アーヴィング・ゴッフマン『スティグマの社会学――烙印を押されたアイデンティティ』

スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ

スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ

ゴッフマンも解説だけで読んだふりをしている一人だ。
前に『儀礼としての相互行為』を100ページくらい読んで放置している。


ゴッフマンは日常で人々が出会い,相互作用する場において起きる表情や自然の変化,当惑に注目する。
その着眼点が面白い。ジンメルを読んでいる時に感じるのと似たような面白さだ。
体系的に理論化されているというよりは,エッセイのような感じを抱かせるところがある(ジンメルについて同様の批判をする人もいる)ものの,社会学は意味世界を探求する学問であるという立場からすれば,やはり学ぶべき点は多いはずだ。

 結論として私が再度述べておきたいことは,スティグマとは,スティグマのある者と常人の二つの集合(pile)に区別することができるような具体的な一組の人間を意味するものではなく,広く行なわれている二つの役割による社会過程(a pervasive two-role social process)を意味しているということ,あらゆる人が双方の役割をとって,少なくとも人生のいずれかの出会いにおいて,いずれかの局面において,この過程に参加しているということ,である。常人とか,スティグマのある者はとは生ける人間全体ではない。むしろ視角である。
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ゴッフマンはきわめて関係論的な立場をとっている。
これはゴッフマンが挙げている事例で言うと,スティグマのある個人が,時として同じスティグマのある個人に対して常人であるように振る舞うというものを思い浮かべるのが理解しやすかった。


全体としては3章の,「集団帰属と自我アイデンティティ」をもっとも興味深く読んだ。
スティグマのある個人は,一方では自己自身を周囲の人々とは違うところのない人間と定義し,同時に自己自身を周囲の人々とは別種の人間と定義している,という矛盾した感情についてのあたりである。

そう言えばこのあたりも,流行を追い求める人々は周囲の人々への同調と,周囲の人々からの個性化・差異化という矛盾した欲求を同時に持っているのだ,と論じたジンメルとの類似を思い浮かべてしまう。