盛山和夫『制度論の構図』

制度論の構図 (創文社現代自由学芸叢書)

制度論の構図 (創文社現代自由学芸叢書)

 本稿が主張しようとしていることは以下のことである。制度とは理念的実在であって人々の主観的な意味世界(これを本稿は「一次理論」と呼ぶ)によって根拠づけられており、この主観的な意味世界(の内容ではなく)それ自体は経験的で客観的な存在である。そして、社会的世界は人々の行為によって構成されているのではなく、人々が世界に対して賦与している意味によって構成されている。人々が賦与している意味はあくまで諸個人の主観的なものであって、何らかの超越的な根拠によって間主観化されているわけではない。しかし、諸個人が世界の中に見出している意味はその本性上超個人的で普遍なものと映じており、そのことによって制度は客観的なものとして立ち現れることになる。
 この主張は、社会とか組織とか制度という集合的なものが、諸個人の主観的了解を超えてその外に根拠を持つものではないとする点で、いわゆる集合主義とは異なって個人主義の系列に属すが、同時にまた、そうした集合的なものが諸個人の行為から構成されているわけではないとする点で、方法論的個人主義とも対立している。
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「制度とは何か」という問いから始まり、「確立された行動様式」という概念による説明には誤りが存在していることを明らかにし、またパーソンズの秩序問題、ゲーム論、ルイスによるコンヴェンションの概念などを検討し、それらがすべて上記の問いに答えるには不十分であることを主張している。

制度とは経験的な実在ではなく、人々によって主観的に意味づけられた「理念的実在」として考えなければならないとされる。さらに、こうした系列に属するシュッツ、バーガー&ルックマンが批判され、行為者が自らを取り巻く世界について抱いている了解の内容である「一次理論」と、どの社会的世界にも内属しない超越的な視点からの社会的世界に対する仮想的な知識たる「二次理論」という区別が導入される。

そして、制度が可能であるには共同主観性の成立は必要ではなく(そもそも共同主観性を根拠づけることは不可能であることが主張され)、あくまで一次理論によって(1)制度という存在が超越的普遍性という本質にしたがって、本来的に誰にとっても同一のものだという前提が存在し、(2)その前提は、それと明白に矛盾する眼に見える出来事が起こらない限りは維持されるからだという。



盛山文体が好きということもあるが、社会学にとって本当に探求すべき課題とは何かという問題にとって極めて重要な研究となっており、たいへん面白く読めた。

どんどん細分化してゆく社会学の流れに身を置いて、ちまちま計量をやっていると、果たして社会学の発展・知識の増大とはいかなることか、と「意味」をしばしば求めたくなるのであって、こういった本が読みたくなる。


関連として、
盛山和夫,2007,「経験主義から規範科学へ―数理社会学はなんの役に立つか」『理論と方法』 21(2): 199-214.
はこの前読んだので、今度は
盛山和夫,1992,「合理的選択理論の限界」『理論と方法』7(2): 1-23.
盛山和夫,2006,「理論社会学としての公共社会学にむけて」『社会学評論』57(1): 92-108.
も読みまっせ。