宮台真司・飯田哲也『原発社会からの離脱―自然エネルギーと共同体自治に向けて』

1章 それでも日本人は原発を選んだ
2章 変わらない社会、変わる現実
3章 80年代ニッポン「原子力ムラ」担訪
4章 欧州の自然エネルギー事情
5章 2000年と2004年と政権交代後に何が起こったか
6章 自然エネルギーと「共同体自治」
7章 すでにはじまっている「実践」


原発をどうするか」から「原発をやめられない社会をどうするか」へ、が大きなテーマ。


山本七平が『「空気」の研究』で論じたような、合理的な基準ではなく、ある臨在観的に把握された判断基準により、抵抗するものを問答無用で「異端」とするようなコミュニケーションのあり方が問題意識としてある。
例えば、河野太郎が(原発すべてではなく)核燃料サイクルへの反対意見を表明しただけで、「河野太郎共産党だ」と言うような陣営帰属によるコミュニケーション。あるいは著者の一人である飯田哲也氏が、日本総研というコンサルの肩書をつければ「先生」と呼ばれて様々なところに呼ばれたのに、「環境NGO」という肩書では全く相手にされなかったという話に表れている。


原子力ムラ」の名づけ親でもある飯田氏の神戸製鋼・電中研での経験は、原子力ムラを内部からの
視点で描くことを可能にしており、かつそれを「絶対悪」と見なすだけでは問題が解決しないことを理解していて、冷静な議論に引きつけられる。


7章の様々な実践事例は面白かった。また、1996年に「市民によるエネルギー円卓会議」という場で高木仁三郎や、東電の当時の勝俣副社長などを含めた人々が、自然エネルギー増加やエネルギー政策の意思決定の場を開くことに合意していたのは、へー、という感じ。


宮台氏が少し前からしばしば言う、「ロハスは個人的ライフスタイルで、スローフードは社会的ライフスタイル。スローフードは共同体自治という観点から理解されなければならない。顔の見える身近な人間が相手であれば、食品偽装などしようとも思わない」というような話は然りと思う。それを支える宗教社会学的な条件の話までは分からないけれども。