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松尾豊『人工知能は人間を超えるか――ディープラーニングの先にあるもの』

読書

 

人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)

人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)

 

 

 ここ1年ほどの間に、新聞などで人工知能(AI)についての記事が実に増えたなあと感じています。目にしない日は、ほぼないのではないかというほどです。本書でも採り上げられていますが、スティーヴン・ホーキングや、ビル・ゲイツが危機感を表明していたり、これからなくなる職業がどれほどあるのかが議論されていたりと、いずれ自分の仕事にも何らかの影響を及ぼすのではないかという不安は、だんだんと増してきていました。知識がないことに基づく不安はよくないので、他の本を研究費で買うついでに、本書も買ってみました。

 著者は近年のAIの発展や関心の高まりを、「第三次AIブーム」と名づけ、そのブレイクスルーの中心にあるものとして、「ディープラーニング」を挙げています。ディープラーニングとは、「これまで人間が入力していた特徴表現を、コンピュータが自ら獲得する」ことを可能にした方法だと述べています。たとえば、画像認識の分野であれば、それぞれの画像を正しく分類する上での基準を、膨大なデータからコンピュータが自ら探りだすというものだとされます。また、これは数学的には主成分分析と同様の手続きを行っているそうです。アイディア自体はもう少し昔からあったものの、データにノイズをくわえても頑健性を得られるようになるには、近年のマシンスペックの向上が必要だったとのことです。

 「特徴表現を、コンピュータが自ら獲得する」というのは、社会科学の分野にも応用は可能だと思います。たとえば、紛争の発生、労働組合への加入、出産などの従属変数にたいして、これまで研究者が考えもしていなかった独立変数を、データからコンピュータが見つけるようになるかもしれません。

 ただし私の理解としては、上の手続きで行われていることは、データにおける「予測」の精度を高めるというのもになります。これに対して、社会科学者の関心はしばしば、「予測」よりも「説明」にあります。すなわち、なぜある社会現象が観察されるかについて、もっともらしい理由を提示するというものです。

 この「予測」と「説明」の区別は、Jon Elsterの議論を念頭に置いています。もっとも、こうした立場は必ずしも共有されていないかもしれません。実際、Gelman(2011)によれば、コンピュータ科学の分野においては、観察されるデータのみから因果関係を明らかにできるという、極端な立場が見られるとされています(この逆の極が、Heckmanのように実質的な理論がなければ因果のことはわからないという立場です)。まあ、データと理論の関係性は再帰的なところもあるので、コンピュータが見つけてきた新たな相関関係を、人間が解釈するというようなこともあるのかもしれません。

 あと、物理的な面での制約がAIの発展速度に及ぼす影響も気になっていました。本書では最後に若干触れられていますが、鉄やレアメタルや電力がこれまでよりもさらに必要になるはずなのですが、一般社会での議論では、その点についての言及があまり見られないという印象です。