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Acker(1973)における母集団の構成比率というロジック

 こちらの記事をたまたま目にしました。納得のゆく主張も多いのですが、ひとつ気になったのが、下記のツイートです。

1973年、ジョアン・アッカーがアカデミアにおけるセクシズムを告発した。男性しか調査していないのにあたかもすべての成人に共通する分析であるかのように一般化して語るのは問題だという趣旨だ。外国籍住民をあえて除外したとすれば、それと同じ批判を抱え込むことになる。

 

 しかし、Acker(1973)の論文は私の読み取るところによると、女性ないしは様々な属性を持った女性の「比率」が、アメリカの全体的な社会構造を考える上で無視できないというロジックで主張されているように思います。具体的には下記の箇所です。

The inclusion of the female half of humanity and of sex as a central dimension in the study of society would lead to a more accurate picture of social structure and to a better understanding of process.

(Acker 1973: 936,強調は引用者)

For example, female-headed households account for almost 40% of those below the poverty line (Ferriss1970). This statistic suggests that the economic and social disadvantages of being female may have an impact on class differentials in family structure.

(Acker 1973: 939-40)

Generalizations about social mobility patterns and trends on a societal level are based primarily on studies of white males (Blau and Duncan 1967). Since this group does not comprise even one-half of the population, the validity of the generalizations might be questioned.

(Acker 1973: 943,強調は引用者)

It may be that the female-headed household was more prevalent in our past than we generally think.

(Acker 1973: 943,強調は引用者)

 

 母集団における構成比率が小さいから理論的に重要ではない、ということには必ずしもならないでしょう(むしろ小さいからこそ重要であるということも考えられます)。しかし、Ackerの論文には、社会構造を考える上での、女性の構成比率の大きさという視点が明らかに入っているので、日本における2%未満の外国籍住民と、「同じ批判を抱え込む」と引き合いに出してよいのかどうかは、少々疑問に感じました。