Busemeyer et al. (2011) "Individual Policy Preferences for Vocational versus Academic Education: Microlevel Evidence for the Case of Switzerland"

Busemeyer, Mauris R., Maria A. Cattaneo, and Stefan C. Wolter. 2011. "Individual Policy Preferences for Vocational versus Academic Education: Microlevel Evidence for the Case of Switzerland." Journal of European Social Policy 21: 253-73.

 

 分析に入るまでの部分をまとめてみます。異なる教育セクターへの配分に関する意見と、公的な教育支出の水準に関する意見の区別は、ちょっと自分でも気になっているところがあり、分析してみたいとも思っています。

 

  • 多くの研究において、福祉国家の様々な政策へ個人の選好が与える影響が分析されてきたものの、教育への関心は少ない。くわえて、教育社会学における研究は、個人の選択、すなわち、ある教育段階からの次の段階への移行に焦点を当てており、教育政策への選好にはそれほど注意が向けられていない。
  • 知見をまとめるならば、アカデミックな教育と職業教育のように、公的な教育支出の配分の面における選好に対して、学歴と所得は影響している。しかしながら、公的な財源の水準ということになると、学歴と所得はほとんど説明力がない。むしろ、党派のイデオロギーが主要な規定要因となっており、左派的な人々ほど、(公的・私的な財源両方においての)人的資本への投資を支持する。くわえて、制度的な文脈が関わっている。職業教育の伝統を有しているスイスの州ほど、職業教育への公的支出が支持されやすい。
  • 教育政策への選好についての研究は、実証的にのみならず、理論的にも重要である。民主主義社会においては、有権者の政策選好が意味を持つ。もちろん、有権者の政策への選好は集計され、中間団体、政党、政治制度によって選別されるものの、個人の態度と政策のアウトプットには関連があるということが、研究によって明らかになっている。

 

文献レビュー

  • 1980年代の後半より、社会政策への選好に関する、個人レベルの規定要因が多く研究されてきた。この研究の一部は政治社会学におけるものであり、また一方で政治経済学によって再分配への選好が分析されてきた。
  • おそらくもっとも重要なこととして、個人の利害とイデオロギーの両方が、社会政策への選好の差異を説明する要因となっている。福祉国家あるいは再分配への全般的な支持は、ミクロレベルでは所得と負に関連している。低所得者は高所得者にくらべて、寛大な福祉国家政策よる利益を期待できるためである。
  • しかしながら、個人の利害のみでは、様々な政策への選好は説明できない。古典的な研究デザインにおいては、一方では「移転階級」('transfer classes')への所属によって、すなわち福祉国家政策へのアクセスの違いによって、また一方では政治経済階級(労働者とブルジョワジー)によって、説明が試みられる。
  • 党派的なイデオロギーにくわえて、一般的な価値志向も影響する。Van Oorscholtは、「妥当性」('deservingness')の感覚が重要であることを強調している。高齢者、疾病者、障害者のように、「受けるに値する」と感じられる集団を対象にした政策は、移民のように、「受けるに値しない」と感じられる集団を対象にした政策よりも、強く支持される。
  • 制度的な文脈もまた影響するとされるものの、その結果は決定的なものではなく、曖昧である。Rothsteinは、「公正な」('just')制度、すなわち、そのように感じられるような普遍的な福祉国家制度は、福祉国家全般への支持を強めると主張した。この議論に沿って、多くの研究は、Esping-Andersenの「福祉資本主義の世界」と、社会政策への支持の関連を分析した。しかしながら、結果は一貫しておらず、必ずしも福祉資本主義の世界にそって、支持の違いがあるわけではない。アメリカのような最低限度の福祉国家においても、福祉国家政策は全般的に支持されているのである。一般的な問題として、福祉国家制度と個人の選好の因果の方向性が、明確ではないということがある。BrooksとManzaは、個人の政策選好は、社会政策の変化を引き起こすと主張している。一方で、Kenworthyは、福祉国家の寛大さが、支持の上昇に先行していることを示し、疑問を呈している。
  • 比較福祉国家研究の貢献にくわえて、近年の教育社会学における研究は、個人レベルの政策選好を明らかにする上で役に立つかもしれない。BreenとGoldthorpeによる1990年代の一連の研究、およびそれに先立つBoudonの研究に始まり、数十年にわたる教育拡大にもかかわらず、教育達成の階級格差が持続しているのか、という問いが探求されてきた。BreenとGoldthorpeは、個人の意思決定は合理的選択に基づいているものの、教育投資における相対的な費用と利益の感覚が、教育達成の階級格差の構成要素となっていることを示した。HilmertとJacobは、このモデルを拡張し、費用と利益の感覚は、教育を継続することの意思決定に影響するのみならず、アカデミックな教育と職業教育の選択にも影響していることを示した。
  • しかしながら、これまでの研究は、教育政策への選好を見ていない。比較福祉国家研究は、様々な社会政策を従属変数に用いるものの、そこに教育は含まれないことが多い。他の社会政策と同様に、教育への投資は再分配の含みを持つために、全般的な研究の欠如は驚きである。Wilenskyによる、「教育は特別である」という決定的な主張を聞き入れて、比較福祉国家研究は、教育は福祉国家において切り離せない要素であることを、無視する傾向にあった。
  • 教育社会学における研究は、個人の教育選択を説明しようとするものの、政策選好は含められていない。政策選好は、教育の意思決定にも反映されると考えるのは、妥当だろう。

 

理論枠組み

  • 出発点として、個人の教育政策への選好は、二次元の行列に位置づけることができる。第一の次元は、異なる教育セクターへの公的資金の配分である。特に、アカデミックな教育と職業教育への資源の配分が関心となる。第二の次元は、教育にかかる費用の配分と、人的資本形成の財源についての国家の役割である。すなわち、教育の費用は国家か、個々の生徒や訓練を行う企業のような、私的なアクターが行うべきかというものである。

 

所得と学歴
  • 所得は再分配選好における重要な規定要因と見なされている。オリジナルのMeltzer-Ricahrdモデルにおいては、富裕な人々は、自らが受ける利益よりも税金による支払いが多くなるため、再分配には反対するであろう、という単純な期待が行われている。
  • しかしながら、より純粋な形態の再分配にくらべて、教育は複雑である。第一の次元である、公的資金の教育セクター間の配分については、個人は自分の子どもが就学すると期待する教育セクターへの、資源の集中を支持すると考えるのが妥当である。これは、福祉国家研究における、「移転階級」の論理にも適合する。同様にして、個人は自らが経験した種類の教育へと、資源の集中を支持するかもしれない。
  • しかしながら、これとは異なるもっともらしい期待も存在する。「上昇移動の見込み命題」('prospect of upward mobility thesis')は、低所得者が近い将来において、裕福になることが期待できるならば、再分配に反対するだろうと述べる。明らかに、教育は上昇移動を促進する重要な手段である。それゆえ、職業教育を受けた豊かではない人々が、高等教育に対する公的資源の集中を支持することはありうる。 つまり、教育拡大が普遍的に働くことで、自らの子どもが高等教育に就学することが期待できるような場合である。
  • くわえて、富裕な人々が、職業教育への公的資源の集中を支持するかもしれない。これらの人々は、自らの子どもが、いずれにせよ大学に進学することを期待する。この場合に、低所得家庭出身の子どもたちに対して高等教育と高技能の労働市場へのアクセスを制限する上で、職業教育を促進することが役に立ちうるのである。
  • 第二の次元、すなわち、教育にかかる費用の配分に関しても、予測される結果は曖昧である。一方で、低所得の人々は、大学教育にかかる費用の大部分を政府が担ってくれることを支持するかもしれない。というのも、自らの子どもが近い将来に大学に進学することを期待し、また低所得の人々ほど授業料などの資金面での障害に直面するためである。しかし他方では、低所得の人々は、高等教育への公的支出の拡大は、自らの階級から上流階級への再分配であると感じるために、反対するかもしれない。くわえて、低所得あるいは職業教育の学歴を有する人々は、企業が職業教育を行う上での財政的な責任を担うべきだと考えているかもしれない。
  • まとめると、所得と学歴が教育政策の選好へと与える影響は、理論的に見れば曖昧である。所得と学歴は正に相関しているため、多変量解析の枠組みによって仮説は検証されなければならない。

 

党派帰属
  • 社会政策において、政党は明確なシグナルを伝える。すなわち、左派政党は福祉国家の拡大を支持し、右派政党はそれに反対する。しかし、教育投資においては、再分配の意味が明確ではないために、この関係はより曖昧である。いくつかの研究では、左派政党は福祉国家の拡大と同程度に、教育拡大を支持するとされている。これに対して、Ansellは、Boixの研究に一部従いつつ、社会民主主義政党は高等教育への投資の拡大に対して、消極的であるという主張をしている。というのも、こうした政策において利益を受けるのが高所得の家族、すなわち、左派政党の中核的な支持者ではない人々であるためである。

 

制度
  • 制度は適切な行動の論理について、様々に定義し、また人々を特定の政治的・文化的文脈へと社会化する。たとえば教育制度は、「まともな」('decent')教育についての感覚とイメージを形成し、教育の意思決定と選好に影響する。強固な連邦主義によって、スイスの教育システムは州によって大きく異なる。ドイツ語圏においては、徒弟制の形態による企業内の職業教育が、(後期)中等教育に優越している。フランス・イタリア語圏においては、学校内の職業教育とアカデミックな教育が強い。若年者の多くが徒弟制教育を経験する州においては、職業教育への公的資源の集中がより支持されることが期待される。同様にして、学校内の職業教育またはアカデミックな教育を受ける割合が高い州においては、教育への公的支出の拡大がより支持されやすいのに対して、徒弟制の訓練を受ける割合が高い州においては、企業の関与がより要求されやすいことが期待される。