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Ritzer and Stepnisky. 2013. Sociological Theory 9th Edition. Chapter 3. "Emile Durkheim". pp.92-111.

メモ

Ritzer, George and Jeff Stepnisky. 2013. Sociological Theory 9th Edition. McGraw-Hill.

 

自殺論(Suicide)

・デュルケームによる自殺の研究は、社会学者がどのように理論と調査をつなげるべきかについてのパラダイム的な事例であると、マートンは言っている。実際、デュルケームは、『自殺論』のまえがきにおいて、特定の社会問題の理解について貢献するだけでなく、新たな社会学的な方法の事例であるということを明確に述べていた。
・デュルケームが自殺を研究対象に選んだのは、それが比較的に具体的で明確な現象であり、また良質なデータが利用可能だからであった。しかし、デュルケームにとってもっとも重要な理由は、自殺という一般的に、私的で個人的と考えられている行為に対して、社会学という新たな科学の力を証明することにあった。
・デュルケームは、ある特定の個人がなぜ自殺をするかの研究は、心理学者の仕事であると考えていたので、興味がなかった。デュルケームが興味を持っていたのは自殺率の違いを説明することであった。心理学的・生物学的な要因は、ある集団のある個人がなぜ自殺するのかを説明するかもしれない。しかし、ある集団が別の集団よりもなぜ高い自殺率を示すかについては、社会的事実のみが説明するとデュルケームは考えた。
・デュルケームは自殺率を評価する上で、2つの関連する方法を提案した。1つは、異なる社会や、異なるタイプの集合体(collectivities)を比較することである。もう1つの方法は同じ集合体の異なる時点の変化を見ることである。どちらの方法においても、論理は本質的に同じである。もし自殺率にばらつきがあるならば、それは社会学的要因のばらつきの結果によって生じているというものである。
・デュルケームは『自殺論』において、自殺の原因についての異なる一連の発想の検証と否定から始めている。この中に含まれるのは、精神病理・アルコール中毒・人種・遺伝・気候である。これらのすべての主張が説得的なわけではない。しかし、重要なのはデュルケームの方法が、彼が無関係な要因と考えたものを実証的に退けることによって、もっとも重要な原因変数であると想定されたものにたどり着いていることである。
・さらに、デュルケームは同時代のフランスの社会心理学者である、タルドの模倣(imitation)理論を検証し、否定している。模倣理論は、人々が他者の行為を模倣することによって自殺が起きると主張する。この社会心理学的アプローチは、デュルケームの社会的事実による説明に対する、重要なライバルであった。デュルケームは、模倣が真に重要であれば、自殺率が高い国に国境を接している国はまた、自殺率が高いはずだと主張した。しかし、データを検証すると、そうした結果は見られないのである。
・デュルケームは、自殺率の違いを説明する重要な要因は、社会的事実のレベルの違いに存在すると結論づける。異なる集団は、異なる集合的感情(collective sentiments)を持ち、またそれによって異なる社会的潮流(social currents)が生み出される。個人の自殺についての意思決定に影響するのは、この社会的潮流である。

 

  • 4つのタイプの自殺(The Four Types of Suicide)

・デュルケームの自殺の理論については、自殺のタイプと彼が想定した2つの社会的事実の関係を調べることで明確になる。その2つの社会的事実とは、統合(integration)と規制(regulation)である。統合とは、人々が社会に対して持つ愛着(attachment)の強さのことである。規制とは、人々に対する外的な拘束の程度のことである。デュルケームにとって、これら2つの社会的潮流は連続的な変数であり、自殺率はこれらの潮流が強すぎたり弱すぎたりすることで、上昇するのである。

 

自己本位的自殺(Egoistic Suicide)
・自己本位的自殺は、個人がより大きな社会的な構成単位(social unit)に統合されていない社会や集団においてよく見られる。統合が欠けていることで、個人は社会の一部でないという感情を持つことになる。また、これは社会が個人の一部でないということも意味する。デュルケームは、人間の最良の部分、すなわち道徳、価値、目的意識といったものは、社会に由来するものだと考えた。
・社会統合が欠けていることで、独特の社会的潮流が生み出され、この潮流が自殺率の違いを生み出す。強く統合された集団は、自殺を妨げる。デュルケームは、宗教団体は一連の信念や習慣によって、人々を自己破壊的な願望から守ると考えた。
・しかしながら、デュルケームは、すべての宗教が同じ程度に自殺から守ってくれるわけではないことを示した。プロテスタンティズムは、教会よりも個人の信仰を強調し、共同的な儀式が欠けているため、自殺からの保護が小さいのである。彼の議論で主要な点は、宗教上の特定の信念ではなく、統合の程度こそが重要だということである。
・デュルケームが出した統計はまた、次のようなことを示している。未婚者、すなわち家族への統合が小さい人々では自殺率が上昇する。また、戦争や革命のように革命的・愛国的な熱情が、人々により大きな生の意味を与える政治的な危機においては自殺率が低下する。デュルケームは、これらに共通する唯一のものは、統合の感情である。
・興味深いのは、デュルケームは、自己本位的な自殺、すなわち個人が社会的な拘束から自由と考えられるような場合にも、社会的な力の重要性を確認しているということである。それぞれの行為者は、決して集合的な力から自由ではないというのである。

 

集団本位的自殺(Altruistic Suicide)
・自己本位的自殺は社会的統合が弱すぎるときに起きやすいのに対して、集団本位的自殺は社会的統合が強すぎるときに起きやすい。個人は文字通り、自殺を強制されるのである。
・集団本位的自殺の悪名高い例は、1978年のガイアナにおける、ジム・ジョーンズ牧師の自殺に対する、大量の後追い自殺である。住民は毒入りの飲み物を意図的に飲み、またいくつかの事例においては自らの子どもにも飲ませた 。人々は、ジョーンズの熱狂的な支持者の社会にとても強く統合されていたため、自殺を行ったのである。デュルケームは、集団本位的自殺が、殉教者や軍隊における自殺にも見られると述べている。集団本位的自殺を行う人々は、それが自らの義務(duty)だと感じるために、自殺をするのである。
・自己本位的自殺が「治すことのできない退屈(incurable weariness)と惨めな絶望(sad depression)」から来るのに対して、集団本位的な自殺は、「死後の世界の美しさへの希望」から生じている。

 

アノミー的自殺(Anomic Suicide)
・アノミー的自殺は、社会における規制力が崩壊しているときに起きやすい。規制の崩壊によって、個人は自らの感情の統制ができず、欲望を満たすことへの絶え間ない競争に駆り立てられる。よって人々は不満におちいる。アノミー的自殺の上昇は、規制の破壊が好ましい場合(例えば経済の好況)にも、好ましくない場合(経済の不況)にも起きる。経済の不況についての場合は理解しやすい。不況による工場の閉鎖は、個人を失業に至らせ、個人は会社や仕事がもたらしていた規制の効果から切り離される。
・より理解が難しいのは、経済の好況による効果である。デュルケームは、個人が突然成功することによって、伝統的な構造から切り離されるという例を用いる。個人はそれまでの仕事をやめ、新たな共同体に移り、あるいは新たな配偶者を見つけるかもしれない。こうした状況で、人々の活動は規制から解放され、さらには夢が制限されることがなくなる。
・デュルケームによれば規制から自由になった人々は、自らの感情に対する奴隷になっており、その結果として自殺を含む様々な自己破壊的な行為に及ぶのである。

 

宿命的自殺(Fatalistic Suicide)
・4つのタイプの自殺のうち、あまり触れられていないのが宿命的自殺であり、脚注で触れられているにすぎない。宿命的自殺は、規制が過剰である場合に起きやすい。宿命的自殺の古典的な事例は、奴隷が自らの行為がすべて抑圧されていることで希望を失い、自らの命を断つというものである。
・デュルケームは社会的潮流が自殺率の変化を起こすと議論したことによって、社会的潮流が単に個人の集積ではなく、固有の(sui generis)力を持っていることを示した。なぜなら社会的潮流は個人の意思を支配しているからである。

 

  • 自殺率と社会改革(Suicide Rates and Social Reform)

・デュルケームは、自殺を防ぐためにどのような改革が可能かについての検証を行うことで、『自殺論』を締めくくっている。デュルケームは個人を直接に説得することは無駄だと考えた。というのも、自殺の真の原因は社会に存在するからである。
・もちろん、まず問われるべきは、自殺が広く見られる現象である中で、自殺は防がれるべきかどうか、あるいはデュルケームが正常だと呼ぶ現象の中で重要なものかどうかということである。経済の好況がアノミー的自殺を増やすからといって、すべての好況をなくしてしまいたいとは思わないだろう。また、自己本位的自殺を増やすからといって、個人の尊重をやめるべきとも思わないだろう。同様に、集団本位的自殺は、共同体の他者に対する犠牲という美徳に由来するのである。
・デュルケームは、自殺の中には正常なものもあると認める。しかし彼は、近代社会においては、自己本位的自殺とアノミー的自殺の病理的な増加が起きていると主張する。彼の立場は、『社会分業論』に戻って確認することができる。彼は近代におけるアノミーは、分業の異常形態によるものであり、人々は相互依存(interdependence)ではなく孤立(isolation)していると主張した。必要なのは、自殺を過度に増加させることなく、近代の良さを維持すること、すなわち社会的潮流のバランスをとることなのである。
・個人と社会をつなげる既存の制度は、失敗してきており、デュルケームはそれらに希望を見出していなかった。近代国家は個人からは遠すぎ、教会は統合をもたらす力を失っており、さらには家族でさえ失敗している。
・デュルケームは、職業集団(occupational groups)による、異なった制度が必要であると考えた。ここで重要なのは、彼が社会問題に対して社会的な解決を提案したということである。

 

『宗教生活の基本形態』

  • デュルケームの初期/後期の理論

・『宗教生活の基本形態』の話に入る前に、デュルケームの着想がどのようにアメリカ社会学で受け止められたかについて、いくつか述べるべきである。デュルケームは現代における社会学の「父」であると述べたが、この地位が与えられたのは、タルコット・パーソンズによるところが大きい。またパーソンズはその後のデュルケームの評価にも影響を与えている。
・パーソンズは、デュルケームが『自殺論』と『宗教生活の基本形態』の間で、理論的な変化を経験していると述べた。初期のデュルケームは基本的に、自然科学の方法を社会の研究に当てはめようとした実証主義者(positivist)であるという。一方で、後期のデュルケームは、集合的な理念の変化を社会の変化にたどろうとした、観念主義者(idealist)であるという。
・この時代区分にはいくぶんかの真実が含まれているが、大きな理論的な変化というよりも、焦点の変化のように思われる。たしかに『自殺論』以後、宗教の問いはデュルケームの社会学理論においてもっとも重要なものとなっていた。しかし、これを観念主義の一形態と見るのは間違いである。実際のところ、デュルケームは、宗教的な信念が儀礼のような社会的習慣によるものであると考えていたため、むしろ自分が唯物論者(materialist)だと見なされることを心配していた。
・デュルケームがしばしば心理学とは対置して社会学があることを主張したため、デュルケームは社会的事実がどのように人間が行為する際の意識に影響しているかについて、何も述べていないと多くの人々は批判するようになった。しかし、デュルケームの究極の目標は、個人はどのように社会的事実によって形成されているかを説明することであった。『宗教生活の基本形態』において、彼は社会的事実と人間の意識の関係について述べるために、儀礼と沸騰の理論を提案した。

 

  • 宗教の理論―聖と俗(Theory of Religion―The sacred and the profane)

・『宗教生活の基本形態』についてレイモンド・アーロンは、デュルケームの著作の中でもっとも重要で、深遠で、オリジナルなものであると述べており、ランドール・コリンズとマイケル・マコウスキーは、「おそらく20世紀でもっとも偉大な本」であると述べている。デュルケームはこの著作において、宗教社会学と知識理論の双方を前進させた。簡単に言えば、宗教が持ち続けている本質は、聖なるものと世俗のものを分離することにあることを見出した。聖なるものは、社会の道徳的な力を、宗教的なシンボルに変換するような儀礼によって生み出される。デュルケームが行ったもっとも大胆な主張は、理解のカテゴリー、すなわち分類、時間、空間、因果といったものが宗教的儀礼に由来するために、この道徳的結合が認知的結合になるというものである。
・デュルケームの宗教理論によれば、社会は(個人を通じて)、ある現象を聖なるもの、別の現象を俗なるものと定義することによって、宗教を作り出す。聖なるものは崇拝(reverence)、畏怖(awe)、義務(obligation)の念を呼び起こす。デュルケームにとっての問いは、これらの感情の源泉は何かであった。
・彼は宗教の本質を維持しつつ、一方でその社会学的現実を暴露しようとした。デュルケームは、マルクス、ヴェーバー、ジンメルと異なり、すべての宗教は幻想でしかないという考えを拒否した。それだけ広く見られる社会現象にはいくぶんかの真実が含まれているに違いないというのである。しかし、その真実とは当事者に信じられるているものと一致するとは限らない。信仰者たちに霊感を与えるような超常的な道徳の力というのは確かに存在するが、それは神ではなく社会なのである。デュルケームは、宗教は自らのうちに社会それ自体を体現していると主張した。宗教とは、それによって社会が自らを意識するためのシンボルのシステムである。

 

信仰、儀礼、教会(Beliefs, Rituals, and Church)
・宗教の発達において、聖と俗の区別を行い、社会生活のある側面を聖なるものとして引き上げることは、必要条件ではあるが、十分条件ではない。さらに3つの条件が必要である。第一に、一連の宗教的信仰が必要である。第二に、一連の宗教的儀礼が必要である。第三に、教会、あるいは単一の包括的な道徳的共同体が必要である。これらの関連によって、デュルケームは宗教を次のように定義する。「宗教とは、信念と行事との連帯的な体系、教会と呼ばれる同じ道徳的共同社会に、これに帰依するすべての者を結合させる信念と行事である」。
・儀礼と教会は、社会的な表象を個人の実践(practices)に結びつけるので、デュルケームの宗教理論において重要である。デュルケームはしばしば、社会的潮流は何らかの伝染(contagion)を通じて単純に個人の中に入ってゆくと想定していた。しかし、ここではどのようにしてそのプロセスが働くかの可能性を詳しく説明している。また、後に述べるように個人が理解のカテゴリーを身につけるやり方についても、儀礼や教会的な共同体への参加によるものなのである。

 

  • なぜ原始的社会なのか(Why Primitive?)

・『宗教生活の基本形態』で用いられるデータの多くは、オーストラリアの氏族に基づく部族社会についての研究であり、デュルケームはこれを原始的文化と表わしている。今日、ある文化が他の文化よりも原始的であるということについて私たちはとても懐疑的であるが、デュルケームはいくつかの理由において、「原始的」文化に限定して研究を行いたいと思っていた。第一に、原始的な宗教においてはイデオロギーのシステムがより単純で、洞察が得やすいからである。第二に、近代社会における宗教はより多様な形態をとるのに対して、原始的な社会においては「理知的・道徳的な一体性」が存在するからである。すなわち、共通の信念を共通の社会構造に結びつけやすいからである。
・デュルケームは、社会がより専門化してゆくことによって、宗教はだんだんと小さな領域しか占めなくなってゆくことを認識していた。しかし、彼はまた、近代社会におけるほとんどの集合的表象は、原始的社会における包括的宗教に起源を持っていることを主張した。

 

  • トーテミズム(Totemism)

・トーテミズムとは、ある動物や植物を聖なるものと見なし、氏族の象徴とするような宗教的システムである。デュルケームは、トーテミズムがもっとも単純で原始的な形態の宗教であり、また氏族という単純な形態の社会組織と関連していると考えた。
・デュルケームは、トーテムは氏族そのものの表象であるに他ならないと主張した。氏族の集まりという社会的な力によって活力の高まりを経験した個人は、この状態の説明を探し求めるようになる。集まりそのものが真の原因なのであるが、しかし今日においてでさえ人々はこの力を社会に由来するものだとはしたがらないと、デュルケームは考えた。そうではなく、氏族における個人は、この活力を氏族のシンボルに誤って結びつけるのである。
・原始的宗教の研究としては、デュルケームの解釈の個別な点については批判がなされている。しかし、トーテミズムがもっとも原始的な宗教ではないとしても、デュルケームが宗教、知識、社会を結びつける新たな理論を発展させる上での最高の手段となっているのである。
・トーテミズムにおいては、トーテムというシンボル、動物または植物、氏族における人々という3つが相互に結び付けられている。こうしてトーテミズムは、部族という社会組織を反映したものであるところの、自然における物体を分類ことを可能にしている。デュルケームはこれによって、自然を認知的なカテゴリーへ分類する能力が、宗教的、また究極的には社会的な経験によるものであると主張することができた。

 

  • 知識社会学(Sociology of Knowledge)

・初期のデュルケームは、社会学を哲学から区別したいと考えていたが、『宗教生活の基本形態』の段階では、哲学上のもっとも困難な問題に対して、社会学が答えられることを示したいと考えていた。哲学においては、どのようにして人間がその感覚印象(sense impressions)から概念を発達させることができるかについて、2つの一般的モデルが存在する。1つは経験論(empiricism)と呼ばれるもので、概念というのは単に感覚印象の一般化されたものであると主張する。この学派における問題点は、ある感覚印象をまとめて一般化するためには、さらにそれに先立つ概念、すなわち空間、時間、カテゴリーなどが必要であるように見えることである。よって、もう1つの学派である先験論(apriorism)は、人間は理解のカテゴリーを持って生まれているのであると主張する。しかし、デュルケームは、これが何も説明していないと考えた。
・デュルケームは、人間の知識は単に経験の産物であるだけではなく、また人間は経験に適用される知的なカテゴリーを持って単に生まれるわけでもないと考えた。そうではなく、人間が持つカテゴリーとは社会的につくり出されるものであり、集合表象なのである。マルクスはすでに知識の社会学を提案していたが、それはイデオロギーという社会によって歪められた知識についてであった。デュルケームははるかに強力な知識社会学をもたらした。

 

理解のカテゴリー(Categories of Understanding)
・『宗教生活の基本形態』では、6つの根源的なカテゴリーの社会的起源を議論した。すなわち、時間、空間、分類、力、因果、全体性である。時間は、社会生活のリズムに由来する。空間のカテゴリーは社会によって占められる、空間の分割によって発展する。トーテミズムにおける分類が人間の集団に結びついていることはすでに議論した。力は、社会的な力の経験による。模倣的儀礼は、因果概念の起源である。そして、社会はそれ自体が全体性の表象である。
・人間の持つ抽象概念が社会的な経験に基づいているとはいっても、人間の思考が社会に決定されているというわけではない。社会的事実は他の社会的事実から現れるものであるが、その後の発展は自律的である。
・自律的な発展にもかかわらず、ある種のカテゴリーは普遍的で必然のものである。これらのカテゴリーは社会的な相互作用を促進するために発展するものであり、これがなければ社会生活は消滅してしまう。

 

  • 集合的沸騰(Collective Effervescence)

・もっとも根源的な道徳的・認知的カテゴリーが変化、あるいは新しく生み出される場合がある。デュルケームはこれを「集合的沸騰」と呼んだ。この概念は他の著作においても詳しく説明されていない。歴史における重要な瞬間に、集団が新たな高いレベルにおける、精神高揚を経験し、またそれが社会構造の大きな変化をもたらすということを思い描いていたようである。宗教改革とルネッサンスは、集合的沸騰が社会構造に際立った変化を与えた例かもしれない。
・デュルケームの宗教理論を要約すれば、宗教、神という概念、そして聖なるものすべての源泉は社会だということである。本質的に、聖なるもの、神、社会は1つであり、同じものなのである。デュルケームの知識理論を要約すると、人間のもっとも根本的カテゴリーは、すくなくとも初期においては、宗教的儀礼を通じて社会が生み出す集合表象だということである。宗教は社会と個人をつなぐものなのである。

道徳教育と社会改良 (Moral Education and Social Reform)

・デュルケームは自身を政治的であるとはとらえておらず、また党派政治は科学的客観性と両立しないものとして避けていた。しかし、彼は特定の社会の改良を提案することは躊躇せず、特に教育および職業集団についてはそうであった。
・デュルケームは近代社会における問題は、一時的な異常であって、本質的な困難ではないと考えた。それゆえ、彼は社会改良を信じたのである。また彼は、保守・ラディカルの双方の立場に反対した。
・デュルケームの改良的アプローチは、社会はあらゆる道徳の源泉であり、また社会は個人を道徳的に方向づけることができる必要があるという事実に由来するものであった。

 

  • 道徳(Morality)

・前にも述べたように、デュルケームの中心的な関心は道徳であった。しかし、彼の道徳についての理論を、典型的なカテゴリーにそって分類するのは難しい。一方で、彼は倫理的規則は他の社会的事実によって変化すると考えた道徳的相対主義者(moral relativist)であった。他方で、彼は個人が新たな道徳を単純に作ることはできないと考えた伝統主義者(traditionalist)であった。
・デュルケームにとって道徳は3つの要素を持つ。規律、社会への愛着、自律性である。

 

規律(Discipline)
・デュルケームは基本的に、個人の利己的衝動(egoistic impulses)への制約(constraint)という観点から規律を議論している。個人の利益と社会の利益は対立することがあるので、こうした制約は必要である。規律は、個人にとっての道徳的義務、すなわち社会にとっての義務としてつきつけられる。また、これまでに議論したように社会的な規律は、個人の絶え間ない願望を制限することで、個人を幸福にするものでもある。

 

愛着(Attachment)
・デュルケームは道徳を単に制約の問題だと考えたわけではない。道徳の第二の要素は、社会集団への愛着である。すなわち、外的な義務感情からではなく、自発的なコミットメントである。

 

自律性(Autonomy)
・道徳の要素の第三は、自律性、すなわち個人が自らの行為に責任があるという感覚である。デュルケームはカントの哲学に従い、自律性とは個人が意志する際における、合理的に導かれた衝動であるという。ただし、合理性の基準とは最終的には社会的なものであるという、社会学的なひねりを入れたものであった。近代になり、かつての道徳システムにおける神話やシンボルが力を失うことで、自律性は最大限に現れてくる。かつての神話が消えてしまった今では、ただ科学的な理解こそが道徳的な自律性の基礎となることができると、デュルケームは考えた。

 

  • 道徳教育(Moral Education)

・デュルケームが試みた社会改良の試みのうち、もっとも一貫したものは教育である。教育とは、社会が機能するために必要な物理的・知的・道徳的な手段(tools)を、個人が獲得する過程であるとデュルケームは定義した。Lukesが言うには、デュルケームは常に、社会学という科学と教育の関係は、理論と実践の関係にあると考えていた。
・デュルケームが教育の改良を考えた以前には、2つのアプローチがあった。ひとつは、教育は教会の延長であるというものであり、もうひとつは教育は自然のままの個人を展開する(unfold)ものであるというものである。これに対してデュルケームは、教育とは子どもが社会への道徳的な態度を形成する手助けをするものであり、また学校は現状ではそれを実際に可能にする唯一の制度であると考えた。
・デュルケームにとって教室は小さな社会であった。教室は集合的表象を再生産するために必要な、豊かな集合的環境を備えているというのである。
・教育は個人に規律をもたらす。また、教育は個人の中に、社会に対する献身の感覚を発達させる。そしてもっとも重要なことに、教育の役割は、規律が「自ら望まれ」、社会に対する愛着は「賢明な同意(enlightend assent)」のによるものだという、自律性を発達させることなのである。
・デュルケームによれば、道徳を教えるということは、説教(preach)でも洗脳(indoctrinate)でもない。それは説明することである。

 

  • 職業集団(Occupational Associations)

・前に述べたように、デュルケームにとって近代社会の主要な問題は、統合(integration)と規制(regulation)の欠如であった。近代国家は個人からは離れすぎており、教会は思想の自由を抑えこむことで人々を統合しようとする傾向がある。家族は個別的すぎるため、社会全体に個人を統合することはできない。これまで見たように、学校は子どもにとってはすばらしい環境である。大人にとっては、デュルケームは別の制度を提案した。それが職業集団である。
・真の道徳的なコミットメントには、近代社会が組織される上での基本原則、すなわち分業と結びついた確固たる集団が必要である。デュルケームは、ある産業におけるすべての労働者・経営者・所有者などが、一緒に参加する集団を提案した。デュルケームは、ある産業における所有者・経営者・労働者の間に、基本的な利害対立はないと信じていた。これはもちろん、マルクスとは正反対の立場である。デュルケームは、そうした対立は共通の道徳を欠いていることにより、つまりは統合的な構造(integrative structure)を欠いていることにより起こるのだと考えた。労働組合や経営者団体というのは、所有者・経営者・労働者間の差異を激化させるために、すべての行為者が含まれる職業集団がより優れているというのがデュルケームの考えである。

 

  • 批判(Criticisms)

・前に述べたように、アメリカ社会学におけるデュルケームの受容は、彼を機能主義者であり実証主義者であると位置づけたタルコット・パーソンズに大きく影響されている。この分類はデュルケームの立場を適正に特徴づけているものではないが、多くの批判はこの分類に基づいたものになっている。

 

機能主義と実証主義(Functionalism and Positivism)
・デュルケームがマクロレベルの社会的事実に注目したことは、構造機能主義の発展において彼が中心的な役割を担った理由のひとつとなっている。しかしながら、デュルケーム自身が機能主義者であるのかどうかは議論の余地があり、機能主義をどう定義するかによるものである。機能主義は2つの異なった方法で定義することができる。すなわち、弱い意味でと強い意味でである。Kingsley Davisが「すべての社会学者は機能主義者である」と述べたのは、弱い意味においてであった。そこでは、機能主義とは「社会の部分を全体に関連させ、かつそれぞれの部分を相互に関連させる」ことを試みるアプローチである。強い意味での機能主義とは、社会を生物有機体(biological organism)と類似したものと見なし、ある社会構造を社会全体への必要として説明する試みである。
・強い意味では、デュルケームは時々の、あるいは偶然の機能主義者である。デュルケームは生物有機体と社会の類比を用いることに全面的に反対しているわけではなかったが、生物学との類比で社会学的な法則を推論することはできないと信じていた。
・デュルケームは、社会的事実における機能と、その歴史的な原因を区別することを要請する。ある社会的な必要があったとしても、すぐに構造が現れるわけではない。デュルケームの初期の仮説は、存続している社会的事実は何らかの種類の機能を果たしているというものであるが、しかし彼は社会的事実の中には歴史的な偶然で生まれたものがあるとということを理解していた。よって、機能主義的アプローチは、歴史研究の後に来るものでなくてはならない。しかし、デュルケームがこうした要請を行っていたにもかかわらず、彼自身は機能分析にすぐに移ってしまっている時があるという批判もされている。
・デュルケームはまた、実証主義者としての批判をしばしばされている。しかしながら、Robert Hallはその意味は変化しているのだと指摘する。今日では、実証主義とは、自然科学と同様の方法で社会現象を研究できるという考え方であり、デュルケームはこれを受け入れるだろう。しかし、それはまた不変の法則に焦点を当てることを意味するものでもあり、これについてはデュルケームはあてはまらない。

 

他の批判(Other Criticisms)
・デュルケームの理論には他にも問題がある。第一に、社会的事実という理論である。社会的事実をデュルケームが提唱したように客観的な態度でアプローチすることができるのかどうかは明らかでない。自殺率のように客観的な証拠があるようにみえる社会的事実でさえ、それは解釈の積み重ねなのである(例えば、薬物の過剰摂取)。
・デュルケームによる個人の見方についても問題がある。彼が人間の性質として置いている仮定のひとつは、人々は常により多くを求めるような欲望の充足に熱狂的に駆り立てられているというものである。彼の理論体系の全体は、特に集合的な道徳を強調したことについては、この仮定の上に成り立っているといっても過言ではない。しかし、彼はこの仮定に対する証拠をまったく提示していない。
・さらに、デュルケームは社会的な過程において、意識に積極的な役割を与えることができなかった。彼は行為者その思考過程を二次的な要因として扱った。すなわち、それらを従属変数として、決定要因である社会的事実に説明されるものとして扱った。
・最後に、デュルケームが道徳を自らの社会学の中心に置いたことについてである。何をすべきかについて、彼は現時点で存在することから始めることを試みた。これは本質的に保守主義的であり、その態度はデュルケームがもっとも批判されることが多い点である。デュルケームが保守主義であるというのは、彼の機能主義的・実証主義的な立場にもよるものであるが、より正確には彼の科学と道徳についての関係の考えにたどることができる。
・しかし、科学と道徳の関係について適切な関係を導くことができなかったのはデュルケームだけではない。現代の社会学においても、デュルケームの理論と同程度には、うまく解決できていないのである。