ジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガー『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加』
- 作者: 福島真人,ジーンレイヴ,エティエンヌウェンガー,Jean Lave,Etienne Wenger,佐伯胖
- 出版社/メーカー: 産業図書
- 発売日: 1993/11
- メディア: 単行本
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人類学の先輩からお薦めいただいた本。概念は少しだけ知っていたが、ちゃんと読んでみた。
内容を大雑把に言えば、学習とは知識・技能を伝達し、獲得してゆく過程であるという従来の見方に対し、それは学習が本来持っている社会的な要因を無視しているという批判であると言える。学習は個人だけで生ずる現象ではないし、個人の認知構造が変化することでもないというわけである。
本書で学習とは、「人々が社会的実践を行う共同体への正統的周辺参加の過程」として説明される。「社会的実践を行う共同体」とは、村落のような自然共同体に限らず、企業、学校、NPOなど社会の中のありとあらゆる共同体を指す。そして「正統的周辺参加」とは、その共同体のあまり重要でなく、責任が重くもない役割を受けもって参加することだ。
例を挙げると、本書では「徒弟制」を正統的周辺参加の代表的事例として用いている。徒弟は親方の下で、道具の手入れや、仕事場の片付けなどの簡単な仕事から取り組み、次第に仕事に習熟し、やがては自らが親方となって徒弟を持つことになる。そこでは、教育のための特定のマニュアルはないにもかかわらず、徒弟は仕事ができるようになり、自信をつけてゆく。このように学習とは本来、知識の教え込みではなく、共同体に参加しつつ実践を行い、アイデンティティを確立してゆくことだというわけだ。
ただし、徒弟制=正統的周辺参加と定式化されるわけではない。場合によっては、徒弟は親方に酷使されるだけで、いつまで経っても仕事を受け持たせてもらえないこともある。正統的周辺参加が成立するためには、様々な条件が必要ということである。
さて、本書では一般的に学習と結び付けられやすい、学校についてはほとんど触れられていない。
それは、著者によれば「学校教育の効率性(教え込み、人格変容における学校の専門化、学校がよく知られているような特別の様式で行う思想の吹き込みにおける効率性)の起源に関する人口に膾炙した主張は、私たちが採用した状況的な見方とは矛盾する」からだという。
しかし、正統的周辺参加の見方も学校現場は次第に取り入れてきているのではないかと思う。
フィンランドの教育に見られるグループ学習や複合学級などがそれに当たる。グループを組ませることによって、勉強の進んでいる子が進んでいない子に教える。上の学年の子が下の学年の子に教えるなどの形は、まさに実践共同体への参加過程と見なせる。
日本の小中学校においてもグループ学習は重視されてきているようだが、一方で習熟度別学習というできる子どもとできない子どもを分断する教育の導入が進んできている。
教育とは、学習とは何であるのか。ありふれた問いではあるが、こうした知見を活かしたまともな議論ができる場がもっと必要ではないかと思う。