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古宮昇『大学の授業を変える―臨床・教育心理学を活かした,学びを生む授業法』

読書

 

大学の授業を変える―臨床・教育心理学を活かした、学びを生む授業法 (大阪経済大学研究叢書)

大学の授業を変える―臨床・教育心理学を活かした、学びを生む授業法 (大阪経済大学研究叢書)

 

 

 自分も学生相手に授業をするようになったのですが、どのように準備して話をするかというのは、まだまだ悩むことが多いです。

 現在の日本の大学のシステムでは、教育に時間を割いても昇進や昇給に結びつくことはほとんどありません。すなわち、インセンティブが働く仕組みになっておらず、また大学教員はもともと研究が好きでその道を選んでいる人が多いということもあり、教育をおざなりしているという事例は、特に年配の方々に少なからず見られる気がします。

 自分の中では、駒場時代に講義ノートから数式を板書して、ただ読み上げているだけのような教員にあたったことが、嫌な思い出として残っています。嫌な思い出というのは、あたかも理解できないのは自分の才能と努力が足りないからであると言われているような気がしたからです(まあ実際にそういう面はあったかもしれませんが)。いつか自分が教えるような機会を持ったら、ああいう風にはなりたくないというのは当時から思ってきました。

 

 本書の根本にある主張は、「教える授業」から「学びを生む授業」へと大学の理念が変化しつつあるということです。高校までの学校段階ではそうしたことが言われることはしばしば聞いてきましたが、大学についても同様のことをあらためて言われると、目から鱗が落ちるところが結構ありました。

 より具体的には、例えば教師による「教えすぎ」を戒めています。準備は入念かつ具体的にするべきとしていますが、講義内容はむしろ少ない方が、学生の学びを促進するとのことです。たしかに、教える側の不安として、「喋ることがなくなってしまったらどうしよう」というものがあり、ついつい多くの内容を準備しがちなところがあると思います。

 研究と教育は必ずしも対立するものではないという主張も考えさせられます。たしかに教育があることによって研究に割く時間が減ることは否定できませんが、教育によって得た知識・経験が研究に役立つという相補的な面もあると考えられます。また、「いかに相手に対して、自分が考えていることを効果的に伝えるか」という実践をするという点では、研究も教育も共通していると言えるのではないでしょうか。

 本書は、徹底的に教える側の意識変革を求めているとも言えます。12章の「米国の大学から学べること」では、「日本の大学生は不真面目で、米国の大学生は勉強熱心である」という通念を否定し、むしろ教員の側の違いが大きいと述べられています。すなわち、日本の大学教員がより効果的な授業実践の方法を学び、より教育に時間を割くようになれば、日本の大学生もそれに応じて熱心に学ぶだろうということです。

 本書における実践的な提言は非常に具体的であり、かつ臨床心理学・教育心理学の膨大な実証研究に裏付けられた主張になっています。その中では、「ゆっくり話す」や、「教室を歩き回る」といった、すぐに実践できそうなプレゼンテーションスキルも紹介されています。

 一方で、「最初の授業ではアイスブレーキングをする」、「グループワークを定期的に設ける」といった、より高度なスキルを要求され、失敗するとリスクの高そうな実践も含まれています。実証研究に基づいているとはいっても、あらゆる授業・状況で有効だということはないでしょうから、自分の実践の中で試行錯誤しながら取り入れてゆくべきだと考えています。