イェスタ・エスピン-アンデルセン編『転換期の福祉国家―グローバル経済下の適応戦略』
- 作者: イエスタエスピン‐アンデルセン,Gosta Esping‐Andersen,埋橋孝文
- 出版社/メーカー: 早稲田大学出版部
- 発売日: 2003/12
- メディア: 単行本
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グローバル経済下、ポスト工業経済下において福祉レジームごとにどのように異なった対応がとられるかということが分析された編著。
家族に依存した所得移転国家たる大陸ヨーロッパ諸国が「明らかに袋小路に陥っている」[40]という問題意識に基づく分析によって示されていることは、日本がとった動きに重なる部分が多い。日本では早期引退はそれほどの規模ではないとは思うけれど。
エスピン-アンデルセンが、積極的労働市場政策を決して楽観視はしてはいないものの、不熟練労働者の教育と訓練に解決策を見出していることは押さえておくべきと思われる。
スカンジナビア諸国は,多くの「脱工業化」部門の多数の余剰不熟練労働者を再訓練し,彼らのための仕事の創出に努め,アメリカは賃金を侵食した。これに対して,大陸ヨーロッパ諸国は,とりわけ早期引退を通して彼らの退出を支援する方法を選んだ。このやり方は次のような「内部者と外部者」の分断('insider-outsider' divide)状況を間違いなく創り出した。つまり,高賃金と高価な社会的権利,強固な社会的権利,強固な雇用保障を享受し大部分が男性である「内部」労働力が一方で存在し,他方,男性稼得者の賃金収入もしくは社会保障移転収入に依存し増加傾向にある「外部」労働力が存在するのである。
第1章 イェスタ・エスピン-アンデルセン「黄金時代の後に?」[29]
内部と外部の断絶を強化することは,柔軟性拡大の障害となる。雇用主の観点からすると,重要なことは,(生産性と利益に応じて賃金を決定できる)賃金の柔軟性であり,(新しい技術に即応できる)機能的柔軟性であり,(必要に応じて採用,解雇できる可能性としての)雇用柔軟性なのである。個人および家族の観点からすると,柔軟性の意味は,家族の義務を果たしながら共働きできる能力であり,家族崩壊の危険性が増大することであり,失業,再教育,職業転換のようなキャリア途中の変化が起きる可能性が増大することであり,一般的に変化が大きく標準性の少ないライフスタイルということになる。
大陸ヨーロッパ型福祉国家のモデルでは,どちらの柔軟性の必要性も抑えこまれることになる。「内部」労働力は,生涯にわたる雇用の保障という罠に落ち込み,そのため,「標準的雇用関係」を弱体化する試みに対しては団体組織をとおして抵抗するのである。
問題は,言い換えれば,どのようにすれば確実に不熟練労働者を徐々になくしていけるか,ということである。
明確な回答は教育と訓練にある。周知のように,賃金引き下げの圧力は主として不熟練労働者に向けられており,実際,有資格労働者に比べて彼らの賃金の低さが顕著になっている。こうした背景から「生涯学習」と「社会的投資戦略」がトレードオフ関係に対しておそらくはプラスサム的な解決を提供するであろう。事実そうなのであるが,その理由は以下の2つに求められる。第1に,普遍的な訓練が施されることにより,最終的には過剰な不熟練労働者が一掃されることになる。第2に,たとえポスト工業化社会が消費サービスと社会サービスの分野で大量の低レベルで低賃金の職種を必ず創り出すとしても,そのような職種は,もし市民的に適切なスキルを修得する機会が与えられたならば,生涯にわたる袋小路的な職にならないからである。簡潔に述べるならば,パレート最適的な将来の福祉国家は,シチズンシップの力点を現在の所得保障中心的なものから,<生涯にわたる>教育と資格取得の権利へとシフトさせたものになるであろう。
日本的なワークフェアに支えられて失業率が抑えられてる段階であれば,応益原則の強い普遍主義の実現も可能であったかもしれない。しかし,日本型のワークフェアが機能不全に陥っている現在では,今なお南欧諸国と同様に貧弱な内容しかもちえていない「基礎的セーフティネット」の拡充を図りながら,普遍主義の空洞化を防がなければならない。
補論 宮本太郎,イト・ペング,埋橋孝文「日本型福祉国家の位置と動態」[329]