメリカの愛国的かつマッチョな雰囲気はあまり心楽しいものではなかった」など)。しかし、それを超えた普遍的で鋭い考察が随所にあり、唸らされました。

 

 以下、目を引かれた雑多な箇所

  • プリンストン大学の権威主義や独特の文化へのおどろき(ある教授にバド・ドライが好きで飲んでいると言ったら、首を振ってひどく悲しい顔をされた)
  • アメリカでご近所だった経済学の神取先生
  • 妻のことを自己紹介する上で、相手に「期待される回答像」にあわせることの大変さ
  • 日本から留学・研修に来ているエリート官僚への痛烈な批判