「休み?休みなんか要るんですか。だって勉強は労働じゃないでしょう」

http://shogipenclublog.com/blog/2014/06/07/sato/

―佐藤さんは、どのぐらい将棋に時間をかけたら「勉強」だと言うんですか。
 一日に少なくとも6、7時間は盤の前に座っていないとダメでしょう。研究会を含めてもいいですけどね。

 

―それは毎日ですか。
 もちろん、毎日ですよ。

 

―休みはないんですか。
 休み?休みなんか要るんですか。だって勉強は労働じゃないでしょう。

 

   羽生善治四冠は、『才能とは続けられること』の中で、「以前の私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていました。しかし今は、十年、二十年と、ひとつの物事をずっと長く続けること、継続することが、一番の才能ではないかと思います。」と書かれています。上記の佐藤康光九段のインタビューへの回答も、まさに上の意味での才能の端的な表れと見ることができるのではないかと思います。

 佐藤九段はあたりまえのように答えていますが、故米長邦雄永世棋聖は、『人間における勝負の研究』の中で、「プロが碁なり、将棋なりに、毎日一時間でも二時間でも打ち込むということは、実はめったにないのです。プロが勉強するときに要する集中力とか、密度というのは、ものすごいものなので、中年になっても、まだ毎日の研究を怠らないというプロはやはり少数派なのです。」と、毎日何時間も勉強を継続することがいかに困難であるかを書かれています。

  

 将棋ネタをもう少し。ここしばらくの日経新聞の朝刊で、第62期王座戦の第5局、羽生王座―豊島七段戦の観戦記を、Ponanza作者の山本一成さんが書かれていました。11/16の記事では、渡辺明二冠も驚いたという、終盤で羽生王座が竜切りから詰ませにいった局面が取り上げられていました。竜を引いても十分な局面で、あえて踏み込んだ手順について、「積極的にリスクを負うことが、将来のリスクを最小にする」という、羽生王座の哲学から解釈がなされていました。なるほどという思いです。
 上述の『才能とは続けられること』の中でも、「常に手堅くやり続けるのは、長い目で見たら一番駄目なやり方だと、私は思っています。将棋はどんどん変化していますから、勝率の高いやり方をずっと続けていると、もたなくなるのです。目の前の勝利は、とても大事なことではあるけれど、私はあえてリスクをとる。」と、語られていました。