自己成就的予言と私


人を励ますのって苦手なんです。何か確実な根拠があるわけでもないのに、「大丈夫、きっとうまくいくよ!」なんて言っても、「他人事だと思って」とか、「そんなこと言ったって結果は何も変わらない」とか言われそうでしょう?


でも、最近少し考えが変わりました。そのきっかけを与えてくれたのは、ロバート・K・マートンという社会学者――彼はタルコット・パーソンズと並んで、第二次世界大戦後の社会学理論に多大な貢献をした人ですが――の「予言の自己成就」という概念について考えていた時です。彼はその概念を説明するために次のような事例を出します。

1932年のアメリカの話です。とある大手の銀行があり、その経営はまったくもって健全でした。しかし、ある時に預金者の間に「あの銀行は支払不能に陥りそうだ」という噂がたちます。その噂はまったく根拠のない誤ったものですが、預金者の多くは本当だと思いこんでしまいました。そして彼らは、銀行が支払不能になる前に自分の預金を引き出すために、銀行に大挙して押しかけました。こうして本当にその銀行は支払不能に陥ってしまったのです。

これは、誤ったことでも一度人々が真実だというように思いこむとことによって、実際の結果が真実となってしまうことを表わしています。これが「予言の自己成就」です。マートンの言葉を正確に引けば、「自己成就的予言とは、最初の誤った状況の規定が新しい行動を呼び起し、その行動が当初の誤った考えを真実なものとすること」となります。
他にもマートンは、試験ノイローゼの例を挙げます。不安な受験生は勉強するよりも、くよくよして多くの時間を浪費し、いざ試験に臨んでもうまくいかずに終わってしまうというのです。


こうしたことは実際に多くの社会過程で起きていて、私たちが客観的な実在の世界だけではなく、主観的な意味の世界にも生きていることを表わしています。
だから私は仮に根拠がないことでも、人を励ますことは無駄ではないと考えるのです。



というネタを考えついて、何かに使えそうだと思っているのだけれど、まだ使えていない。