苅谷剛彦『教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか』

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)

義務教育費配分のメカニズムと、日本的な平等主義の関連について。

戦後日本においては、生徒数に応じて教員数が算出されるper headの考え方ではなく、生徒数・学級数・学校数の三本立てで教育財政の単位費用が考えられ、個人ではなく学級や地域という「面の平等」が重視されてきたという。

本日のゼミの議論は、主にこの「面の平等」という概念の有効性・妥当性についてであったが、概念としては複雑である。「面」とは特定の単位を表すのではなく、学級や学校や市町村などの入れ子構造を表し、かつ「面の平等」は、政府が義務教育費を配分する際の上からのプロセスと、各都道府県教育委員会の広域人事に見られるような下からのプロセスの双方が作動することで達成されてきた。

著者によれば、教育の基底で働くロジックは「機会の平等か結果の平等か」、「中央集権か地方分権か」というような二項対立では捉えられない「アンビバレンス」を含むものである。

以上のような複雑さから「面の平等」を実証するのは難しいと思う。本書でもところどころレトリックでごまかされているような気がする。今後、この概念は拡がりを見せてゆくのだろうか。