『バオバブの記憶』

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日曜日に明治学院大学での試写会で観てきた。

セネガルのとある村の話。村の人々の生活が、その支えとなっているバオバブの樹との関わりの中で描かれている。

よくも悪くも「退屈な」映画という印象を持った。村人たちのまったりとした日常がひたすら描かれており、現代日本とは時間の流れの違いを感じた。

かつて、豊かな社会においては労働時間が短くなり、人々に余裕が生まれると考えられていた。例えば、ケインズは1930年の時点で、100年後には人々は週15時間程度しか働かなくなると予想していた。しかし、増えた財やサービスを消費するための時間や新たな財が必要になり、人々はますます多忙になってきている。S.B.リンダーは『時間革命』の中で、そのような逆説を描いた。

この映画から受ける「退屈な」印象は、現代日本で生活してきていて身についている、自分の時間感覚に少なからず由来しているのではないかと思う。


また、この映画に出てくる村の人々によれば、バオバブの樹には精霊が宿っているという。ヴェーバーによれば、近代化とは脱呪術化の過程だ。

映画の中で何度か

おしえてバオバブおじさん100年前、ぼくたちはどんな暮らしをしていたの?

おしえてバオバブおじさん500年前、ぼくたちはどんな暮らしをしていたの?

おしえてバオバブおじさん1000年前、ぼくたちはどんな暮らしをしていたの?

という歌が出てくるのだが、100年後どころか数十年後には土着的な宗教があったことも忘れているのかもなあ、と思った。