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Hall and Taylor (1996) "Political Science and the Three New Institutionalism"

論文

Hall, Peter and Rosemary C. R. Taylor. 1996. "Political Science and the Three New Institutionalism." Political Studies 44: 936-57.

 

  • 新制度論(new institutionalism)が、何を意味するのか、他のアプローチと何が異なるのかについては混乱がある。曖昧さが生まれるのは、新制度論が統合された思考になっていないことが理由のひとつである。少なくとも3つの異なる分析のアプローチが見られる。
 

歴史的制度論

  • 歴史的制度論(hisotrical instituionalism)は、1960-70年代に有望であった構造機能主義にたいする反応として発展した。制度がある結果を生み出す上での、集合的行為を構造化する主要な要因であると見なす点は、構造機能主義と同様である。しかし、ある政治的な結果が、システムの必要を満たすための機能だと見なさない点において、構造機能主義とは異なっている。
  • 歴史的制度論は概して、制度を政治・経済などの組織構造に埋め込まれた公式・非公式の手続き、習慣、規範、慣習として定義する。他の学派と比較して第一に、歴史的制度論は制度と個人の行為を広く概念化する傾向がある。第二に、制度の作動と発展を権力の非対称性と関連させる。第三に、制度の発展における経路依存性と意図せざる結果を強調する。第四に、理念のような他の要因を、制度の分析に統合させることに関心がある。
  • いかなる制度の分析においても、制度がいかに個人の振る舞いに影響するかという問いが存在する。広く言えば、新制度論は、この問に対して2種類の応答を提示する。これらは、「計算的アプローチ」(calculus approach)および、「文化的アプローチ」(cultural approach)と呼べるものである。これらは、「どのように行為者は振る舞うのか」、「制度は何を果たすのか」、「なぜ制度は持続するのか」という3つの問いに対して、ある程度に異なった答えをもたらす。
  • 「どのように行為者は振る舞うのか」について、計算的アプローチは、戦略的な計算に基づいた手段的な振る舞いに焦点を当てる。このアプローチは、ある選好を所与とした際に、個人が効用最大化を求めて行為するとみなす。「制度は何を果たすのか」 について、制度は個人に対して他者の行為や、契約が履行されるメカニズム、背信行為に伴う制裁などの情報をもたらすとされる。すなわち、現在及び将来の他者の行為にたいする確実性・不確実性をもたらし、個人の期待を変化させることでその行為に影響するのである。
  • 文化的アプローチにおいては、行為は完全に戦略的ではなく、個人の世界観に制約されるとみなされる。個人が合理的であることや、目的を持って行為することを否定はせず、目的を達成する上での確立された習慣や行為のパターンが強調される。個人は効用の最大化よりも、一定の満足を目指して行為するものだとする。 個人の行為は、手段的な計算よりも、状況の解釈により依存するとみなすのである。
  • 文化的アプローチにおいては制度は何を果たすのか。それは、状況の解釈を行う上での、道徳的・認知的な鋳型をもたらすものとされる。個人は制度の世界に深く埋め込まれた存在とみなされる。そして制度は、シンボル、定型的な手続き(scripts)、習慣からなり、解釈のフィルターをもたらすものである。また制度は、状況と個人の両方からなるものであり、そこから一連の行為が構築されるのである。制度は、戦略的に有用な情報をもたらすのみならず、行為者のアイデンティティ、自己イメージ、選好にもまた影響するのである。
  • 計算的アプローチにおいては、制度の持続はナッシュ均衡のようなものが内包されるためだとされる。つまり、個人が規則化された行為のパターンから逸脱することが、留まり続けることよりも悪い結果につながるためである。これにたいして文化的アプローチでは、制度にともなう多くの慣習が、個人の選択の明確な対象とならないことによって、制度の持続は説明される。ある制度はあまりに「慣習的」、あるいは当然のものなので、直接的な検証を逃れ、いかなる一人の行為者によっても変えられることがないものなのである。
  • 歴史的制度論は折衷主義(eclectic)である。制度と行為の関係を特定する上で、これら2つのアプローチの両者を用いる。
  • 歴史的制度論の2つめの特徴として、権力が不均等に社会集団に分配されることに注意を払うことがある。自由に契約を行う個人ではなく、ある特定の社会集団・利害集団が意思決定にたいする偏ったアクセスを持つとみなす。ある結果がすべての人々をよりよくするのではなく、勝者と敗者がいることが強調される。
  • 歴史的制度論はまた、「経路依存的」な社会的要因を強調する。すなわち、ある要因はいかなる場所においても同じ結果を生み出すという伝統的な仮定を否定する。そうではなく、こうした要因は過去から引き継がれた状況の、文脈的な特徴に媒介されるのだという見方を採用する。
  • これにともない、歴史的制度論は、制度はどのようにしてそのような経路を生み出すのへの説明にも関心を持ってきた。初期の分析では、「国家の能力」(state capacities)、「政治上の遺産」(policy legacy)が強調された。こうした文脈においては、制度は目的や効率のために存在するというイメージよりも、現存する制度が生み出す意図せざる結果や非効率性が強調される。
 

合理的選択制度論

  • 合理的選択制度論は、歴史的制度論と同時に、しかしある程度に独立に発展した。政治学における合理的選択制度論は、「組織の新経済学」から、有益な分析道具を引き出した。すなわち、制度の作動と発展における所有権、レント・シーキング、取引費用の重要性である。とりわけ影響力を持ったのはWilliamsonの議論であり、ある組織の発展は、制度がない場合の活動に比べた際の、取引費用の縮減への試みの結果として説明できるというものである。Northは同様の議論を政治制度の歴史に適用した。
  • 合理的選択制度論の特徴として、第一に行為者の振る舞いに関する一連の仮定がある。一般的に、行為者は一定の選好と嗜好を持ち、これらの達成を最大化するために手段的に振る舞い、またその際には詳細な計算をともなう戦略的な形で行為するとみなされる。
  • 第二に、合理的選択制度論では、政治を一連の集合的行為のジレンマとみなす。これは、個人が自らの選好の達成を最大化しようとする際には、集合的には最適ではない結果がもたらされる傾向として定義される。古典的な事例として、「囚人のジレンマ」や「コモンズの悲劇」が含まれる。
  • 第三に、合理的選択制度論における大きな貢献の一つは、ある政治的な結果の規定要因として、戦略的な相互作用の役割を強調してきたことである。すなわち、ある個人の行為は非人格的な歴史的な力によって駆動させられるのではなく、戦略的な計算によるというものである。そして、この計算は他者がどのように振る舞うのかという期待に深く影響される。制度は、一連のオルタナティヴへの影響や、他者の行為の不確実性を縮減させるような情報や履行メカニズムをもたらすことで、こうした相互作用を構造化する。合理的選択の理論は、古典的な計算的アプローチを採用するのである。
  • 第四に、制度がどのようにして発生するのかについても、合理的選択制度論は独自の貢献をしている。まず、ある制度が果たす機能の定型化が、演繹的に行われる。次に、こうした機能が行為者に与える影響の価値について言及することで、制度の存在が説明される。こうした定式化は、行為者がこうした価値を実現するために制度を生み出すという仮定を置いている。よって、制度の生成は、行為者の自発的な合意を中心に展開するとみなされる。そして、ある制度が存続するのは、代替的な制度よりも行為者に利益をもたらすためだと説明される。
 

社会学的制度論

  • 政治学とは同時期に、しかし独立して、社会学における新制度論が発達した。ここで社会学的制度論と呼ぶのは、主には組織理論の下位領域におけるものである。この動きは1970年代の終わりにみられるようになった。Weber以来、多くの社会学者は、近代社会において支配的な官僚的な構造は、そこで必要な役割を達成するために、さらなる効率性を求めてきた結果だと考えてきた。組織の形態における類似性は、合理性や効率性を反映したものだという考え方である。文化は、まったく異なる何かであるとみなされてきた。
  • これに対して社会学における新制度論は、近代組織における制度的形態や手続きは、ある目的においてもっとも効率的であることによって採用されるのではないと主張した。そうではなく、多くの制度的形態および手続きは、社会に見られる神話や儀礼に類似した、文化的に特有な実践なのである。
  • 社会学的な制度論は第一に、政治学者よりも広く制度を定義しようとする傾向がある。すなわち、公的な規則・手続き、あるいは規範のみならず、行為を導く上での「意味のフレーム」をもたらすようなシンボルのシステム、認知的な定型式、道徳的な鋳型を含むのである。こうした定義は、「制度」と「文化」の間の概念的な区分を解体するものである。このことは、2つの意味を持つ。第一に、多くの政治学者が好むような、組織構造に基づいた「制度的な説明」と、共有された態度や価値といった文化の理解に基づく「文化的な説明」という区別にに異議を申し立てるものである。第二に、このアプローチは、「文化」それ自体を、「制度」として再定義することにつながる。
  • 社会学的な制度論は第二に、上述した「文化的アプローチ」に従って、制度と個人の行為の関係を理解する。古い社会学的な分析は、制度と行為の関係について、「規範的行動」に付与された「役割」に制度を関連させることで理解しようとする。この見方においては、ある制度的役割に社会化された個人が、こうした役割にかかわる規範を内面化することで、制度は行動に影響する。多くの社会学者は、こうした「規範的次元」よりも、「認知的次元」を強調するようになっている。すなわち、行為に欠くことのできない、認知的な定式、カテゴリー、モデルを提供することによって、制度は行動に影響するというのである。ここには、社会構築主義の影響が見られる。
  • こうした観点の中心には、行為は解釈によって固く拘束されるというイメージがある。社会学的な制度論においては、ある状況に直面した際に、個人はそれにどのように反応するかだけではなく、どのように認識するかも見出されなければならないと主張する。
  • これは個人が目的を持ったり、その達成を志向したり、合理的であったりすることを否定するわけではない。しかしながら、社会学的制度論は、個人が「合理的行為」とみなすものそれ自体が社会的に構築されており、行為者が達成に向けて競う目的についても広く概念化することを強調する。
  • 第三に、社会学的制度論は、どのように制度的実践が発生し、変化するかについても独自のアプローチを採用する。組織が新たな制度的実践を行うのは、手段-目的効率性を増加させるためではなく、組織あるいはその成員における社会的な正統性を増加させるためである。言いかえれば、より広い文化的環境において、ある制度的形態や実践が評価されるためである。
 

制度論を比較する

  • 歴史的制度論は、制度と行為の関係について、もっとも広い概念化を行っている。この学派は「計算的」アプローチをと、「文化的」アプローチの両者を利用する。しかし、折衷主義はコストをともなう。歴史的制度論は他の学派にくらべて、いかに制度が行動に影響するかの洗練された理解を発展させていない。この研究の中には、厳密な因果の連鎖の特定化において不注意なものもある。
  • 合理的選択制度論は、制度と行為の関係についてより厳密な概念化を行っており、体系的な理論化に役立つ、一般的な概念を発展させている。しかしながら、これらの大げさに称賛されているミクロな基礎づけは、人間の動機づけに関するやや単純なイメージに基づいている。このアプローチの擁護者たちは、一連の誘導系方程式を比較し、仮定の正しさではなく、モデルの予測力によって判断を行っている。しかし、そうしたモデルにおける予測は、利得行列や選好構造などのわずかな変化に対して敏感であるため、根拠としてあてにならない。こうしたアプローチの有用性は、行為者の選好や目的が、分析において外生的であると特定化していることによっても、限定的である。
  • しかしながら、手段的行為は政治における主要な要素であることから、合理的選択制度論は大きな貢献を行ってきた。とりわけ、行為者が政治的な結果をもたらす上での戦略的な相互作用の果たす役割に注意を向けた。これは、社会経済的発展、教育達成、物質的な不満などの構造的変数が、直接的に個人の行動に影響するという伝統的なアプローチからの大きな進歩である。
  • しかしながら、周りに誰もいない時に信号待ちをしたことのある者なら誰もが、制度と行為の間に、強く手段的な関係が存在しない次元があることを認めなければならない。社会学的制度論はしばしば、こうした次元を明らかにする上でより優れている。この理論においては、合理的選択理論が所与としている、行為者の潜在的な選好やアイデンティティに対して、制度がいかに影響するかを特定化する。
  • 制度がいかに発生し、変化するのかという問いに対しても、3つの学派は強みと弱みを有する。
  • 合理的選択制度論は、もっとも洗練された説明を行ってきた。このアプローチは、現存する制度がなぜ持続しているかについての、説明力をたしかに持っている。制度の持続は、その制度がもたらす利益にしばしば依存するためである。
  • しかしながら第一に、合理的選択制度論は、しばしば高度に「機能主義的」である。すなわち、ある制度が現に存在していることの影響に従って、制度の起源を説明する。現存する制度の効果は、その持続を説明するかもしれないが、起源の説明と混同してはならない。社会的世界において意図せざる結果は広く見られるので、結果から起源を支障なく演繹することはできない。さらにこのアプローチにおいては、効率性を過剰に主張し、制度がもたらす非効率性の説明をおざなりにしてしまいがちである。
  • 第二に、合理的選択制度論は、おおいに「意図的」である。言いかえれば、制度の生成のプロセスが、行為者によってコントロールされたものであるとみなしがちである。また、複雑な動機づけが働くケースにおいても、過剰に単純な意図に置き換えてしまうことがある。
  • 第三に、合理的選択制度論における多くの分析は、強く「自発的」である。すなわち、制度の生成は、平等で独立した行為者の自発的な合意に基づく、擬似的な契約とみなされがちである。こうしたアプローチは権力の非対称性を軽視してしまうことがある。最後に、合理的選択アプローチにおける、「均衡的」な特徴が、矛盾をはらんでいる。このアプローチでは、制度がつくられる開始点が、ナッシュ均衡を反映していると想定している。そのため、行為者がなぜ現在の制度を変革することに合意するのかが自明ではない。少なくともこのアプローチは、動学的な均衡について、より強固な理論を必要としている。
  • これに対して、歴史的制度論と社会学的制度論は、制度の発生と変化についてかなり異なるアプローチを行う。両者は、すでに制度に満ちている世界において、新たな制度がつくられたり、採用されたりすることを主張する。
  • 社会学的制度論は、新たな制度を発展させる行為者が、既存の制度的鋳型を「借用」するプロセスに注意を払う。このアプローチは、現存する制度的世界が、新たな制度の生成の幅を束縛することを強調するのである。
  • しかしながら、政治学的な観点からすると、社会学的制度論のアプローチは、血の気のないものに見える。すなわち、対立する利害を持つ行為者間の衝突を見落とす可能性がある。その結果は、「エージェントのいない行為」に見えてしまう。
  • 歴史的制度論は、制度に満ちている世界から議論を始める。新たな制度の生成において、現存する制度がある行為者により権力を与えることに注意が払われる。
  • 合理的選択による制度の起源の説明が演繹的なものだとすれば、歴史的制度論はしばしば強く帰納に基づいている。歴史における記録を証拠として磨き上げ、なぜ行為者は歴史的にそのように振る舞ったのかを説明するのである。歴史的な行為者が自らの行為に対して付与した意味についての、neo-Weber的な焦点化は、分析の現実性を大いに高めた。合理的行為による演繹的な計算において、複数の均衡による対立した説明が存在する際に、歴史的制度論は特定化を可能にするのである。しかしながら、帰納の強調は強みであるとともに弱みでもある。歴史的制度論は、その知見を統合し、制度の生成と変化についての一般的なプロセスを、体系的に理論化するのが遅いのである。