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Ritzer and Stepnisky. 2013. Sociological Theory 9th Edition. Chapter 3. "Emile Durkheim". pp.84-91.

メモ

Ritzer, George and Jeff Stepnisky. 2013. Sociological Theory 9th Edition. McGraw-Hill.

 

  •  社会分業論(The Division of Labor in Society)

・『社会分業論』(1893年)は、社会学の最初の古典と呼ばれる。デュルケームはこの著作の中で、個人と社会の近代的な関係について探った。特に、当時の多くの人々が近代における道徳の崩壊だと見なしていたものを検証するために、デュルケームは社会学という新しい科学を用いたいと思っていた。
・デュルケームが生きていた頃のフランスは、道徳が崩壊しているという感情が人々に広がっていた。フランス革命は、個人の権利の強調をもたらすことになった。その権利とは、しばしば伝統的な権威(traditional authority)と宗教的な信念(religious belief)に対する攻撃として現れた。19世紀の半ば頃までに、人々が自分自身のことのみを考え、社会のことを考えないために、社会秩序(social order)が脅かされていると多くの人々は、感じていた。100年以内の間に、フランスは3つの王政、2つの帝政、3つの共和政を経験した。
・オーギュスト・コントは、これらの出来事について、分業の増加に原因を求めることができると主張した。単純な社会においては、人々は農耕のように基本的に同じ物事を行う。また、人々は共通の経験を持っており、それゆえに共通の価値観を持つ。これに対して近代社会では、誰もが異なる仕事を行い、共通した経験を持たない。この多様性は、社会にとって必要な道徳的な信念を弱めるものである。コントは、社会学は社会の結合(cohesion)を回復させるような新しい擬似宗教(pseudo-religion)を作り出すべきだと提唱した。『社会分業論』はかなりの程度において、コントの分析に対する反論である。
・『社会分業論』における命題は、近代社会は、同じ物事を基本的に行う人々の共通性によってまとまっているのではない、というものであった。そうではなく、分業それ自体が、人々を互いに依存しあうように強制することで、人々をまとめているというのである。分業とは経済的に必要で、連帯感情(the feeling of solidarity)をむしばむもののように見える。しかし、デュルケームは分業がもたらす経済的な貢献は、道徳的な効果に比べれば重要ではないと主張する。

 

  • 機械的連帯と有機的連帯(Mechanical and Organic Solidarity)

・デュルケームは、社会的連帯が生み出される方法の変化、あるいは社会がまとまり、その成員が自身を全体の一部だと見なすようになる方法の変化に大きな関心を持っていた。この変化を捉えるために、デュルケームは2つの種類の連帯、すなわち機械的連帯と有機的連帯に言及した。機械的連帯によって特徴付けられ社会は、人々が万能家(generalist)であるために結合している。これに対して、有機的連帯に特徴付けられる社会は、全員が異なる仕事と責任を持つという、人々の間の違いによってまとまっている。
・近代社会における人々は、相対的に狭い範囲の仕事を行っているので、生存のためには他の多くの人々が必要である。デュルケームの考えによれば、近代社会は、人々の専門化(specialization)と、他の人々が行う仕事への必要(need for service)によって団結している。この専門化には個人だけではなく、集団、構造、制度もまた含まれる。
・デュルケームは原始的(primitive) な社会は、より強い集合意識(collective conscience)、すなわち共有された理解、規範、信念を持っていると主張した。有機的な社会は、共有された強力な集合意識よりも、分業と、他者がもたらす機能への必要によって結び付けられている。ただし、有機的な社会においても、集合意識は個人の差異を許容するという、弱い形で存在している。
・アンソニー・ギデンズは、2つの社会における集合意識は、4つの次元で異なっていると指摘する。それは、量(volume)、強度(intensity)、厳密性(rigidity)、内容(content)である。量とは、集合意識に含まれる人々の数である。強度とは、人々が集合意識をどれだけ強く感じるかである。厳密さとは、集合意識がどれだけ明確に定義されるかである。内容とは、集合意識が2つの社会に取り込まれる形態のことである。

 

  • 動的密度(Dynamic Density

・分業とは、デュルケームにとって物質的な社会的事実(material social fact)であった。なぜならばそれは、社会的世界における相互作用だからである。社会的事実とは他の社会的事実によって説明されなければならないものである。デュルケームは、機械的連帯から有機的連帯への移行は、動的密度によるものだと考えた。この概念は、社会における人々の数と、その間に起こる相互作用の量について触れるものである。より多くの人々がいるということは、希少な資源(scarce resources)に対する競争の増加を意味し、またより多くの相互作用は社会における似通った要素における生存闘争の増大を意味する。
・動的密度に伴う問題は、差異化(differentiation)と、新しい形の社会組織(social organization)の出現によって解決される。分業の発生は、人々がお互いに対立しあうのではなく、補完(complement)しあうことを可能にする。
・ここから、機械的連帯と有機的連帯の最終的な違いの1つが明らかになる。有機的連帯に基づく社会では、より少ない競争とより多くの差異化によって、人々がより協調し、共通の資源基盤(resource base)によって支えられることが可能になる。それゆえ、差異は、共通性よりもさらに緊密な結合を可能にするのである。個別性(individuality)とは、緊密な社会結合に対立するものではない。むしろ社会結合のための要件なのである。

 

  • 抑止的法律と復原的法律(Repressive and Restitutive Law)

・分業と動的密度は、物質的な社会的事実である。しかし、デュルケームの主要な関心は連帯の形態であり、それは精神的な社会的事実である。これを科学的に研究するために、デュルケームは機械的連帯と有機的連帯による社会をそれぞれの法に注目をした。
・デュルケームは、機械的連帯による社会は、抑止的法律によって特徴づけられると主張した。この種類の社会においては、人々はとても似通っており、共通道徳を強く信じているので、共有された価値システムに対する侮辱は、大半の個人にとって重要性を持つ。よって、不法行為者は集合的な共通道徳を侵害したことにより、罰せられる。例えば、窃盗を働いたものは両手を切り落とされ、冒涜を働いたものは舌を切除される。
・これに対して、有機的連帯による社会は、復原的法律によって特徴づけられる。これは、不法行為者に対して、原状の回復を求めるものである。こうした社会では、犯罪は道徳システムそれ自体に対してではなく、特定の個人や社会の一部に対して行われたと見なされる。有機的な社会においては、共通道徳は弱くしか存在していないため、法律の違反に対して、人々は感情的に反応しない。よって、有機的な社会においては、犯罪者の行為によって傷つけられた人に対してのみ回復行為を行うように求められる。
・まとめると、『社会分業論』において、近代社会においては道徳的な連帯の形態が変化したのであり、消えてしまったわけではないと、デュルケームは主張した。

 

  • 正常と病理(Normal and Pathological)

・おそらく、デュルケームの主張でもっとも議論を呼ぶのは、社会学者は正常な社会と病理的な社会を区別できるというものだろう。
・この考えは当時から攻撃され、今日でも同意している社会学者は少ない。また、デュルケーム自身も、『社会学的方法の規準』の第2版の序文において、この考えを意味のないものだと論じた。
・しかし、デュルケームのこの主張の中に1つ、興味深い発想がある。それは、犯罪は病的なものではなく、正常なものだというものである。デュルケームは、犯罪はどの社会にも見られるものであるから、それは正常で、また有用な機能を持っているはずだと主張した。犯罪とは、社会が自らの集合意識を定義し、その輪郭を描くことに役立っているというのである。
・『社会分業論』において、彼は病理という考えを用いて、近代社会におけるいくつかの「異常な」(abnormal)分業の形態を批判した。彼は3つの異常な形態を割り出した。すなわち、(1)アノミー的分業、(2)拘束的分業、(3)非協調的な分業である。デュルケームは、コントらが近代における道徳の崩壊だとみなした分業とは、実際にはこうした分業の異常形態だと主張した。
・アノミー的分業とは、孤立した個人を賞賛し、かつ人々が何をすべきかについて言うことを控えるような社会において、規制が存在しないことで起きる。デュルケームはこのアノミーという概念を、自殺についての研究で発展させる。
・分業は近代社会における結合の源であるものの、共通道徳の弱まりを完全に埋め合わせることはできない。個人は、高度に専門化された活動の中で、切り離されてしまうことがある。これがアノミーの発生である。有機的社会は、この特有の「病理」に陥りやすい。しかし、デュルケームはこれを異常な状況だと考えていたことに注意すべきである。近代社会は、人々を孤立化した意味のない仕事に割り当てるのではなく、道徳的な相互作用を増大させることができる可能性を持っているのである。
・デュルケームは、人々が何をすべきかを教えるような規則と規制が必要だと考えていた。しかし、彼が言う第二の異常な形態は、対立と孤立を生み、アノミーを増やすような規律についてのものである。彼は、これを拘束的分業と呼んだ。この病理は、時代遅れの規範や期待が、個人・集団・階級を、不適当な地位へと強要することをいう。
・最後に、異なる人々によって行われる専門化された機能が、うまく調整されていない時に、第三の異常な形態が現れる。デュルケームは再び、有機的連帯は人々の相互依存から生じるということを主張する。人々の専門化が相互依存を増やさず、単に孤立化している時には、分業は社会的連帯をもたらさないのである。

 

  • 正義(Justice)

・近代社会は、差異が相互依存を促進する限りにおいて、まさにその差異によって結合している。デュルケームにとってここで重要なのは、社会正義であった。デュルケームは社会関係をより公平なものとし、社会にとって有用な力が自由に発展することを保証することが近代社会における理想になると考えていた。