アンソニー・ギデンズ『社会学』第17章「教育」

Sociology

Sociology

Anthony Giddens, 2006, Sociology 5th edition, Polity Press, Chapter Seventeen "Education," pp. 682-736

実家から戻ってきて以来、若干モチヴェーションが下がっているので、少し真面目に勉強。

本章の構成は以下の通り。

・イギリスの教育制度
・教育社会学(sociology of eduation)の理論
・人種、ジェンダー、社会階層と教育達成の関係について
・IQと教育の関係について
・情報通信技術と教育

2006年に改訂されているだけあって、グローバリゼーションや生涯学習など新しい話題も色々入っている。

ジェンダーと教育の節から1つ。

「女子は数学や理科が苦手」というのは日本では自明なことと考えている人が多いが、近年イギリスでは女子の方がそれらの科目で高い成績を取っているというデータがある。
すなわち、遺伝や脳の構造によるのではなく、後天的な要因が科目の得意・不得意に影響していることが分かってきたわけだ。では後天的な要因とは何か。

男女で異なる授業や試験を実施しているわけではないので、一見違いをもたらすものはないように思える。最近では教科書も配慮されていて、理科の実験写真では男子が多く映っていて、家庭科の写真では女子が多く映っているということもない。

考えられるとすれば、家庭・教師・ピアグループと労働市場の構造だ。例えば、家庭で「お前は女の子なんだから数学はできなくてもよい」ということを言われてその規範を内面化していたり、周りの友達が数学ができないから自分もできなくてもよいと考える。そのような「隠れたカリキュラム」が働いている可能性がある。

あるいは、学校は職業の準備期間としての側面があり、その接続において自己選抜が働いている可能性がある。労働市場の方で、数学や理科の知識を必要とする仕事(エンジニアなど)に女性の働き口がなければ、数学や理科を勉強する合理性がないからだ。

おそらくフェミニズム研究ではそのような蓄積があるんだろうけど、勉強不足なので詳しくは分からなかった。


それから、IQと教育の関係について。

これも日本には馴染みがない話だけれど、欧米ではIQへの信仰が未だに強い。遺伝によって子どものIQの高低が決まっており、それによって将来の教育達成に差が生じるということが、多く議論されている。

もし日本においてIQのことを教育問題として取り上げたら、「差別」だとして叩かれるのがオチだろう。

欧米においては、「差別」という用語が人種やジェンダーなどのカテゴリにおいてのみ使われるのに対し、日本では能力の違いも「差別」として扱われる傾向あることの反映だと思う。