アクセル・ホネット教授 招待講演「労働と承認―ジェンダーから見た社会的正義」

http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0005532.html

ヘーゲル専門の友人から存在を聞いて、行ってみた。初めて明治大学のリバティ・タワーに入ったが、なかなか立派な建物だった。

ホネットの2008年の論文の内容をもとに講演が行われ、その後にコメンテーターの質問というかたち。

講演の内容を非常にざっくりメモしてみると以下のような感じ。


■批判的社会理論は今日の規制緩和的状況の中で、労働の解放、人間的な概念の擁護という問題に目を背けてしまっている。

■批判的社会理論は、社会的労働のカテゴリーをその枠組みに再び関連付けるために、外在的批判と内在的批判の区別を明確に行うべきである。

■外在的批判の形式とは、所与の資本主義的な労働関係を、自己調整的な生産のモデルを前提として批判を行う試みである。それに対し、内在的な批判とは、社会的成果交換そのものに理性要求として内在している道徳規範が考慮に入れられて行われる批判のことを指す。

ヘーゲルは『法哲学』の中で、資本主義的な経済組織の構造の中に、社会統合の新たな形態の要素を発見する試みを持っていた。

ヘーゲルは、資本主義的な市場経済において、(1)「ポリツァイ(福祉行政)」が労働者の保護を目的に需要と供給のバランスをとるために経済過程に介入すること、(2)「コーポラツィオーン(職業団体)」が構成員の技能と能力についての「誇り」を保ち、また構成員の基本給付が保障され続けるように働きかけることを提案していた。

■ポラニーは、資本主義的市場経済の発展は、それがすべての伝統的な分野と道徳的命令から切り離され、経済的行為の領域の「脱埋め込み」が行われる過程だとした。ヘーゲルとは反対にポラニーは、労働と財のための普遍的な市場が徹底してゆくにつれて、いかなるかたちの道徳的な制限に対してもまったくゆずらない「自己調整的メカニズム」が生み出されると考えていた。

■しかし、ポラニーの脱埋め込みテーゼには疑義が寄せられてきている。資本主義的な労働組織についてのヘーゲルの定義に再び依拠すると、資本主義的な労働市場の構造は、それぞれの階層の人々が、生計を維持することを保障するという報酬と承認に値する労働という、二つの正当な期待を抱くことができるという前提のもとでのみ形成されてくるのだと言える。

デュルケームもまた、資本主義的労働組織がいかに社会統合を担えるのかという問題意識を追求していた。

デュルケームによれば、資本主義社会において、社会の成員はみな、分業による公益への貢献を果たすという要求を持っており、この貢献と引き換えに、個々の成員には適切で、最低限度の生計を維持するだけの収入が認められるという。デュルケームは承認という言葉を使ってはいないが、その言葉を援用すれば、社会の成員はそれぞれの貢献を互いに承認しあうことにおいて、互いに関係しあい、知り合うからこそ、特殊な「有機的」と呼ばれる連帯の形式を持ちうるのである。

■今日、ますます規制緩和が進んでいく現存の労働関係はまるで、ヘーゲルデュルケームが論述した、資本主義的経済形式には道徳的な社会基盤が備わっているということを嘲笑しているかのようである。

■しかし、ヘーゲルデュルケームが確認した規範の効力は、賃金と成果の新しい定義をめぐる女性運動の闘争に見ることができる。女性のさまざまな活動の社会的価値を引き上げることをめぐるフェミニズム的闘争において要求されているのは、労働に正しく賃金を支払い、労働を正しく承認するという諸規範に他ならない。


講演後の質疑は、ヘーゲルの理論は今日もなお有効なのか(ヘーゲルの家族観はロマンティシズムに彩られており、時代遅れなのではないか)、家事労働やケア労働を承認の概念は扱うことができるのか、資本主義には道徳的な規範が内在しているという理論と現実のかけ離れた状況の差異がなぜ生じるかが全く説明されていないのではないか、などといった内容だった。