武川正吾『連帯と承認―グローバル化と個人化のなかの福祉国家』

連帯と承認―グローバル化と個人化のなかの福祉国家

連帯と承認―グローバル化と個人化のなかの福祉国家

国家目標としての福祉国家,給付国家としての福祉国家,規制国家としての福祉国家という枠組みの設定。給付国家の質的側面としての脱商品化と脱ジェンダー化。給付国家としての側面に対し,規制国家としての側面はあまり注目されていない。規制構造の経験的研究の必要性。

福祉レジーム間のヘゲモニー競争としての80,90年代。

グローバル化福祉国家。労働と資本の移動の非対称性。移動が容易な資本は,規制緩和の圧力を各国政府にかける。

個人化と福祉国家。「個人がますます自立的になりつつあるのに,いよいよ密接に社会に依存するようになるのはなぜか」というデュルケムの問い。ただし,デュルケムの言う個人化とは同業組合からの個人の離脱であって,核家族からの個人の離脱ではなかった。一方,ベックの言う個人化は家族と職業の流動化を意味する。
家族・職域・地域という3領域での個人化は,福祉国家の前提を侵食する。また,消費の個人化もまた福祉国家が前提とする集合主義と抵触する。

日本の福祉国家レジームは公共事業の厚さ,経済規制の強さ(生産性が高い部門とともに低成長部門も手厚く保護,「護送船団方式」),社会規制の弱さ(年齢差別・外国人差別・障害者差別など)によって特徴づけられる。社会支出の薄さは公共事業の厚さによって補われてきた。ただ,このようなレジームは転換期にある。

東アジアの比較社会政策研究のでは,福祉オリエンタリズム福祉レジーム論が力を持ってきた。しかし,日本・韓国は経済政策と社会政策で大きく異なっており,このようなアプローチで説明するのは不適切である。

エスピン=アンデルセンの「3つの世界」論は,脱商品化の概念を通して国家と資本制の関連を明確にした理論的な意義,アメリカとドイツとスウェーデンの歴史と構造の現状分析を行った意義は大きい。しかし,西欧諸国の歴史や構造の文脈から離れて「3つの世界」のどこに日本が位置づくかという議論をすべきではない。

イギリス・日本・韓国の福祉国家形成について,国内要因による離陸時期の決定,離陸の時点における国際環境という初期条件,初期条件による後の発展の規定,という仮説の妥当性が示される。東アジアという個別主義ではなく,普遍主義的な説明が重要。

福祉国民国家の市民権に対して,アイデンティティの問題などがつきつけられている。福祉国民国家の市民権の同化主義が限界になり,歪められたアイデンティティを押しつけられた人々に対する承認の問題が課されている。