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Ritzer and Stepnisky. 2013. Sociological Theory 9th Edition. Chapter 7. “Structural Functionalism, Systems Theory, and Conflict Theory.” pp.237-277.

Ritzer, George and Jeff Stepnisky. 2013. Sociological Theory 9th Edition. McGraw-Hill.

 

  • 構造機能主義の研究、特にタルコット・パーソンズ、ロバート・マートン、および彼らの教え子・支持者たちによるものは、長年にわたって唯一支配的な社会学理論であった。しかし、1960年代以降は急激に衰退し、近年の社会学の歴史からも姿を消しつつある。一方で、様々な研究者が構造機能主義を修正し、拡張しようとしてきた。1980年代には、ジェフリー・アレクサンダー(Jeffrey Alexander)は新構造主義の社会学を発展させようと、パーソンズの研究に向き合った。より近年では、ドイツの社会学者であるニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann)が発展させたシステム理論は、構造機能主義の一種であるとされる。ルーマンの研究はアメリカでは広く知られているわけではないが、国際的にはもっとも重要な社会学の理論家の一人であると見なされている。
  • 長年にわたり、構造機能主義に代わる有力な理論は葛藤理論であった。ラルフ・ダーレンドルフによる伝統的な葛藤理論にくわえ、ランドール・コリンズ(Randall Collins)による、より近年の統合的な試みについても議論する。
  • 構造機能主義、システム理論、葛藤理論の詳細に入る前に、トーマス・バーナード(Thomas Bernard)に従い、これらの理論をより広い文脈に位置づける必要がある。それは、合意理論(consensus theories)と葛藤理論であり、構造機能主義および社会学的な葛藤理論はこれらそれぞれの一種である。合意理論とは共有された規範と価値が社会にとって根本的なものであると見なす。また、暗黙の承諾に基づく社会秩序を重視し、社会変化はゆっくりと秩序だった形で起こるものであると考える。これに対して、葛藤理論はある社会集団による別の集団の支配を強調し、社会変化は急速、かつ被支配集団が支配集団を転覆するという非秩序的な形で起こると考える。
  • バーナードの考えでは、こうした考えの不一致は西洋思想の歴史を通じて存在してきたものであり、古代ギリシャまで遡ることができるという(合意を強調したプラトンと葛藤を強調したアリストテレス)。
  • 構造機能主義と葛藤理論の違いを強調したものの、一方でこれらには重要な共通性がある。例えば、どちらもマクロレベルの理論であり、大規模な社会構造と社会制度に焦点を当てている。

 

構造機能主義(Structural Functionalism)

  • 第二次世界大戦後の二十年間に、疑いなく覇権を持っていたにもかかわらず、構造機能主義は社会学理論における重要性を失った。この理論に密接な関わりを持っていたウィルバート・ムーア(Wilbert Moore)でさえ、1978年には、「現代の理論社会学においては恥(embarrassment)となっている」と述べている。ニコラス・デメラス(Nicholas Demerath)とリチャード・ピーターソン(Richard Peterson)はより前向きな見方をしている。しかし、彼らは構造機能主義が有機体論(organicism)から発達したように、構造機能主義もまた別の社会学理論になってゆくであろうということを認めている。
  • 構造機能主義においては、構造的(structural)と機能的(functional)という用語は並置して用いられるべきではない。ある社会構造については、それが別の構造へと持つ機能(あるいは帰結 consequences)に関心を持たなくとも、研究は可能である。同様にして、構造的な形態をとらない様々な社会的プロセスにおける機能を研究することもできる。しかし、両方の要素へと関心を持つことが、構造機能主義の特徴である。

 

階層の機能理論とその批判(The Functional Theory of Stratification and Its Critics)

  • キングスリー・デイヴィスとウィルバート・ムーアが1945年に提示した階層の機能理論は、単一の研究としては構造機能主義理論でおそらくもっとも有名なものである。デイヴィスとムーアは、社会階層が普遍的かつ必要なものであるということを明確に主張した。彼らの考えでは、階層化されていない社会は存在したことがなく、階層とは機能的要件(functional necessity)なのである。彼らはまた、階層システムを構造とみなした。すなわち、階層とはシステムの中における地位(positions)のことなのである。彼らはある地位がどのようにして異なった程度の威信(prestige)をもたらすのかということに関心を持ち、個人がどのようにしてある地位を占めるのかということは強調しなかった。
  • こうした関心の下での大きな問題は、社会はどのようにして人々を動機づけ、また階層システム内の「適切な」地位に人々を配置するのかというものである。これは2つの問題にまとめられる。第一に、社会はどのようにして、「適切な」個人に対して、ある地位を占めたいという願望を植え付けるのかというものである。第二に、いったん人々が適切な地位に配置されたら、これらの地位における要請を遂行したいという願望をどのようにして人々に植えつけるのかというものである。
  • 社会における適切な配置とは3つの理由で問題になる。第一に、ある地位は他の地位に比べて心地よい(pleasant)ものであるということである。第二に、ある地位は社会の存続の上でより重要だということである。第三に、異なる社会的地位は異なる能力と才能を要求するということである。
  • これらの問題はすべての社会的地位に当てはまるものであるが、デイヴィスとムーアは社会において機能的により重要な地位に関心を持った。階層システムの中で高い地位は、より心地の悪いものであるが、社会の維持にとってはより重要であり、より大きな能力と才能を必要とすると仮定される。くわえて、十分な人々がこれらの地位を求めようとし、またその地位を占めたら勤勉に働くようにするために、社会は十分な報酬(rewards)をこれらの地位に付与しなければならない。例えば、社会に十分な数の医者を確保するためには、医者は高い地位、給与、十分な余暇を受け取らなければならないのである。デイヴィスとムーアは、そうした報酬を与えられなければ、人々は、「やっかいで」、「高価な」医学教育を受けようとはしないだろうということを示唆している。
  • デイヴィスとムーアは、階層とは社会が「無意識に発展させる装置」であると明確に述べている。しかしながら、存続のためには、すべての社会が発展させなければならない装置なのである。
  • 階層の機能理論は1945年に発表されて以来、大きな批判にさらされてきた。主な批判のひとつは、すでに権力、威信、富を手にしている特権的な地位の人々を固定化させるというものである。こうした人々は報酬を得るに値していると主張しているためである。
  • この理論は、階層化された社会構造が単にこれまで存在してきたというだけで、将来存在し続けてゆくと見なしていることでも批判されている。
  • くわえて、それぞれの地位は機能的な重要性が異なるという考えも支持しがたいと批判されてきた。ごみ収集人は社会の存続にとって、広告業の重役よりも重要ではないのだろうか。低い賃金と威信にもかかわらず、ごみ収集人は社会の存続にとって実際はより重要かもしれない。ある地位が社会にとって機能的により重要であったとしても、その地位に大きな報酬が集まるわけでは必ずしもないのである。
  • 高い地位を占める能力を持った人々は本当に不足しているのだろうか。実際のところ、多くの人々は能力を持っていたとしても、威信の高い地位を獲得するための訓練を得ることから排除されているのである。医療職においては、医者の数を制限しようとする絶え間ない努力が行われている。
  • 最後に、高い地位を占める上で、人々に権力、威信、収入を与える必要はないと言えるかもしれない。人々は他人に対するサービスを行う機会による満足によっても、同様に動機づけられるかもしれないのである。

 

タルコット・パーソンズの構造機能主義(Talcott Parson's Structural Functionalism)

  • パーソンズの初期と後期の作品では重要な差異が存在する。この節では、後期における、構造-機能的な理論化を扱う。

 

AGIL

  • 機能とは、「システムの必要を満たすための活動の複合体」である。この定義を用いて、パーソンズはすべてのシステムには4つの機能的要件が存在すると考えた。これらは適応(adaptation)、目標達成(goal attainment)、統合(integration)、潜在性(latency)あるいはパターン維持(pattern maintenance)である。これらはまとめてAGIL図式(scheme)として知られている。
  • (1)適応:システムは外部からの状況的な要求にたいして対処しなければならない。システムは環境に適応し、環境をシステムの必要に適応させなければならないのである。(2)目標達成:システムははじめに目標を定義し、それを達成しなければならない。(3)統合:システムはその要素間の関係を制御しなければならない。システムはまた他の3つの機能的要件(A,G,L)の関係を管理しなければならない。(4)潜在性(パターン維持):システムは個人に動機づけを与え、維持し、更新しなければならない。システムはまた、個人が作り出した文化的パターンについても同様に維持しなければならない。
  • パーソンズはAGIL図式について、彼の理論システムにおけるすべてのレベルで用いられるようにデザインした。
  • 行動有機体(behavioral organism)は、適応の機能を扱う行為システムであり、外的世界に適応し、また外的世界を変容させる。人格システムは目標を定義し、その達成のための資源を流動化させる。社会システムは、システムの要素を統制することで統合の機能を扱う。文化システムは行為者にたいして、行為の動機付けとなる規範と価値観を与えることで、潜在性の機能を果たす。

 

行為システム(The Action System)

  • パーソンズが社会分析において、相互関係だけではなく、「レベル」(levels)という概念を考えていたのは明確である。第一に、低次のレベルは高次のレベルが必要とする条件(conditions)、活力(energy)を提供する。第二に、高次のレベルは低次のレベルを制御する。
  • パーソンズの研究における核心は4つの行為システムに見られるのであり、これら行為システムは突き詰めれば秩序問題(the problem of order)に取り組むために着想されたものである。パーソンズによれば、秩序問題、すなわち万人の万人に対する闘争がなぜ起きないのかについて、哲学者は十分に答えていない。パーソンズは秩序問題の答えを構造機能主義に見出した。そして構造機能主義は次の仮定に基づいている。
  • (1)システムは秩序の性質を有しており、それぞれ独立した部分からなる。(2)システムは自己保持的な秩序、すなわち均衡(equilibrium)に向かう。(3)システムは静的であるか、あるいは秩序だった変化のプロセスの中にある。(4)システムのある部分の特性は、他の部分がとる形態に影響を与える。(5)システムはその環境との境界を維持する。(6)あるシステムの均衡状態において、割り当て(allocation)と統合(integration)は、根本的に必要な2つのプロセスである。(7)システムは、境界および全体に対する部分の関係の維持、環境の変動の制御、システム内部からの変化の制御といった自己保持に向かう。
  • こうした仮定によって、パーソンズは社会の秩序だった構造の分析を最優先事項にした。彼は社会変化の問題に関して、少なくともキャリアの後期までほとんど取り組むことがなかった。
  • 4つの行為システムについて、これらは現実世界に存在するものではなく、むしろ現実世界を分析するための道具であるということに注意するべきである。

 

社会システム(Social System)

  • パーソンズの社会システムの分析は、自己と他者の相互作用というミクロのレベルから始まる。彼はこのレベルの分析にはほとんど時間を費やさなかったが、この相互作用システムの特徴は、社会システムのより複雑な形態においても見られると述べている。
  • 社会システムを相互作用のシステムと見なしたにもかかわらず、パーソンズは相互作用を研究の根本的な単位とはしなかった。むしろ、彼は地位-役割(status-role)の複合体をシステムの基本単位としたのである。これは行為者の特徴でも、相互作用の特徴でもなく、社会システムの構造的な要素である。地位とは、社会システムの中における構造的な位置であり、役割とはより大きなシステムにおける機能的な重要性から見た際に、それぞれの位置において行為者が行うことである。行為者は思考や行為という観点からではなく、地位と役割の集まりとしてしか見られないのである。
  • 地位-役割だけではなく、パーソンズは社会システムの大規模な構造的な要素、すなわち集合体、規範、価値などに関心を持った。しかし、彼は単に構造主義者であるだけではなく、機能主義者でもあった。よって、彼は社会システムにおけるいくつもの機能的要件を記述した。第一に、社会システムは他のシステムに準拠するように構造化されなければならない。第二に、社会システムが存続するためには、他のシステムからの必要な援助を受けなければならない。第三に、システムはその行為者における多くの必要を満たさなければならない。第四に、その成員から十分な参加を引き出さなければならない。第五に、システムは潜在的な破壊行動に対して最低限の制御ができなければならない。第六に、葛藤が十分に破壊的になった場合には、それは制御されなければならない。最後に、社会システムは生存のための言語を必要とする。

 

行為者と社会システム(Actors and the Social System)

  • パーソンズは社会システムの議論において、行為者と社会構造の関係を完全に無視したわけではなかった。彼はシステム内部の行為者に、システムの規範と価値が伝達されるという、内面化と社会化のプロセスに関心を持っていた。社会化のプロセスが成功することで、行為者はシステム全体の利益のために振る舞うようになるのである。
  • 一般的に、パーソンズは社会化のプロセスにおいて行為者は受動的であるとみなした。社会化は欲求-傾向(need-dispositions)が人々を社会システムに対して拘束し、それによって欲求-傾向がみたされる保守的なプロセスとして概念化されている。そこには創造性の余地はない。パーソンズは社会化は生涯にわたって起こる経験だと見なしたものの、一方で幼少期に学習された規範や価値は安定的なものなのである。
  • 生涯にわたる社会化によって順応(conformity)させられるにもかかわらず、システム内においては大きな個人間のばらつきが存在する。秩序を必要とするにもかかわらず、このことはなぜ社会システムにとって大きな問題には通常ならないのだろうか。ひとつには、様々な社会統制のメカニズムによって順応をさせることが可能だからである。また、システムは一定の変動、すなわち逸脱(deviation)を許容できなければならない。柔軟な社会システムはまったく逸脱を認めないシステムよりも強いのである。最後に、社会システムは幅広い役割の機会を提供し、システムの全体性を脅かさない程度において、異なるパーソナリティが自らを表現することを許容しなければならないのである。

 

社会(Society)

  • 社会システムの考えはすべてのタイプの集合体を含むものの、特に重要な社会システムは「社会」である。パーソンズは社会における4つの下位システムを機能(AGIL)の面から区別した。経済(economy)は、労働、生産、配分によって社会が環境に適応する機能を遂行する下位システムである。政治(polity)は、社会の目的を追求し、その目的に対して行為者と資源を動員することで目標達成の機能を遂行する。信託(fiduciary)システム、例えば学校や家族は、文化(規範と価値)を伝達し、行為者に内面化をさせることで潜在性の機能を扱う。そして、統合の機能は社会の様々な要素を調整する社会的コミュニティ(societal community)によって果たされる。
  • パーソンズにとって社会システムよりも重要であったのは文化システムである。パーソンズは1966年に自らを「文化的決定主義者」(cultural determinist)と名づけている。

 

文化システム(Cultural System)

  • パーソンズは、文化が社会的世界の様々な要素(彼の用語では行為システム)を拘束する主要な力であると考えていた。文化は行為者の相互作用を媒介し、パーソナリティシステムと社会システムを統合する。社会システムにおいて文化は規範と価値として体現され、パーソナリティシステムにおいて文化は行為者に内面化されるのである。しかし、文化システムは他のシステムにとっての単なる一部ではなく、社会的な知識、シンボル、アイディアの集まりとしての独立した存在の形態を持つ。
  • 文化は大部分が象徴的かつ主観的であるので、他のシステムに容易に伝達されるのである。しかし、文化は他の行為システムを統制するという別の特徴を持つ。これがパーソンズが自らを文化的決定主義者とみなした理由の一つである。
  • 文化システムはパーソンズの理論において傑出しているが、彼が実際に統合的な理論をもたらしているのかどうかは疑わなければならない。真に統合的な理論はすべての主要な分析水準を等価に見なさなければならないのである。文化的決定主義を含むすべての決定主義は、統合的な社会学の観点からは非常に疑わしいのである。

 

パーソナリティシステム(Personality System)

  • パーソナリティシステムは文化システムだけではなく、社会システムにも統制される。しかし、パーソンズはパーソナリティシステムに独立性を認めなかったわけではない。
  • パーソナリティとは、個人の行為における志向(orientation)と動機(motivation)による組織されたシステムとして定義される。パーソナリティの基本要素は「欲求-傾向」(need-disposition)である。欲求-傾向と動因(drive)は区別される。欲求-傾向とは、動因と同様に行為を可能にする活力であるが、「行為それ自体のプロセスによって獲得された非生得的なもの」として定義される。いいかえれば、欲求-傾向とは社会的状況によって形作られる動因なのである。
  • パーソンズは3つの基本的なタイプの欲求-傾向を区別した。第一のタイプは、行為者が社会関係からの愛情や承認などを求めるように強制するものである。第二のタイプは、行為者に様々な文化的基準を守らせるような、内面化された価値に関わるものである。第三に、行為者が適切な反応を与え、獲得しようとさせる役割期待(role expectations)である。
  • これは行為者について非常に受動的なイメージを与えるものである。パーソンズはこの弱みには気づいており、様々な場面でパーソナリティに何らかの創造性を与えようとした。しかし、そうした試みにもかかわらず、パーソンズの作品が与える主なイメージは、受動的なパーソナリティシステムとなっている。
  • また、パーソンズは欲求-傾向を強調することで、パーソナリティについての多くの側面を排除してしまっている。
  • さらに心理学者のAlfred Baldwinは、パーソンズはパーソナリティ構造の章においても、社会システムについてより多くのページを割いており、パーソナリティシステムに焦点を当てていないと指摘している。
  • パーソナリティシステムの社会化のプロセスとしての内面化へパーソンズは関心を持ったが、これはデュルケームによる内面化の研究と、フロイトによる超自我の研究によるところが大きい。内面化と超自我を強調する上で、パーソンズはやはりパーソナリティシステムを受動的で、外的に統制されているものとして示しているのである。
  • パーソンズは初期の作品においては、パーソナリティの主観的な側面について進んで議論したが、次第にこうした観点を放棄するようになった。

 

行動有機体(Behavioral Organism)

  • 行動有機体は4つの行為システムの中に含まれているが、パーソンズはこれについてほとんど述べていない。行動有機体は他のシステムの活力の源であるために、行為システムの中に含まれている。行動有機体は遺伝的構成に基づいているものの、その組織は個人の生活による条件付けや学習のプロセスに影響される(こうした社会的要素のために、パーソンズは後に行動システムと言いかえた)。行動有機体は明らかに、パーソンズの研究では残余のシステムとなっている。

 

パーソンズ理論における変化とダイナミズム(Change and Dynamism in Parsonian Theory)

  • パーソンズの構造理論は社会変化を扱えないという批判にさらされた。パーソンズはこの批判にずっと敏感であり、変化の研究は必要ではあるが、それに先立って構造の研究が必要であると主張した。しかし1960年代にはこうした攻撃にもはや耐えることができず、社会変化、特に社会進化の研究に大きく方向性を変えることになった。

 

進化理論(Evolutionary Theory)

  • パーソンズの社会変化の研究への一般的な姿勢は、生物学に形作られていた。社会変化の第一の要素は、分化(differentiation)のプロセスである。パーソンズはあらゆる社会について、構造とより大きな社会に対する機能的な重要性が異なる一連の下位システムからなると想定した。社会が進化するにつれて新たな下位システムが分化するのである。しかしこれだけでは十分なではなく、新たな下位システムはより適応的なものでなければならない。パーソンズの進化的パラダイムにおけるもっとも重要な特徴は、適応的上昇(adaptive upgrading)というアイディアにある。
  • このモデルでは社会はしだいに良くなり、その問題を処理することができると想定されている。これに対して、マルクス主義の理論では社会変化は、資本主義社会の崩壊に至る。こうした理由により、パーソンズはしばしば、非常に保守的な理論家であると見なされている。
  • 次に、分化のプロセスは社会の統合という新しい問題に至る。下位システムが増殖するにつれて、これらを調整するという問題に社会は直面するのである。
  • 進化をしている社会は、帰属(ascription)のシステムから、業績(achievement)のシステムに移行しなければならない。より拡散した下位システムを扱うためには、幅広い技能と能力が必要となるのである。
  • そして、社会の構造と機能が分化するにつれて、価値システムは全体として変化しなければならない。しかし、新しいシステムはより広範であるので、価値システムがすべてを覆うのは難しくなる。分化した社会ではより高いレベルでの一般性をもった価値システムが必要となる。しかし、自らの狭い価値システムに依拠した集団からの抵抗にあうため、この一般化のプロセスは容易には進まない。
  • 進化は様々なサイクルを通じて進む。しかし、一般的なプロセスはすべての社会に同様に影響するわけではない。ある社会では進化のプロセスを邪魔する葛藤や障害が存在する。パーソンズが大きく関心を持ったのは、こうした障害を「打開するもの」(breakthrough)であった。これが起これば、後は一般的な進化のモデルに従うと彼は考えたのである。
  • パーソンズは進化の段階を大きく3つ区別した。すなわち、原始的(primitive)、中間的(intermediate)、近代的(modern)な段階である。これらは文化的な次元によって区別される。原始的段階から中間的段階への移行は、言語、特に書き言葉の発達によって起こる。中間的段階から近代的段階への移行においては、「制度化された規範的秩序のコード」、すなわち法が重要となる。
  • パーソンズの進化についての分析は、実際はプロセスの観点からは行われていない。彼が行ったのは、「構造のタイプを並べ、それらを連続的に関連させること」である。これは比較構造分析であり、社会変化のプロセスについての研究ではないのである。よって、彼が変化を見ているとされている時でさえ、構造と機能の研究にとどまっているのである。

 

一般化された交換のメディア(Generalized Media of Interchange)

  • パーソンズが自らの理論システムにおいてダイナミズム、流動性を取り入れた方法のひとつは、4つの行為システム間における一般化された交換のメディア、というアイディアである。パーソンズは貨幣のような物質的なメディアではなく、シンボリックな交換のメディアを重視した。これは政治的な権力、影響力、価値コミットメントなどである。
  • シンボリックな交換のメディアは、貨幣と同様に社会の中で作られ循環する。政治システムの内部の行為者は政治的権力を生み出すことができる。そしてこの権力を用いることで社会システムに対する影響力を及ぼすことができる。こうした権力を費やすことで指導者は政治システムおよび社会全体を強化することができるかもしれない。
  • Alexanderが述べるように、一般化された交換のメディアは、交換のシステムを単純には認めない起業家(entrepreneurs)の存在を可能にする。こうした人々はメディアが循環する方法や方向性を変えることが可能であり、それゆえにパーソンズ理論においてダイナミズムが取り入れられている。

 

ロバート・マートンの構造機能主義(Robert Merton’s Structural Functionalism)

  • マートンとパーソンズはともに構造機能主義に関わっているが、重要な違いが存在する。例えば、パーソンズは壮大な包括的理論を作り出すことを提唱したのに対して、マートンはより限定された中範囲の理論(middle-range theories)を好んだ。また、マートンはパーソンズよりもマルクス主義理論に対して賛同的であった。

 

構造-機能モデル(A Structural-Functional Model)

  • マートンは、マリノフスキーやラドクリフ=ブラウンなどの人類学者によって発展された機能分析における、3つの基本仮定を批判した。第一に、社会の機能的統一(functional unity)である。これは小さな原始的社会においては成り立つかもしれないが、大きく複雑な社会に対しては拡張できないとマートンは批判した。
  • 第二にマートンが否定したのは、すべての社会的・文化的構造は有益な機能を持つという、普遍性である。マートンはこれが現実世界において見出されるものに矛盾すると主張した。
  • 第三に、必要不可欠性(indispensability)である。これはすべての構造と機能は、社会にとって機能的に必要であるという主張をもたらす。マートンはパーソンズに従い、社会には様々な構造的・機能的な代替物(alternatives)があることを少なくとも認めるべきであると批判した。
  • マートンの立場は、これらの仮定はすべて、抽象的かつ理論的システムに基づいた、非実証的な主張であるというものであった。
  • 初期の構造機能主義者は、ある社会構造・制度が、別の社会構造・制度に持つ機能に焦点を当てていた。しかし、マートンによれば初期の人々は、個人の主観的な動機を、構造・制度の機能と混同していた。機能とは、マートンによれば、「あるシステムの調整や適応のために生み出された、観察された結果」であると定義される。しかし、適応や調整にのみ焦点を当てると、これらは有益な結果であるので、イデオロギー的なバイアスが存在する。そのため、マートンは逆機能(dysfunction)のアイディアを生み出した。構造や制度は、社会システムの他の部分の維持に貢献するだけではなく、有害な結果も持ちえるのである。
  • マートンはまた、没機能(nonfunctions)というアイディアを提示した。これはあるシステムにとって単に無関係な結果として定義される。例えば、過去には有益、あるいは有害な結果をもたらしていた構造が、現代社会においては何の効果も持っていない場合である。
  • 順機能と逆機能のどちらが上回るかについて、マートンは「正味残高」(net balance)という概念を発展させた。しかし、順機能と逆機能を単純に足し合わせて、どちらが上回るかを客観的に決めることは難しい。
  • こうした複雑な問題を扱うために、マートンは「機能分析のレベル」というアイディアを追加した。機能主義者は一般的に、分析を社会全体に限定するが、マートンは組織、制度、集団などにおいても分析が可能であることを明確に述べた。
  • マートンはまた、顕在的・潜在的機能(manifest and latent functions)の概念を導入した。顕在的機能とは、意図されたものであり、潜在的機能とは意図されていないものである。このアイディアは、マートンのまた別の概念である、「意図せざる結果」(unintended consequences)とも関連している。行為とは意図した結果・意図せざる結果の両方をもたらす。
  • マートンは、意図せざる結果は潜在的機能と同じではないと明確にしている。潜在的機能とは、意図せざる結果の一つのタイプであり、あるシステムに対して機能的なものである。

 

社会構造とアノミー(Social Structure and Anomie)

  • マートンによる文化、構造、アノミーの関係についての分析は、構造機能主義に対するもっとも有名な貢献である。マートンは文化を、「ある社会・集団の成員にとって共通であり、行動を支配するような、一連の組織化された規範的な価値観」と定義する。そして社会構造は、「ある社会・集団の成員が様々な形で巻き込まれるような、一連の社会関係」として定義される。アノミーは、社会構造における自らの位置を理由として、規範的な価値観に従って行動することができないために起こる。
  • 例えばアメリカ社会では、物質的な成功を強調する文化が存在する。しかし、社会構造における位置により、多くの人々はそのような成功を阻まれている。そうした状況ではアノミーが存在していると言える。また結果として、逸脱行動を生む傾向がある。こうした文脈では、逸脱行動はしばしば非合法的な手段により、経済的成功を得ようとする形態をとる。
  • この事例ではアノミーという逆機能について、主に関心が持たれている。
  • マートンのアノミーについての研究では、彼の社会階層に対する批判的な態度がほのめかされている。デイヴィスとムーアは階層化された社会に賛意を示したが、マートンの研究は構造機能主義が社会階層に対して批判的でありえることを示している。

 

主な批判(The Major Criticisms)

実質的な批判(Substantive Criticisms)

  • 一つの大きな批判は、構造機能主義は、歴史を適切に扱えないというものである。実際のところ、構造機能主義は、ある種の文化人類学における歴史進化的なアプローチに対する反応として発展してきた部分がある。そのため初期の構造機能主義は、進化理論の批判をしすぎ、同時代あるいは抽象的な社会に焦点を当てすぎていた。しかし、パーソンズの社会変化についての研究は、構造機能主義が変化を扱うことができることを示した。
  • 構造機能主義はまた、社会変化のプロセスを十分に扱えないという攻撃も受けてきた。Percy Cohenは、構造機能主義では社会のすべての要素が互いを強化しあっており、これらの要素がどのようにして変化に寄与するかを理解するのが難しいと述べた。一方で、TurnerとMaryanskiはこの問題は理論にとって本質的なものではなく、実践者の問題であると擁護した。
  • もっとも強い批判はおそらく、構造機能主義は葛藤を十分に扱えないというものであろう。Alvin Gouldnerは、パーソンズについて、調和的な関係を強調しすぎる傾向があると批判した。Irving Louis Horowitzは、構造機能主義は葛藤とは必ず破壊的なものであり、社会というフレームワークの外で起こるものであると見る傾向があると主張した。
  • こうした批判は、構造機能主義は保守主義的なバイアスがかかったものだと主張させるに至った。保守主義的なバイアスが存在するのは、構造機能主義が無視しているもの(変化、歴史、葛藤)によるだけではなく、重視しているものにも起因するといえるだろう。例えば、構造機能主義は文化、規範、価値に焦点を当てる傾向がある。そこでは人々は文化的・社会的力によって拘束されていると見なされているのである。

 

方法論的・論理的な批判(Methodological and Logical Criticisms)

  • しばしばなされる批判として、構造機能主義は基本的に、曖昧で不明瞭だというものがある。曖昧さの理由のひとつは、構造機能主義が現実社会よりも抽象的な社会システムを扱おうとしていることにある。
  • 関連した批判として、単一の大理論が、歴史を通じたすべての社会に対して適用可能であったことはないというものがある。多くの批判者は、単一の大理論は幻想であると考えており、マートンも社会学が目指すことができる最良のものは、歴史に特有な「中範囲の」理論であるとしている。

 

目的論とトートロジー(Teleology and Tautology)

  • 目的論とトートロジーの2つは、構造機能主義における重要な論理的問題であるとみなされている。ここでは、目的論とは、社会が目的や目標を持っているというものである。こうした目標を達成するために、社会は特定の社会構造や制度を発達させるのである。TurnerとMaryanskiは、こうした見方は必ずしも認められないわけではないが、目的論を過剰に延長することが問題であると見なしている。例えば、非正統的な目的論は、社会は生殖と社会化を必要とするので、家族という制度を作り出すと主張する。しかし、様々な別の社会構造もこうした必要を満たすことは可能である。非正統的な目的論は、単に社会の目的と特定の下位構造に関連があることを主張するだけで満足し、他の様々な下位構造との関連を理論的・実証的に示すことはしないのである。
  • もうひとつの批判はトートロジーである。構造機能主義ではしばしば、全体は部分の観点から定義され、部分は全体の観点から定義されるという、循環的な論法が用いられる。


システム理論(Systems Theory)

  • システム理論の領域で研究している社会学者は多くいるが、もっとも有名なのはニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann)である。ルーマンはパーソンズの構造機能主義と、一般システム理論を融合させた社会学的アプローチを発展させた。一般システム理論は1960年代より発展してきた、生物学、認知心理学、組織理論、コンピュータ科学、情報理論、現象学などに根ざしている学際的な分野である。
  • パーソンズと同様に、ルーマンは社会システムを機能分化した構成単位として見なした。しかし、ルーマンは社会システムをはるかにダイナミックなものとして描き出している。第一に、ルーマンは自己言及(self-reference)の概念を追加した。自己言及とは、社会が自らを分析および行為の対象とすることができる能力のことである。第二に、ルーマンは偶発性(contingency)の概念に依拠した。偶発性とは社会システムは、普遍的・恒久的な構造や機能を持たないというアイディアである。パーソンズは、社会が別の形態をとりえることを考えなかったために、適切な分析ができなかったのである。

 


システムと環境(Systems and Environment)

  • ルーマンの言うシステムを理解する鍵は、システムと環境の区別にある。すべてのシステムは環境の中に位置し、システムは境界(boundary)によって環境と区別される。例えば、人間の体と、その周りの世界の区別である。別の例としては、アメリカのような国民国家と、それを取り巻く他の国民国家である。
  • ルーマンによるシステムの定義の中心にあるのは、複雑性(complexity)の概念である。世界は複雑である。すなわち、数えきれないほど多くの行為と相互作用の可能性に満ちている。世界はそれだけ複雑であるので、この複雑性をやりくりしないと、人間は世界に圧倒されてしまう。ルーマンは、システム(特に社会システム)が、世界の複雑性を縮減することができる際に現れると述べる。複雑性の縮減によって、システムと環境の区別が生み出される。システムは常にその環境よりも単純である。言い換えれば、境界を設定し、環境の一部を無視することで、システムは環境の中に固有の位置を作り上げるのである。
  • ルーマンはまた、システムは自らが相互作用する環境の要素を選択すると述べる。こうすることによって、システムはその限界と境界を定義する。環境の一部を無視することで、システムは自らをリスクにさらすかもしれない。環境のリスクがあまりに大きくなった時には、システムは自らを再組織化するのである。

 

オートポイエーシス(Autopoiesis)

  • ルーマンは、オートポイエーシスという考えでもっとも有名である。ルーマンはこの概念を、生物学者のHumberto MaturanaとFrancisco Varelaに依っている。オートポイエーシスとは、システムが自己生成的、自己組織的であることを意味する。
  • 自らを作り出す社会システムは、自己言及的である。別の言い方をすれば、システムは自己モニタリングを行う。すなわち、フィードバックのメカニズムに従うのである。システムは構造を作り出し、たえず自らとその構造が適切な機能を遂行するように確認を行うのである。ガーフィンケルやギデンズはこうした自己モニタリングを、「再帰性」(reflexivity)と呼ぶ。ルーマンはまた、システムは自らの要素(elements)を作り出すと述べる。例えば宗教という制度においては、神器(sacred objects)、儀式、信念システムなどの要素が存在する。
  • ルーマンは、オートポエティックなシステムは、閉鎖的なシステムであると述べる。これはシステムと環境の間には直接のつながりがないということを意味している。前に述べたように、システムはその環境よりも複雑性の度合いが小さい。しかし、この単純さは直接的にシステムに与えられるわけではない。システムは、環境の単純化されたイメージを描き出すことによって存在するのである。
  • オートポイエーシスは、システムが常に自らを生産・再生産することを意味している。パーソンズなどの以前の構造機能主義者は社会構造の存在を所与のものとしていた。しかしルーマンは、オートポイエティックなシステムの生成は、決して保証されたものではないと主張する。これは、社会生活はその成員によって現在行われている達成であるという、エスノメソドロジー的な考えと非常に共通している。

 

分化(Differentiation)

  • ルーマンは分化が近代社会の主要な特徴であると述べる。これはシステムがその環境の複雑性に対処するための手段である。ルーマンは分化を、「システムがその内部において、システムと環境の区別を模倣すること」であると定義する。

 

環節的分化(Segmentary Differentiation)

  • 環節的分化は、同一の機能を満たす必要性にそって、システムを部分に分割することである。例えば、自動車の生産者は、機能的には同じ工場を、多くの異なった場所に作り出す。

 

成層的分化(Stratificatory Differentiation)

  • 成層的分化とは、身分や地位に基づいた垂直的な分化である。この分化はヒエラルキー的である。それぞれの地位やシステムの中で特有の機能を遂行する。例えば、自動車会社における経営者と、下位の労働者の区別である。

 

中心-周辺分化(Center-Periphery Differentiation)

  • 中心-周辺分化とは、環節的分化と成層的分化をつなぐものである。これはシステム内部において、中心と周辺の要素をつなぐ要素を意味する。例えば、自動車会社では他国に工場を建てることがある。しかし、企業の本社は中心に残り周辺である工場を統制するのである。

 

機能的システムの分化(Differentiations of Functional Systems)

  • 機能的分化とは、もっとも複雑な形態の分化であり、近代社会においてもっとも重要な形態である。すべての機能は特定の単位に属する。例えば、自動車の生産者は、生産、経営、会計、企画、人事などの部門に機能的に分化している。
  • 機能的分化は、成層的分化よりも柔軟である。しかし、ひとつのシステムがその仕事をこなせなくなった際には、システム全体は大きな生存の困難に陥る。一方で、それぞれの単位がその機能を遂行している限りにおいては、それらの単位は高い独立性を得ることができる。実際のところ、機能的に分化したシステムとは、高度の相互依存と独立性がまざりあったものなのである。
  • 環節的分化においては、ひとつの環節が機能を果たさなくても、システムが危機に陥ることはない。しかし、機能的分化のように複雑な社会システムにおいては、システム全体の崩壊につながる可能性がある。一方では複雑性を増大させることで、システムは環境に対処する能力を高めるが、他方で複雑性はシステムを崩壊させるリスクを高めるのである。

 


 葛藤理論(Conflict Theory)

  • 葛藤理論は、(少なくとも部分的には)構造機能主義とそれに対する批判への反応として起きた発展であると見なせる。しかし、葛藤理論はマルクス、ヴェーバー、ジンメルなどの社会的葛藤に関する様々な研究にも根ざしている。葛藤理論の根本的な問題は、構造機能主義から十分に分離することに成功しなかったことである。


ラルフ・ダーレンドルフの研究(The Work of Ralf Dahrendorf)

  • 機能主義と同様に、葛藤理論においても、社会構造と制度の研究が志向される。しかし、葛藤理論は大部分のところ、機能主義の立場の正反対の主張に他ならないのである。これはラルフ・ダーレンドルフの研究にもっとも現れている。機能主義者にとっては、社会は静的であるか、均衡状態に向かっている。これに対して、ダーレンドルフなどの葛藤理論家にとっては、あらゆる社会のあらゆる場所は、変化のプロセスにある。
  • 機能主義者は、社会が規範、価値、一般道徳によって日常的に統合されていると見なす。葛藤理論家はどのような秩序も、社会のトップにいる成員の権力(power)による強制であると見なす。
  • ダーレンドルフは、社会は2つの側面、すなわち葛藤と合意(consensus)を持ち、それゆえに社会学理論は葛藤理論と合意理論に分けられるべきであると主張した。彼は、社会は葛藤と合意の両方がなければ、存在できないということに気づいていた。何らかの事前の合意なしには、葛藤を持つこともできないのである。
  • ダーレンドルフによれば、機能主義者は社会システムを、自発的な協力か一般的な合意、あるいはその両方によって統合されていると見なしている。しかし、葛藤理論家はによれば社会における地位は、他者に対する権力と権威によって委任されたものなのである。ダーレンドルフの中心命題は、権威の異なった分布が、社会的葛藤を体系的に起こす決定要因になるというものである。

 

権威(Authority)

  • 権威は個人にではなく地位に宿る。ダーレンドルフは地位の構造だけではなく、これらの間の葛藤にも関心を持った。葛藤についての分析がなすべきことは、権威の様々な役割を明らかにすることであった。また、ダーレンドルフは個人レベルに焦点を置くことに反対した。
  • 権威とはつねに支配と従属の両方が存在することを意味する。権威を持つ人々は、その周囲の人々からの期待(expectations)が存在するために支配が可能である。この期待は個人にではなく、地位に付与されている。さらに、権威とは正統性を持つので、これに従わない場合には制裁を負うことになる。
  • 権威は地位に付与されているので、ある状況において権威を持った個人は、別の状況では必ずしも権威を持たない。このことによって社会は数々の、「必然的に組織された連関」(imperatively coordinated associations)によって成り立っていると、ダーレンドルフは主張する。
  • それぞれの連関の内部においては、2つの葛藤集団のみが存在する。ここでダーレンドルフにおける、別の重要な概念が登場する。それは、利害(interests)である。上位と下位の集団は、共通利害によって決まるのである。
  • すべての連関の内部おいて、支配的な地位にある人々は現状を維持することを求め、従属的な地位にある人々は変化を求める。利害の葛藤は、どちらの地位にある人々が行動する上でも、意識されている必要はない。人々はある地位を占めたら、期待されたようなやり方で振る舞うのである。ダーレンドルフは、無意識の期待が持つ役割を、潜在的利害(latent interests)と呼んだ。潜在的利害が意識されたものが顕在的利害(manifested interests)である。

 

集団、葛藤、変化(Groups, Conflict, and Change)

  • 次に、ダーレンドルフは3つのタイプの集団を区別した。第一に、擬似集団(quasi group)である。これは、「同一の利害役割を持つ地位を占める人々の集まり」である。これは、第二の集団を生み出す基盤となる。それは、利害集団(interest group)である。利害集団には、組織構造、目標、成員の人事の仕組みといったものが存在し、共通の行動のモードがあるのが特徴である。そして、利害集団から葛藤集団(conflict group)が現れる。これこそが、実際に集団的な葛藤に関わるものである。
  • ダーレンドルフは、潜在的・顕在的利害にくわえて、これらの集団が社会的葛藤の説明において基本的だと考えた。理想的状況においては、他の変数は必要ではない。しかしながら理想的状況は決して存在しないので、様々な要因がこのプロセスに介入する。例えば、技術的条件(十分な人事管理の仕組み)、政治的条件(政治情勢)、社会的条件(通信網の存在)である。また、人々がどのようにして擬似集団に入るのかというのも、重要な社会的条件である。もし、ある集団に入ることが偶然であるならば、葛藤につながる集団は生まれないと、ダーレンドルフは考えた(ゆえに、マルクスとは異なり、ルンペンプロレタリアートは葛藤集団にはならない)。
  • ダーレンドルフは、ルイス・コーザー(Lewis Coser)の研究の重要性を認めていた。コーザーは、現状を維持することへの葛藤がもたらす機能に関心を寄せた。しかしダーレンドルフにとって、葛藤の保守的な機能は社会的現実の一部であり、葛藤は変化と発展にもつながるものであった。


主な批判とそれに対処しようとする試み(The Major Criticisms and Efforts to Deal with Them)

  • 葛藤理論は様々な理由から批判された。例えば、秩序と安定性を無視しているという批判をされた(構造機能主義は葛藤と変化を無視していることで批判をされた)。葛藤理論はまた、イデオロギー的にラディカルであることで批判をされた(構造機能主義はイデオロギー的に保守的であることで批判をされた)。構造機能主義に対して、葛藤理論は十分に洗練されたものではなかった。
  • ダーレンドルフの研究は第一に、彼の主張とは異なり、マルクスのアイディアを明確に反映したものではないという批判がある。第二に、ダーレンドルフがシステム、地位、役割連関といったものを強調しているように、マルクス主義理論よりも構造機能主義により似ている。さらに、葛藤理論は曖昧な概念、トートロジーなど、構造機能主義と同様の問題がある。そして、構造機能主義と同様に、葛藤理論はマクロ的であり、個人の思考と行為を理解するにはほとんど役に立たない。
  • 葛藤理論と構造機能主義に対する批判は、これら2つの理論を統合させようという試みにつながった。こうした研究でもっとも知られているのは、ルイス・コーザーの『社会的葛藤の機能』(The Functions of Social Conflict)である。
  • 葛藤の機能について、初期の重要な研究はジンメルによって行われたが、これを拡張したのがコーザーである。コーザーは葛藤について、ゆるやかに構造化された集団を団結させるという役割があることを主張した(例えば、イスラエルのユダヤ人)。葛藤は、日常的には孤立している個人に対して、積極的な役割をもたらすこともある(例えば、ベトナム戦争時の若年者の政治行動)。
  • 葛藤はまた、コミュニケーションの機能を果たすこともある。葛藤が存在する以前には、集団は自らの敵対者の地位に気づいていないかもしれない。しかし、葛藤が存在することで、集団の間の境界が明確になり、個人は敵対者に対して、適切な行為を選ぶことができる。
  • マルクス主義の理論家の中には、葛藤理論を認めないものもいる。葛藤理論はマルクス主義の要素を持っているものの、決してマルクスのもともとの理論を継承したものではないのである。

 

より統合的な葛藤理論(A More Integrative Conflict Theory)

  • ランドール・コリンズ(Randall Collins)の『葛藤の社会学』(Conflict Sociology)は、よりミクロな方向に移行したものである。
  • コリンズは自らが葛藤に関心を持つことについて、イデオロギー的なものではないと明確に述べた。葛藤はよいか悪いかというところから始めず、それが社会生活において中心的なプロセスであるから焦点を当てるのだという。
  • コリンズが葛藤について個人の観点からアプローチしたのは、彼の理論的なルーツが現象学とエスノメソドロジーにあるためだった。コリンズは葛藤理論がマクロなレベルの分析も必要とすることは認めていた。しかし、他の理論家が社会構造を個人にとって外的で強制的なものと見なしていたのに対して、コリンズは社会構造について、相互作用によってそれを構成する個人とは分離できないものであると考えた。
  • コリンズはマルクス主義の理論について、葛藤理論の「出発点」であると見なした。しかし、彼にとってマルクス主義の理論は構造機能主義と同様に、強くイデオロギー的なものであった。さらに、コリンズの考えではマルクスの姿勢は経済の領域の分析に還元可能なものであった。彼の葛藤理論はマルクスの影響よりもむしろ、現象学、エスノメソドロジーにくわえて、ヴェーバーやデュルケームにより強く影響されている。

 

社会階層(Social Stratification)

  • コリンズが社会階層に関心を持ったのは、それが社会生活の多くの要素と関連を持つからであった。彼の考えでは、階層のマクロな理論は「失敗」である。コリンズによれば、すべての社会構造と同様に、社会階層は、日常生活におけるパターン化された相互作用として理解可能なものであった。
  • コリンズは階層のミクロ社会学への関心にもかかわらず、マルクスとヴェーバーのマクロな理論から議論を始める。第一に、コリンズによれば、マルクスは近代社会においては生計を立てるための物質的条件が、人々の生活様式の主要な決定要因であると考えていた。生計を立てるための基本要素は、私有財産との関係である。財産を所有・支配する人々は、自らの労働力を売らなければならない人々よりも、満足に生計を立てることができる。
  • 第二に、マルクス主義の観点では、物質的条件は人々がどのようにして生計を立てるかだけではなく、異なる社会集団の性質にも影響する。支配的な社会階級は、より緊密な社会集団を形成することができる。
  • そしてコリンズによれば、マルクスはまた、社会階級によって文化システムへのアクセスと支配に大きな違いがあることを指摘していた。すなわち、上位の社会階級はより統合されたシンボルとイデオロギーのシステムを発展させ、しばしばそれを下位の社会階級に強制することができる。
  • コリンズは、ヴェーバーはマルクスの階層理論をさらに発展させたと考えた。例えば、ヴェーバーは階級、地位、権力という多元的な階層システムによる葛藤の形態の存在を認めていた。また、組織の理論を高度に発展させた。さらに、ヴェーバーが国家を暴力の手段を統制していることによる行為主体と見なしたことについて、コリンズは重要だと考えた。最後に、ヴェーバーは宗教のような感情の社会的領域を理解していたことを、コリンズは評価した。
  • こうした背景の下で、コリンズは階層についての葛藤的アプローチに向かう。人々は本質的に社交的であるが、同時に社会関係における葛藤をもたらしやすいと仮定される。コリンズは人々が利己的であり、自らの「主観的地位」(subjective status)を最大化することを求めると見なした。そして、その能力は自らの資源に依存するのである。
  • 階層への葛藤アプローチは、3つの基本原理にまとめられる。第一に、人々は自ら構成した主観的世界に生きている。第二に、他者は個人の主観的経験に影響し、あるいは支配する力を持っていることがある。第三に、他者はしばしば個人を支配しようとする。この結果として、個人間の葛藤がしばしば起きる。
  • このアプローチに基づき、コリンズは葛藤分析の5つの原則を打ち立てた。第一に、コリンズは葛藤理論が抽象的な公式化よりも、現実生活を重視しなければならないと考えた。これは構造機能主義の抽象化よりも、マルクス主義的な物質的な分析に対する好みを反映したもののように見える。
  • 第二に、コリンズは階層の葛藤理論について、相互作用に影響する物質的条件を検証するべきだと考えた。主な要因はそれぞれの行為者が保有する資源である。大量の物質的資源を持つ行為者は、物質的制約に抵抗したり、さらにはそれを変えたりすることもできる。
  • 第三に、不平等が存在する状況において、資源を支配する集団は、それを欠く集団を搾取しようとする傾向があるとコリンズは主張した。ただし、そうした搾取はかならずしも意識した計算に基づいているとは限らない。搾取する人々は単に最善の利益だと感じるものを追求しているだけなのである。
  • 第四に、葛藤理論は、利害、資源、権力の観点から、信念や観念といった文化的現象を見るべきだとコリンズは述べた。
  • 最後に、コリンズは階層を含む社会的世界の科学的な研究に、強いコミットメントを持っていた。社会学者は階層について単に理論化するだけではなく実証的に、可能であれば比較の方法で研究をするべきだと、彼は考えた。また、あらゆる形態の社会行動に関して、その多数の原因を見るべきだとも考えていた。

 

他の社会領域(Other Social Domains)

  • コリンズは階層システムにおける葛藤だけではなく、他の社会領域にも拡張しようと模索した。例えば、彼は家族について、男性が女性を支配する性的葛藤の場であると考えた。同様にして、彼は年長者と年少者の間にも葛藤が存在すると見なした。
  • コリンズは公的組織についても、葛藤の観点から分析した。彼は公的組織が個人間の影響のネットワークであり、利害の葛藤が起きる場であると見なした。
  • 理由の違いはあるものの、コリンズはダーレンドルフと同様に、真の意味でのマルクス主義的な葛藤理論家ではない。マルクスを出発点とはしているが、ヴェーバー、デュルケーム、そして特にエスノメソドロジーの影響がはるかに強い。コリンズのミクロな志向はより統合的な葛藤理論の発展に向けて役に立つものである。しかし、彼はその課題を十分にこなしたとはいえない。