Breen (1997) "Risk, Recommodification and Stratification"

Breen, Richard. 1997. "Risk, Recommodification and Stratification." Sociology 31: 473-89.

 Yさんたちと研究会をやりました。

 

要約

・本論文ではリスクの回避、リスクの移転、再商品化という3つの概念が検討される。
・福祉国家や核家族といった、これまでリスクの回避を可能にしてきたメカニズムが有効性を低減させ、個人とそのライフチャンスにおける再商品化が起きている。
・雇用関係の変化を事例として、特にサービス階級への影響について検証が行われる。

 イントロダクション

・比較的近年まで、個人にのしかかる市場のリスクは、家族、企業、あるいは福祉国家の制度がもたらす、「一般的な互酬性」(generalized reciprocity)によって、少なくともある程度は相殺されてきた。しかし、これら3つの領域のいずれも以前より有効性を失っている。
・福祉レジームは、市場の力から個人のライフチャンスを独立したものにすることで、個人を脱商品化(Esping-Andersen 1990)させる。市場におけるリスクを回避する装置(arrangements)が減退することで、この逆、すなわち「再商品化」(recommodification)が起きる。
・しかし、リスクの分配および再分配がどのように行われるかは、それまでに存在していた行為者間の異なる力関係に依存する。ここで重要な問いは、どのような行為者が増大したリスクに対して補償が行われるのかということである。

リスクと市場
・BeckやGiddensらは防御手段がほとんど存在しないようなグローバルなリスク、生命を危機にさらすリスクについて論じた。しかし、他の多くのリスクについては、コントロールが可能であると通常は考えられている。
・そうしたコントロールのメカニズムは、特に金融市場において発展している。金融経済学においては、分散可能な(diversifiable)リスクと、そうでないリスクを通常区別する。分散可能なリスクは適切なポートフォリオ選択によって回避可能なものであり、それを取ることによる報酬もまた小さい。
・一方で、リスクそれ自身の移転(transfer)を可能にする市場も存在する。この1つの方法はオプションである。これは買い手に対して、ある将来の時点における商品の購入権利を固定額で与えるものである。オプションの保有者は、この権利を行使するかどうかを、現時点での商品の市場価格とあらかじめ決められた固定額とを比較して決定する。
・オプションの買い手と売り手の関係は非対称であり、売り手の方は買い手がオプションを行使することに対して拒否ができない。売り手のリスクは、オプションの価格に上乗せされる。ここでは、潜在的な商品の価格についてのリスクが取り引きされている。価格の変動が大きい場合には、オプションのリスクもそれだけ大きくなるのである。
・リスクの回避と、オプションを用いたリスクの移転には重要な区別が存在する。リスクの回避は、損失(下方リスク)と利得(上方リスク)の両方のリスクを取り除くが、オプションによる移転は上方リスクを維持するのである。それゆえリスクの回避は対称的であり、オプションによる移転は非対称的である。
・リスクの回避とリスクの移転という概念の重要性は、金融市場にとどまらず拡張可能であるということを提案する。

福祉国家と核家族
・リスクを分散させる非市場的な制度設計は、Sahlinsが言うところの「一般的互酬性」を共通基盤に持っている。そこでは個人が得られる報酬は、その貢献に対して与えられるのではなく、また他者との交換に際しての詳細の収支が記録されるわけでもない。家族は、その成員のリスクを回避する上で、一般的互酬性の卓越した事例である。特に親が子どもが小さい頃に支え、子どもが老いた親を支えるという伝統的な家族設計においてもっとも明確に見られる。また別の事例は、公的な失業補償である。
・一般的互酬性に基づく制度は、長期間のコミットメントを必要とする。参加するかどうかが、コストと期待される利益の計算によるものであってはならない。家族においては経済的合理性よりも、愛情や愛着、義務感情に基づいた関係性が優越することが多い。しかし、失業補償や医療保険においては個人間の関係性というのは重要性を持たない。個人は道徳的、宗教的、政治的な信念によって、そうした制度の供給にたいしてコミットメントを持つのである。
・福祉国家の制度は、個人を結びつける要因としての力を失ってきており、制度が基盤としている一般的互酬性も危機に陥っている。これを引き起こしている重要な理由の1つは、供給されるサービスの質についての不確実性の増大である。しかし、公的なスキームがもたらす質についてリスクを感じて回避することで、個人と家族は新たな市場リスクにさらされることになる。こうして個人は再商品化される。
・脱商品化とは、個人が市場のリスクを回避することができる手段の供給を通じて確約されると、この論文では考えられる。そして再商品化とは、リスクの回避を可能にしていた制度やメカニズムが弱まることで起きる可能性のあるものである。家族は伝統的に脱商品化の中心的な役割を担ってきた。しかし、離婚率の上昇や片親家族の増加など、現代における家族構造の変化によって、脱商品化の能力は弱体化している。
・特に注目すべきは、伝統的な核家族が減少することに伴う、女性の雇用機会の増大である。労働市場における地位向上に基づく女性の自由の増加は、女性の再商品化という犠牲を払うことで達成されているのである。

リスクの移転
・いかなる長期的なコミットメントにも不確実性は伴う。グローバリゼーションは、Robertsonの言葉によれば、世界を「1つの場所」に変えようとする一連の行為プロセスであり、空間的(spatial)な不確実性は減少した。しかし、時間的(temporal)な不確実性は増大している。これは部分的には労働、資本、生産、金融市場における不安定性が実際に増大したことによるものであり、また部分的には予測技術に対する信頼の低下によるものである。時間的な不確実性の増大は、長期的なコミットメントの魅力を減少させ、「不確実で非対称的なコミットメント」(contingent asymmetric commitment)の魅力を増加させる。不確実で非対称的なコミットメントとは、オプション関係で表される。すなわち、一方は関係から手を引くオプションを持っており、もう一方はその決定に従うことしかできないような関係である。労働市場においてこの戦略は、パートタイム労働などによって雇用の柔軟性を得ようとしている雇用主によって追求されるようになってきている。これは雇用主が、必要なときにのみ労働者を維持するというように、労働の供給において実質的にオプションを獲得していることを意味する。このオプションは、リスクを労働者と将来的な労働者に対して移転させている。
・この状況は、雇用されている個人に対して、企業が市場リスクの回避手段として働く状況と対照的である。このカテゴリーの労働者は、根本的にはサービス階級である。しかし、「資本主義の黄金時代」とそれに続くしばらくの間は、多くの非サービス階級にも拡張されていた。経済成長、技能不足、強力な労働組合、国による福祉の提供がその理由である。この状況においては、企業と労働者は市場リスクを分かち合っていた。
・リスク回避をもたらす制度としての企業の役割が低下し、また企業と労働者の間にオプション的な関係が増大することは、雇用主の将来への期待がより不確実になることと関連させることができる。雇用主が将来についての確信を持っている時には、長期の雇用関係を維持する傾向がある。これはとりわけ、好況期には離職のコストが大きく、新たに労働者を雇うには取引費用が伴うためである。
・しかし将来への確信が減少し、コストの削減が必要になった場合には、従業員のサイズを必要に応じて調整できるという意味での柔軟性が強く重視されるようになる。ただし、こうした変化がどの程度に起きるかは、将来への不確実性だけには依存しない。それはまた、雇用主が持つ、長期的コミットメントと柔軟性がそれぞれもたらす利益のバランス感覚にも依存する。単純に言えば、将来が非常に不確実な時期においても、柔軟性がもたらす利益が存在しないと雇用主が感じるような仕事がある。企業や仕事によって異質性が存在するため、すべての雇用主が同じようにリスクの移転を行うわけではない。ゆえに、どのような種類の労働者が影響を受けやすい、あるいは受けにくいのかという問いが浮上する。

雇用関係
・企業が労働者に対して長期のコミットメントを行う状況のうち、重要なものの1つは、労働者の監視が困難、あるいは不可能な場合である。この問題はAkerlofやEdwardsらによって議論され、またGoldthorpeの階級分類におけるサービス階級の定義においても中心的な役割を担っている。Goldthorpeの階級分類においては、サービス階級とは上層ホワイトカラー労働者によって構成される中産階級であり、自営業や雇用主は含まない。Goldthorpeは、被雇用者の間に置く区別は、サービス関係によって規定される雇用と、労働契約に基づく雇用である。後者においては、賃金の根拠となる労働は非常に具体的であり、労働者は綿密に監視される。これに対してサービス関係は長期に渡り、労働も明確ではない。サービス関係とは、「擬似的な一般的互酬性」と表すのが最良かもしれない。すなわち、雇用主と被雇用者の双方がその関係から利益を引き出すことを期待しているものの、コストと利益のバランスは長期的に見た時にのみ達成されるというような関係である。
・サービス関係における戦略の一部は、労働者に高いレベルの報酬(効率賃金 efficiency wage)を与え、労働者の協力とコミットメントを引き出すことである。しかし、労働者が何を報酬として受け取るべきかと考えるかは、様々な要因に依存する。例えば、同僚や他の企業における同様の労働者が受け取っているものとの比較である。よって、労働者が許容できる最低ラインというのは、上がったり下がったりする。

サービス階級の未来
・他の労働者よりもリスクの移転に対しての影響を受けやすい労働者が明らかに存在する。もっとも影響を受けやすいのは、技能不足、あるいはすぐに置き換えが可能な労働者である。言い換えれば、雇用主が長期のコミットメントを持つ必要を感じない労働者である。これはGoldthorpeの階級分類においては、VIとVIIのマニュアル労働者と、IIIbの下層routineノンマニュアルがあてはまる。近年、中産階級の雇用の不安定性が増大しているというイメージから、サービス階級の未来についても議論が行われている。しかし、本稿の主張はサービス階級が、近年の雇用の不安定化の影響を受けづらいということである。この理由は、サービス関係が基盤としている情報の非対称性という根本的な問題は、頑健なものだからである。
・近年、サービス階級の地位を明示的・暗示的に脅かすような雇用主の戦略が様々に用いられている。予算や責任をこれまでよりも小さい単位にするような組織改革や、成果目標に対する達成度による新しい報酬形態などである。これらはすべて、サービス関係における情報の非対称性を克服しようとする試みである。しかし、こうした新しい方法においても、信頼や裁量というのはかなりの役割を担い続けるものであり、サービス関係の中心的な要素は維持されたままなのである。
・新たな報酬形態によるリスクがもっとも大きいのは、「中間的な」(intermediate)階級、すなわちGoldthorpeの階級分類においては、IIIのroutineノンマニュアル労働者と、IVの下層技術者およびマニュアル労働の監督者である。
・Williamsonは「取引費用」(transaction costs)アプローチは、企業がある機能を果たすことにおいて、なぜ外部の供給者との契約を結ぶのではなく、従業員によって行わせるのかを説明する。彼の説明は交換の種類に焦点を当てる。不確実性やコストが大きい取引は、より内部で行われやすい。一方で、1回限りの取引や簡単な取引は企業間で行われやすい。このWilliamsonの考えの問題点は、2つの取引における状況というのが、サービス関係と労働契約に基づく関係とも密接に重なるということである。よって、Williamsonの理論は、それまでサービス関係にもとづいて内部で供給されていた機能が、別の企業によって供給される可能性がどの程度にあるのかについて明確な答えを与えない。ここで、GranovetterによるWilliamsonの批判が有用である。Granovetterは、ある機能における需要と供給の関係はすべて、市場関係と社会関係に媒介されており、また社会関係は企業内だけではなく、企業間にも存在すると主張した。彼は、企業間を結ぶ人間関係のネットワークを欠如している場合に、ある機能の供給は、企業内で行われやすいと論じた。
・こうした議論は問いを反転させる。問題になるのは、「企業はなぜ内部契約から外部契約へ変化しているのか」ではなくむしろ、「なぜ企業は外部でも購入できるものについて、いまだに内部で供給するべきなのか」である。これには3つの結論がもたらされる。第一に、サービス関係を機会主義の問題を最小化するための方法と見た時に、企業間の関係でも同様の結果が得られるならば、雇用主は特定の機能について外部委託をする。第二に、外部委託がどこで起きるかを予測するには、その機能が何かだけではなく、企業間に行動規範(standards of behavior)を生み出すような関係が存在するかが重要である。第三に、内部か外部かという二分法は正しくない。企業間の関係についても異なった種類のものがある。実際のところ、企業間の関係について、擬似的なサービス関係を構築することによってのみ、企業内で提供されていたサービス関係に基づく機能は、外部委託できるのかもしれない。

結論
・雇用主と従業員の関係は、両者が保有する資源のバランスと、両者が直面する制約に依存する。よって、ゲーム理論的なアプローチを用いることができるかもしれない。この非協力ゲームにおいては、雇用主は労働の供給についてのオプションを保有することで、権力のバランスによって、常に雇用主が有利になる。こうして見ると、サービス関係というのは、この非協力ゲームに対する1つの「解決法」である。
・リスクの分配において中心的な問いは、人々が選択や制約を通して、どの程度により大きなリスクをとるのかということである。個人は別のリスクを相殺できるので、あるリスクを受け入れるのかもしれない(質のリスクに対する市場のリスク)。あるいは、高い報酬の可能性があるので、リスクを受け入れるのかもしれない。しかし、望ましくないリスクは行為者間において、その権力のバランスに応じて移転させられるのである。
・こうして最後の問いが浮かび上がる。リスクの移転がそれまでに存在する権力や資源の不平等に依存するのであれば、どの程度に社会階級の区別とリスクの分配は重なるのか。あるいは、リスクのレベルと分配の変化によって、Beckが述べたような新たな不平等の個人化が起こり、社会階級はとって代わられるのだろうか。Beckは、個人の「階級的」位置からは、もはや見た目や、社会的/政治的思想や、アイデンティティを判別することはできないと述べたが、彼は階級を主観的な現象として概念化している。一方で、現代の社会学における階級分析においては、階級とは資源の差異や行為の制約として概念化されている。こうした見方からすれば、個人を市場に関連付ける資源の差異は、人々の生活を決定づける重要な要因であるし、再商品化のプロセスの中においては、さらにそうなのである。