Manski (2004) "Measuring Expectations"

 Manski, Charles F. 2004. "Measuring Expectations." Econometrica 72:1329-76.

  経済学の分野では、個人の観察される選択に基いて、意思決定のプロセスを推測するということが行われてきました。そして、個人が不完全な情報に基づいて行為する場合には、個人が確率的な期待を形成すると仮定することが慣習的に行われています。しかし、著者は観察された選択は、選好と期待の異なる様々な組み合わせと両立するということを示し、特定化(identification)の問題が起こることを議論します。そして、この問題に対処するために、個人の主観的な確率期待についてのデータを組み合わせたこれまでの研究がレビューされます。

 様々な領域における研究の例が取り上げられていますが、学校教育へのリターンのところを見てみましょう。著者は、これまでの研究は個人の期待についてのデータを用いずに、様々な仮定を置いていることを論じます。

 Freeman(1971)における、大学の専攻についての意思決定の分析においては、それぞれの生徒は、上の世代の人々の収入を観察しており、ある専攻を選んだ場合には、上の世代におけるその専攻の人々の平均収入を得ることができるという信念を抱いていると仮定されているとのことです。

 Willis and Rosen(1979)は、若年者は性別、軍隊経験、能力を条件付けた上での生涯収入を知っており、これらを考慮した上で、大学進学への意思決定についての合理的な期待を形成することができるという仮定が置かれているとされています。

 Manski and Wise(1983)における大学進学の選択についての分析では、生徒は自らのSATスコアと、それぞれの大学における平均SATスコアについて考慮すると仮定され、上の世代におけるアウトカムは考慮されていないとのことです。

 著者は、このように先行研究において様々に異なる仮定が置かれてきたことを論じた上で、合理的な期待形成という仮定は、仮にそれが正しかったとしても、それだけでは個人の意思決定の特定化の問題を解決しないと主張します。教育の意思決定の例で言えば、個人は家族や友人や、過去に進学した人々のアウトカムについての観察を行った上で期待を形成するかもしれません。しかし、こうした人々が進学しなかった場合の、反実仮想的(counterfactual)なアウトカムについては観察されることはなく、しかしながらこうした反実仮想的なアウトカムについてどのような仮定を人々が置いているかということが、推論を行う上での根本的であるためだといいます。

  経済学者は一般的に主観的なデータに関しては懐疑的であるものの、著者は推論上の問題を和らげるために、それが有効であるということを論じています。例えば、ある事象についての主観的な確率を尋ねると、「0%, 50%, 100%」のように非常に大雑把な回答しか得られないのではないかという危惧もあったとのことですが、実際のデータではかなり細かい回答が得られているということなどが示されています。主観的な確率をデータに用いることについて、「用心することは賢明であるが、敵意を持つことは正当ではない。」("Caution is prudent, but hostility is not warranted.")と締めくくられています。