『ボウリング・フォー・コロンバイン』

2002年、マイケル・ムーア監督。

1999年4月に発生し、12人の生徒と1人の教師が殺害された、コロンバイン高校銃乱射事件を題材に、銃社会アメリカを批判したドキュメンタリーである。

事件の被害者、歌手のマリリン・マンソン全米ライフル協会(NRA)会長のチャールトン・ヘストン、犯行に使用された銃弾を販売していたウォルマート、コロンバイン市民など、広範な人々にインタビューが行われている。

タイトルになっている「ボウリング」には2つの意味が込められているらしい。
1つはミシガン州民兵訓練所で、人体に形が似ていることから、ボウリングのピンが的に使われていることから来ている。
そしてもう1つは、犯行の背景として、犯人の生徒2人が普段聞いていたマリリン・マンソンの影響は言われるのに、どうして事件当日の朝に2人がやっていたボウリングの影響は言われないのだろうか、というマイケル・ムーアの皮肉である。


この作品にはかなり根底的な問いが込められている。それは、どうしてアメリカだけがこれほど銃による殺人が多いのだろうかというものだ。

銃の所持率が高いからか? だが、所持率で言えば狩猟が盛んなカナダの方が高い。しかし、カナダはアメリカよりもはるかに銃による殺人が少ない。

貧困や人種の多様性が原因ではないか? しかし、カナダはアメリカよりも高い失業率に達しているし、アメリカほどではないが、人口の10数%は白人以外の人種である。

アメリカは、イギリスから独立し、ネイティブ・アメリカンを侵略してきたという暴力の歴史があるからか? では、ユダヤ人を大量殺戮したドイツや、中国を侵略した日本に暴力の歴史はないのか。

取材を通して、殺人が起こるのは他人への恐怖からではないか、とマイケル・ムーアは言う。マス・メディアを通して煽られる殺人事件の恐怖。しかもその際、同時に黒人が恐怖の対象になっていることが少なくない。


数量的データ(銃所持率、失業率、人種構成)によって、必ずしも犯罪率を予測できないというのは、昨日まで読んでいた『排除型社会』の議論と通ずる。


また、マイケル・ムーアの作品はエンターテイメント性をかなり意識して作られているので、観ていて面白い(時に痛快なくらいだ)。
後半に、ウォルマート本社に行って、銃弾の販売規制を求めるのは少しずれている気がしたが、全体としてかなり突っ込んだ質問を色々な人にしていて、よく取材されていると思った。