ロールズの『正義論』についてのメモ

研究会で読んだGünther Schmidの論文で、ロールズの正義論に関する部分が、自分の中でやや曖昧だったので、メモ。

第一原理

各人は、平等な基本的諸自由の最も広範な全システムに対する対等な権利を保持すべきである。ただし最も広範な全システムといっても〔無制限なものではなく〕すべての人の自由の同様〔に広範〕な体系と両立可能なものでなければならない。

第二原理

社会的・経済的不平等は、次の二条件を充たすように編成されなければならない。
 (a)そうした不平等が、正義にかなった貯蓄原理と首尾一貫しつつ、最も不遇な人びとの最大の便益に資するように。
 (b)構成な機会均等の諸条件のもとで、全員に開かれている職務と地位に付帯する〔ものだけに不平等がとどまる〕ように。

第一の優先権ルール(他の何ものよりも自由が優先すべきこと)

正義の諸原理は、辞書式順序でもってランクづけられるべきであり、よって基本的な諸自由は自由のためにのみ制限されうる。これにかんしては二つのケース(事例・主張)が存在する。
 (a)<〔あくまでも平等に分配しつつも〕自由の適用範囲を縮減すること>(a less extensive liberty)を通じて、全員が分かち合っている自由の全システムを強化するものでなければならない。
 (b)<〔自由をいったん〕不平等に分配した上でその適用範囲を縮減すること>(a less than equal liberty)は、自由の適用範囲が縮減された人びとにとって受け入れ可能なものでなければならない。

第二の優先権ルール(公立と福祉よりも正義が優先すべきこと)

正義の第二原理は、効率性原理および相対的利益の総和の最大化原理よりも辞書式に優先する。そして公正な機会〔均等原理〕は、格差原理よりも優先する。これに関しては二つのケースが存在する。
 (a)機会の不平等が認められたとしても、それは機会が縮減された人びとの諸機会を増強するものでなければならない。
 (b)過度な貯蓄率が課されたとしても、それは〔後継世代のための貯蓄によって〕困窮生活を強いられる人びとの重荷を結局のところ軽減するものでなければならない。

Rawls(1971,1999=2010 [402-4])

つまり、パレート改善では誰の効用も悪化させずに少なくとも誰か一人の効用が改善していればよいのに対し、ロールズの正義の第二原理においては、資源の分配が変更される際には常に最も不遇な人びとの予期(expectations)を最大化するものでなければならない。



また、無知のヴェール(veil of ignorance)についてもメモ。

原初状態という着想は、合意されるどのような原理も正義にかなうよう公正な手続きを設定することをねらっている。その達成目標は、理論の基礎として<純粋な手続き上の正義>という概念を用いることにある。人びとを反目させ、自分だけの利益になるように社会的・自然的情況を食い物にしようという気を人びとに起こさせる、特定の偶発事の影響力を、何とかして無効にしなければならない。このためにこそ当事者たちは<無知のヴェール>の背後に位置づけられている、とここで想定しよう。多種多様な選択候補が各自に特有の状況にどのような影響を与えるのかを知らないまま、当事者たちはもっぱら一般的な考慮事項に基づいて諸原理を評価することを余儀なくされる。
 次に、当事者たちはある種の特定の事実を知らないと想定されている。第一に、自分の社会的地位、階級もしくは社会的身分を誰も知らない。また、生来の資産や才能の分配・分布における自らの運、すなわち自らの知力および体力などについて知るものはいない。また、当人の善の構想、すなわち自分の合理的な人生計画の詳細を誰も知らず、リスクを回避したがるのか楽観的なのか悲観的なのかといった自らの心理に関する特徴すら誰も知らない。これに加えて、当事者たちは自分たちの社会に特有の情況を知らない。すなわち、その社会の経済的もしくは政治的状況や、その社会がこれまでに達成できている文明や文化のレベルを彼らは知らない。原初状態の人びとは、自分たちが属しているのはどの世代であるのかについて、どのような情報も有してはいない。知識に対するこのように広範な限定が適切とされる理由の一端は、社会正義の問いが同世代に属する人びとの間だけでなく、世代間でも生じるところにある。たとえば、適切な資本貯蓄率や天然資源および自然環境の保全といった案件がそれにあたる。なおいちおう理論上は、遺伝子に介入する妥当な政策がありうるかという疑問も成り立つ。原初状態という着想を完遂するためには、こうした問題事例にあっても当事者たちは自分たちを敵対関係に追い込むさまざまな偶発事の中身を知ってはならない。自分たちがどの世代に属することになるとしても、その帰結を甘受する容易がある原理を当事者は選択しなければならない。

Rawls(1971,1999=2010 [184-6])

原初状態(original position)という純粋に仮説的な状況のもとで、合理的な人びとがなすであろう選択、という想定がなされている。