アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か?―モダニティの帰結』

近代とはいかなる時代か?―モダニティの帰結

近代とはいかなる時代か?―モダニティの帰結

英国ブレア政権下でブレーンを担当していた社会学者、ギデンズによる近代の時代診断の本。

ギデンズが重視する近代社会の特徴は、資本主義や工業主義の発達ではない。確かにそれらは近代社会の特徴の一部をなしているが、近代社会と本質的に関連する要素ではない。では何が本質的な要素かというと、社会関係が相互行為のローカルな脈絡から「引き離され」、時空間の無限の拡がりの中で再構築されること。具体的には、所有する個人や集団の特性にかかわりなく流通できる相互交換の媒体、すなわち銀行貨幣のような「象徴的通標」の発達が一つ。そして、弁護士や建築家、医師などの職業的専門家が作る知識体系への信頼がもう一つだ。

つまり、伝統的な共同体社会におけるローカルな人間関係、交換関係の変質に近代社会の特性を見るわけだが、ギデンズは伝統的秩序の共同体的特質と、近代的社会生活の非人格性とを対置するのは間違いだとする。なぜなら、共同体的生活は、近代の時代環境においても何らかのかたちで残存していくか、活発に再生していくかするからだという。


近代社会における人間関係が必ずしも非人間的ではないというのが新鮮に思えた。確かに伝統的共同体においては人々の関係性は緊密だが、一方でそれは制度化されていたり、生産関係によるものであったりする。それよりかは、近代社会においては「見知らぬ人」も周囲に増えるが、一方では「親密性」を基盤にした人間関係が構築されていると見なすことができるように思う。

もっとも日本の現状を見るにつけ、マクドナルドやスターバックスが至るところに進出して地元商店街や農村が衰退しているわけだし、共同体的生活が残存したり再生したりということには違和感はある。

日本ではグローバル化の趨勢を無批判に受け入れてしまっている面はあるわけで、市民社会の伝統のあるヨーロッパとは状況が違うのだろうなと思う。

そうすると、ギデンズの理論を近代社会の普遍理論と見なすのにはちょっと疑問がある。