梅島みよ・土舘祐子『ビジネスマナー入門』

ビジネスマナー入門 (日経文庫)

ビジネスマナー入門 (日経文庫)

最近、偉い先生の近くで作業する機会が増えたので、買ってみた。

挨拶、電話の取り方、来客の対応の仕方など、頻繁に必要になるマナーがコンパクトにまとまっている。特に、慶事・弔事のマナーはあまり馴染みがなく、かついずれは覚えるべきことなのでためになった。


さて、個人的な感覚の話をすると、マナーについて書かれた本を読むとき、どこか胡散臭いものを感じることがある。例えば、車内の後部座席での席順であるとか、お茶はどちらの手にもって出すかとか、どうでもよくないか、というようなものである。これは、自分の社会経験の乏しさからくるものだろうか。

それもあるだろうが、マナーというものは、社会科学でいう「儀礼」のようなものだと自分が捉えていることもあると思う。
すなわち、その行為自体には意味がなく、既存の社会関係を維持するために行われているにすぎないものだということである。あたかも、ある少数民族が雨乞いの踊りを慣習的に行っていることに対して、それは実際には雨を降らす効果などなくて、部族内の連帯を強めているだけなのだと見てしまうときのように。

もちろん、内容が空疎だからといって、マナーを守らなくていいというわけではない。決まった振る舞いを正しく行えることは、自分がある社会関係の中でひとかどの人間であることを示すことになる。そうして、社会は円滑にまわってゆく。

しかしながら、マナーを何か実態を持ったものとして捉えていると、往々にして硬直した思考から抜け出せなくなる。例えば、電車内で携帯電話の通話を禁じている国は日本くらいであり、かつ医療機器に悪影響が出た事例はほとんどないらしいが、そうしたマナーを疑う声はあがらない。

本書のあとがきに、「人のためにマナーがあるのであり、マナーのために人があるのではない」と書かれているが、正にその通りだと思う。


<余談>
本書はいくつか挿絵があって、マナーが図示されている。
それで、商談をしている絵は男性で、お茶くみをしている絵は女性なのだが、これはどうなんだろう…。「女性を職場の仕事の対等なパートナーとして認識していないこと」はジェンダー・ハラスメントのが起きる原因とまで書かれているのに。深読みのしすぎか?