熊沢誠『能力主義と企業社会』

能力主義と企業社会 (岩波新書)

能力主義と企業社会 (岩波新書)

 いずれにせよ能力主義管理の強化は、サラリーマン男女が越えねばならぬ仕事の量的ハードルを高くしている。そしてそのインパクトは、サラリーマンのゆとりや心身の健康が危うくなることにとどまらない。後にも繰り返しふれることながら、「能力がある」「業績が十分である」ということのハードルが高ければ、なんらかの事情からそれに「チャレンジ」できない中高年層、女性、体力に恵まれぬ人びとへの冷遇が正当化されることになる。こうして皮肉にも、「結果の不平等」が「機会の平等」の「自然な」帰結としてあらわれるのである。
(p.107)

 日本の企業社会は能力主義とは縁遠い世界であるという理解がかなりゆきわたっている。けれども、サラリーマン個人に対する広義の能力査定が選別と処遇にふかくかかわるという点では、エリート層だけではなく労働者の全階層をみるかぎり、欧米よりも日本のほうが、より「能力主義的」であるといってよい。そこで今「もっと能力主義的に!」という経営者や「識者」からの強制的または誘導的な働きかけにサラリーマン男女が唯々諾々と従うならば、ゆとりや自由ばかりではなく、労働のよろこびさえ喪ってゆくことになりはしないか。
(p.243)

おもしろかった。
「年と功」で決まる日本の賃金と昇給のシステムが、実はある意味で欧米よりも個人主義的で能力主義的という話はなるほどという感じ。『日本のメリトクラシー』で言われているような、同期入社の社員はある時期まで昇進を均等にし、選抜を遅くするという特徴があると言っても、そこには情意的な人事考課が含まれているわけで。
「ゆとり・なかま・決定権」という要素をもとに、能力主義管理を規制・修正してゆくという著者の案にも賛同できる。

ただその具体的な過程として、著者は労働組合や職場会議などを考えているようだが、それは本書の範囲を超えているので、別の著作も読んでみたいところ。