水越伸『メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする』


これまでのメディア論からしたら異端な(らしい)本。

日本における従来のメディア研究は、マスメディアを対象として社会学社会心理学・コミュニケーション論などの観点から語られることが多かった。

本書の特徴は、巨大資本が日本のメディアを独占している状況を問題にしつつ、それに対する打開策として「ビオトープ」という生態系の概念を隠喩として用い、個人・市民レベルのメディアを発展させることを試みたことである。

著者は日本のメディア状況を「人工的に植えられた杉林」に譬える。高く伸びた杉林が日光をふさいでしまい、地表近くの植物・昆虫・苔が育つ環境が生まれないというのだ。そうではなく、多様な生物が生息できる空間を意味する「ビオトープ」のように、様々な質・規模のメディアが散らばっているような状況にしなければならないという。


国家や巨大資本への対抗措置として市民運動を称揚するとき、往々にして理想論になりがちだ。しかし、本書の著者はかなり現実的な立場をとっている。それはおそらく、市民メディアについて相当な数の講演会・研修・ワークショップを行った経験から来ているものと思われる。現在の日本のメディア状況という巨大な壁を前にした挫折経験が、安易な理想主義をとらせないのだろう。

特に、単にマス・メディアを批判するだけでは駄目だということや、メディア・リテラシーについて教育現場で行われる啓蒙的なアプローチの効果のなさについては、確かにそうだなと思った。

もう少し欲を言えば、メディアについて草の根的な様々な活動を行っている人々を結びつける運動だけではなく、そういった運動に簡単には乗らない人(学校教育における古い考えの教師!)をどうやって巻き込んでゆくかについて書かれていると良いと思った。