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近代社会においてなぜ自殺が反道徳的かに関するデュルケームの記述

メモ


人格というものは、かれらの目に、神聖なもの、とくに神聖不可侵なものと映るようになった。たしかに、都市国家の体制のもとでも、個人は、すでに未開民族におけるようなかげのうすい存在ではなかった。当時から、個人には社会的価値が認められていた。しかし、この価値は、まったく国家に帰属するものと考えられていたのである。したがって、都市は、個人をどのようにも処分することができたが、個人には自分を意のままに処分するという同じ権利はなかった。だが今日では、個人は、一種の尊厳を獲得し、自分自身よりも、また社会よりも優越したところにおかれるようになった。個人が罪を犯したり、またその行為によって人間としての資格を失ったりしないかぎり、個人は、すべての宗教がもっている、神から由来するあの一種独特の性質、そしていっさいの死すべきものを神から引き離すところの性質になんらかのかたちで関与しているかにみえる。個人は、宗教性をおびてきた。人は、人びとにたいして一個の神となった。したがって、人にたいしてくわえられる侵犯は、われわれにとってすべて神の冒涜という結果を生む。ところで、自殺もその一つである。だれの手によってその一撃がくわえられたかは、さして問題ではない。自殺は、われわれの中にあるこの神聖な性質——他人のそればかりでなく、みずからのうちなるそれをも尊重しなければならない、そうした性質——を侵犯するということだけでも、嫌悪を招くのである。
 つまり、自殺は、われわれの道徳のすべての基礎をなしている人格尊重の精神を傷つけるために非難されるというわけである。

(中公文庫版『自殺論』[420-1])

この前の理論の読書会でYさんがまとめていたのはここか。ほうほう。


久々にめくったら、通して読み返したくなってきた。以前読んだときにはそれほど惹きつけられなかったのだが(プロ倫に比べてあまり面白くない本だと思った)。