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金森修『科学の危機』

読書
科学の危機 (集英社新書)

科学の危機 (集英社新書)

 

第1章 科学の自覚

第2章 科学の変質

第3章 ある科学者の肖像

第4章 科学批判の諸相

第5章 科学の文化的批判に向けて

 科学史をベースとして、科学と現代社会の関係について考察がされています。特に、<科学の古典的規範>、すなわち「普遍性」、「無私性」、「公有性」といった理念が変容し、研究が真理の追求よりもむしろ、私企業や国家の利害関心によって委託されて行われるようになってきたことに関心が持たれ、その背景やもたらされた帰結について論じられています。

 第1章では、職業科学者が成立した19世紀に焦点が当てられ、サン=シモン、オーギュスト・コント、エルネスト・ルナンといった人々が持っていた科学に対する理念が検討されています。コントと言えば、社会学においては、「社会学」という用語を作ったことと、「三段階の法則」が教科書的に出てくるくらいで、歴史的な関心以上のものは今日ではほとんどありません。しかし、この本では実証主義的な精神を当時のヨーロッパに広めた人物として、その重要性が評価されています。この当時においても、科学者が活動をするためには、図書館や研究所の設立において国家の援助は不可欠であったものの、国家が科学を方向付けようとすることは、科学の可能性を否定することにほかならない、という規範が成立していたようです。

 第2章では<科学の古典的規範>が20世紀には変容していったことが描かれます。特に重要なターニングポイントとして注目されるのが、第二次世界大戦における原爆開発です。アインシュタインやオッペンハイマーなどが関わったマンハッタン計画は、国家が設定した目標に物理学者が進んで従ったという点において、<科学の古典的規範>の一部を間違いなく破壊したという評価が下されています。また、今日においてもヒトゲノム計画などのバイオテクノロジーをはじめ、国家の目標や産業の利益に深く関わる研究分野がを挙げ、これらと研究不正の関係について論じられています。STAP細胞騒動についても若干触れられています。

 第3章は少し時代が戻り、20世紀前半に活躍したドイツの化学者、フリッツ・ハーバーが取り上げられます。フリッツ・ハーバーといえば、アンモニア合成法の一つである、「ハーバー・ボッシュ法」で化学の教科書に名前を残していますが、本書では第一次世界大戦中における毒ガスの開発に関わったことから注目されています。「科学者は平時は世界に属するが、戦争時には祖国に所属する」と言ったとされるハーバーが、どのように毒ガス開発に邁進したのかが詳しい過程を追って描かれています。味方の軍人からも、「毒ガスは非騎士道的である」という批判を受けながらも、それは「科学の発展に対する非合理的時代遅れの反応である」と切り捨てたハーバーに、科学の変質の萌芽が読み取られています。

 第4章では、<古典的規範>から逸脱した科学に対して、批判的な視点から議論をした人々が取り上げられています。戦争における科学の関与を反省することを目的とし、湯川秀樹や朝永振一郎も関わった民主主義科学者協会の活動は重要なものとして位置づけられています。他にも公害問題の研究の先駆者である宇井純や、反原発の市民運動に関わった高木仁三郎といった人々が、<科学批判>を考えてゆく上で重要な先行事例として注目されています。

 第5章は、<科学批判>の成立が困難であることは自覚されつつも、産業化された科学の現状追認は危険であり、<古典的規範>を守ってゆくべきであることが強調されます。また、日本の現状に関して、国立大学法人の効率化係数などに見られる、「選択と集中」の原理は、<古典的規範>の崩壊を加速させるものだとして批判されています。

 

感想

・金森先生の豊富な科学論の知識のベースおよび、文章のうまさをあらためて感じさせられました。新書ですが、なかなか読むのにエネルギーが必要でした。

・マートンの科学社会学における研究(特にCUDOSの規範)は、科学史の分野においても参照されているのだと知りました。

・「一般に、専門家は外に向けて何かをいうときには自分の専門領域の損にならないように気を遣う。そして社会にはその有用性を吹聴し、権力側には権力強化のための有効な手段になると、その力を誇示する傾向がある。」(p.176)という文言は身に沁みます。

・他の著作や授業での話でもそうなのですが、毒ガス開発や人体実験といった科学者の営みに対して、金森先生は不快感を隠さずに分析されますね。もちろん、感情的な議論に終始せず、深い洞察が行われるので、読み応えがあるのかなと思います。

・現在盛んに議論されている、「大学でもっと職業的に役立つ知識を教えさせよう」というのも、国家がどういった科学が有用であるかを方向付けが可能であるという、現代的な規範が働いていると見ることができそうです。しかし、「科学には短期的には予測できない可能性があるので、優劣をつけるのは望ましくない」といったコミュニケーションは単純にはうまく働かなさそうな気もします。特に、政治家や官僚は自らの在任期間における短期的な成果を求めようとするというような行動モデルを仮定した場合に、長期的な可能性に訴えかけるのは有効ではなさそうです。

・科学者が研究をするのは、知的好奇心のためなのか、広く社会のためなのか、名誉のためなのか、といったことにあらためて考えさせられました。いずれにせよ本書でも指摘されているように、狭い専門のコミュニティの中のことだけに囚われているようでは、現代ではダメなのだということなのだと思います。特に、「ポスト3.11」以降の世界においては、科学と社会の関係性について、科学者自身が批判的にならなければいけなくなっていることは確かなのでしょう。

・あとがきによると、金森先生は本書の執筆中に重い病気を患われたとのことでした。現在は大丈夫なのでしょうか。