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ハワード・S・ベッカー(小川芳範訳)『ベッカー先生の論文教室』第6章「リスク」

 同僚を信頼するとはなんとむずかしいことなのでしょう。下手すれば嘲笑の的になるかもしれない。ええそうでしょう。でも問題はそれだけにとどまりません。これまで手がけたどんなちっぽけな仕事さえも、わたしがどんな社会学者(そして、どんな人物)であるかを明らかにする証拠となりうるのです。同輩たちはわたしの書いたものに目を通し、こう言うでしょう。「なんだ、たいしたことないじゃないか。オレの書いたもんのほうがまだマシだな。けっきょくは噂ほどでもないなこの娘」(かくして、わたしが人前で一端の社会学者としてふるまうのは詐欺的行為であると結論されることになります)。他人を貶める、しかも公けにそうすることで自分の不安感を消そうとする、そんな熾烈な競争原理のもとにわたしたちの学問分野は成り立っているのです。同輩の何の気なしの一言でさえが、学者としての自分のイメージを将来にわたって規定しかねない、(わたしたちのような駆け出しの無名の研究者は)そんな不安に四六時中悩まされるのです。その一言が批判的、否定的なものだったら、これ以上の危険はありません。だから、どんな種類の草稿だろうと、同輩に手渡すのは途方もなく大きなリスクを伴うのです。作業中草稿の何たるかを知る人はまずいません。初稿というのは査読へ出すほんの一歩手前の原稿くらいに思い込んでいる人が大半です。ですから、作業途中の原稿を携えて同輩のドアをノックするときには、これからどんなことになるのだろうかと胸は不安でいっぱいに決まっています。ぱっとしない仕事、構成も雑だし、ずさん、と断じられかねません。それで彼らがあなたに下す最終判断は? こんな屑みたいな原稿を回覧しているようじゃ、こいつは社会学者として大したことないな。ピリオド。これを言いふらされでもしたら……。

(pp.165-6) 

  ハワード・ベッカーの長い知己である、犯罪社会学者のパメラ・リチャーズの手紙が引用されている箇所です。研究者にとって、書くことに伴うリスクについて、研究者の競争原理という観点から記述されています。

 リスクの存在にもかかわらず、書いて同僚からの評価を受けることは重要であること、またリスクを引き受けるには、信頼を置く人たち(「おまえはだいじょうぶだ」の一言をかけてくれる人たち)の存在が必要であることが、この後に論じられます。