2010年12月19日

■先日ヘーゲルの人から聞いたことがだが、人文社会系研究科で修論の提出締切が早い(12月上旬)のは事務が恣意的に設定しているものらしい。てっきり、人文社会系では教授一人に対する院生の割合が多いから早めに設定されているのかと思いきやそうではなかった。先生に聞くと「え、そんなに早いの? 大変だね。」というような反応が返ってくるらしく、早く提出しても結局2月の口述試験が近づくまで読まれていないとのこと。
しかし、事務の都合といっても我が研究科とそんなに違う手続きをやっているとか、人手が足りないとかいうこともないだろうに。事務のよくわからない慣習によって犠牲になっている院生がかわいそうだ。


■昨日、必要に迫られて久々に使ってしまったが、私は「社会人」という表現が嫌いだ。この単語は基本的に、「フルタイム就業者」と同じ意味において用いられるが、同時に「社会の一員」というような響きを持っている。そして多くの場合この表現は、学生/社会人という区別を行う際に用いられるが、聞くたびに大学院生(や専業主婦や引退した高齢者)は「社会の一員」ではないのだろうかと思わせられる。
他の国で同様のことはあるのだろうか。例えば、英語で"a member of society"と言った時、決してフルタイム就業者だけを意味するようには思えない。
そもそもアメリカあたりだと学生/社会人という区別が日本ほど強い疎隔を表わさないことも関係しているのだろう。あちらでは働きながらパートタイムで就学する人が多いし、いったん働き始めた後に仕事を辞めて大学に入学する人々も多い。
要は、社会人という単語は学校→職業という単線的な移行を前提とした、きわめて日本的な表現ではないだろうかということだ。しかしながら、学校から卒業してすぐにフルタイムで就業する人がこれだけ減っている中で、今後もこの表現は使われ続けるのだろうか。


■分析結果を表に成型していて、「収束せず」と打ち込もうとして、間違えて「就職せず」と打ってしまい、PCの前で一人で笑う。そんな午前4時。