渋谷知美『日本の童貞』

日本の童貞 (文春新書)

日本の童貞 (文春新書)

 近代のセクシュアリティ言説は、性を私的領域に配置することで、性を隠れたもの、秘密めいたものにし、かえって性を特権化してきた。いっぽうで、「性的なことは私的なこと」というタテマエとはうらはらに、生殖、セックス、オナニーなど「性的なこと」は、たえず国家やメディアなど公領域による干渉を受けてきた。
「性的なことは私的なこと」というタテマエのもとで、個人のセクシュアリティがたえず公による干渉にさらされている――これが、童貞が差別される社会の本質である。
 そんな社会はゴメンだ、と読者はいうかもしれない。しかし、だからといって性を私的領域におしこめようとすることは、不可能だろう。それに、そんなことをしたら、ふたたび性が特権化され、その特権にありつけない童貞は、ますます苦しまねばならなくなる。
 必要なのは、性を私的領域におしこめることではなく、何か特定の言説が力を持たないように、より多くの性にまつわる言説を公の場であみだしていくこと――つまり、オルタナティブな性への干渉を提示してゆくことである。本書もそうした「オルタナティブな干渉」の一形態にほかならない。
(pp.223-4)

学科の先輩にあたるはず、なのだが著作を読むのは初めて。

ある言説が時代状況や発話者によって全く矛盾したかたちで出てくることを明らかにするというのは、こうした分析の醍醐味。
よく資料は調べられているし、上記引用を含む第10章「童貞の復権?」は感心させられた。この分野の研究蓄積は知らないので、どれだけ新しい主張をしているのかは分からないが。

本論とあまり関係ないことで気になったことを一点。各種の調査を引用して、「サンプリングがあやしい」ということが言われている。しかし、サンプリングとは母集団との関係でその信頼性が決まるわけで、母集団に言及せずにあやしいと言っても何を言っているのか明確ではない。特に本書のように構築された概念を扱う場合には問題になると思うのだが。