『A』

A [DVD]

A [DVD]

1997年。監督は森達也

本作は、オウム真理教(現アーレフ)を内側から見たドキュメンタリー映画だ。
当時、教団の広報副部長であった荒木浩に密着取材し、被害者・警察の側から報じられがちであった教団を逆の視点から見ている。Amazonの紹介によれば、「『なぜ事件が起きたのか?』ではなく『なぜ事件の後も信者で居続けるのか?』という点を追求」した作品だという。

このような方法を採用することにより、いくつもの印象的なシーンが生まれている。1つ挙げるとすれば、教団幹部の1人が道端で警察官に職務質問をされ、逮捕されるという場面だ。

この信者は歩道を歩いていたところ、突如として私服警官に囲まれ、名前と所属を求められる。オウム信者であるのかどうか、やましいことがなければ答えられるはずだと。執拗に尋問されたこの教団幹部は、威圧から逃れるために駆け出してしまう。これを見るや私服警官はタックルを加え、教団幹部を突き飛ばす。その結果、教団幹部は後頭部を殴打し、地面に倒れてしまう。しかし、何とそこで私服警官は自分が突き飛ばされ、脚を痛めたようなふりをする。どうみても私服警官は無傷なのであるが、その直後教団幹部は「公務執行妨害」で逮捕されてしまう。

このようなシーンは、当時のマスコミは全く報道しなかったはずだ。多くが「オウム=悪」という図式に無意識に依拠した報道を行っていたからだ。そして、報道を見る大衆の側も無批判にその図式を受け入れていた。


本作は、オウムを擁護する内容だとして、批判も多い。確かに、坂本弁護士一家殺害事件や、地下鉄サリン事件に深く迫った場面はないため、そのような見方もできる。しかし、本作はいくつもの重要な問いかけを観る者に行っている。


1つは、真実とは何かという問題である。多くのマスコミは、オウムを単なる犯罪者集団として描き、それ以外の側面には注目しなかった。しかし、カメラの視点を変えてみるとどうか。マスコミのプライバシーを無視した取材っぷりや、警察の権力の濫用など違った問題が見えてくる。
ドキュメンタリーの目的は真実を追究することではない。多様な現実を描き出すものだということを教えられる。

もう1つ挙げれば、オウム真理教の一連の事件以降、日本社会は何かが変わってしまったということだ。
破防法の問題や最近のメディアに対する規制を見ると、思想・良心の自由や言論の自由を脅かすような事態が頻繁に起きている。
言うなれば、日本社会全体がある種の「思考停止」に陥ってしまったのかもしれない。本作は、そのような状況に警鐘を鳴らしている。