苅谷剛彦・志水宏吉編『学力の社会学――調査が示す学力の変化と学習の課題』

学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題

学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題

80年代と2000年代に行われた学力調査をもとに、二時点間比較を行った論文集。

90年代終わりから2000年代のはじめにかけて「学力低下論争」と呼ばれるものが教育界隈でなされた。しかし、その中には印象論や不十分なデータに基づいて行われたものも少なくない。

本田由紀御大の仰るように、学力が実際に低下しているかどうかを検証するためには、「1.同じ内容の学力調査を、2.学年や地域などの特性が同じで、3.母集団を代表しうる大規模な対象に対し、4.複数時点で実施したデータ」であることが不可欠。

それらの条件を満たしている調査は希少なようで、本書で使われているデータはそれだけでも貴重なものだ。


本書で様々な観点からなる論文が載っているが、主に明らかにされていることは二つ。

1つは、20年前に比べて小中学生の学力水準は明らかに低下していること。

そしてもう1つは(こちらがとても重要なのだが)、学力の低下は親の学歴や文化階層をの格差を伴って進行していること。すなわち、父親が大卒であるよりも非大卒の子どもの方が、また文化階層上位よりも下位の子どもの方が、より学力が低下している。

『大衆教育社会のゆくえ』などで言われているように、日本では親の学歴などの社会的属性に基づいて子どもの教育達成を語ることがタブー視されてきたきらいがあり、学力の「水準」に注目されることはあっても、社会的属性を考慮した「格差」に着目されることが少なかったわけだ。


そういえば、今日の日経新聞の朝刊で耳塚先生が教育の格差についてマスメディアでも少しは注目されるようになってきた、ということを書かれていたけれど、本書が影響を与えたところもあったのだろうか。


それから、以下、個別の論文で面白かったところ。


本田由紀『学ぶことの意味――「学習レリバンス」構造のジェンダー差異』(4章)
現在的レリバンス(学習そのものの「面白さ」)と将来的レリバンス(学習が将来何かに「役立つ」という感覚)に焦点を当てて分析した論文。
国際的な学力調査で、日本の子どもが算数や理科の勉強が「面白い」と答える割合が先進国で最低、という話がある。この論文で明らかになっていることは、そうした学習の面白さを感じられる子どもは、同時に学習が将来役立つと思っているということ。すなわち、学習の面白さだけを持たせようとすることは困難だということ。

内発的な動機付けを称揚する立場の人たちに対して、かなり重要な批判になっているのではないかと思った。あと、個人的にはそうしたレリバンスの構造が大学生にも当てはまるのかどうかが気になる。


苅谷剛彦『「学力」の階層差は拡大したか』(6章)
本書のもとになっている調査では、学歴質問が十分に盛り込まれていないため、文化階層と基本的生活習慣の質問をもとに、学力の階層間格差拡大を実証した論文。

文化階層や基本的生活習慣が下位の生徒ほどより学力が低下しているという図式は、苅谷先生の他の論文でも繰り返し出てくるため、そんなに目新しさは感じなかった。

面白いと思ったのは、1989年と2001年のそれぞれの重回帰分析の結果で、通塾率の非標準化係数が2001年の方が高いこと。すなわち、近年になってより通塾しているかどうかが学力に及ぼす影響が強まっているというわけだ。

また、(学歴についての質問が不十分ではあるのでやや信頼性にかけるが)他の要因を統制した上でも、基本的生活習慣が学力に与える影響はかなり大きいのだなあ。何となく身が引き締まる思いがする。


全部で11本の論文が載っているのだが、本田先生、苅谷先生、それから志水先生の論文が面白く、明確に質が高いことが読み取れた。やはり社会調査は、熟練を要する職人芸のようなものなのだな、と改めて実感した。