竹内洋『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化』

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

旧制高校時代に誕生し、1970年頃までに学生を魅了した教養主義がいかに衰退していったかという話。
教養主義とは、主として西洋の文学・歴史学・哲学の古典を読むことによって人格形成を目指す態度のこと。

著者によれば、1960年代後半に大学進学率が上昇し、大卒労働市場が拡大したこと(=教養知や専門知を必要としないサラリーマンが増加したこと)が、教養主義の衰退につながったとのこと。

確かに自分の実感からしても古典を読むことが、人格形成につながると考えている大学生はほとんどいないと感じる。というか自分の身の周りで人格的に尊敬できる人は、だいたいにして古典を読むことなんかよりは対人関係やら
趣味やらに時間を割いているような気がする。

著者も終章で述べているとおり「教養」という言葉自体は、人々に訴えかける力を持ち続けている。例えば、「大学とは、専門的な知識・技能よりも幅広い教養を身につける場である」と言われれば、同意する人は多いはずだ。

では、そのように求められ続けている「教養」は、どのように変容しているのか。(読んでいないが)苅部直『移りゆく「教養」』で述べるような「教養=政治的判断力」というのは一つの考え方かもしれない。

自分としては、人的なネットワーク(社会学でいうソーシャル・キャピタルのようなもの)を生産し、またそれによって再生産されるようなものが現代的な「教養」なのではないかと漠然と思う。

いずれにせよ、決まり文句のように「総合的な視野」、「深い知性」、「リベラル・アーツ」などの言葉を並べる某大教養学部の先生方のごときは、本書の議論を踏まえた上で「教養」について語って欲しい。