Becker (1985) "Human Capital, Effort, and the Sexual Division of Labor"

Becker, Gary S. 1985. "Human Capital, Effort, and the Sexual Division of Labor." Journal of Labor Economics 3: S33-58. 

 

 やはり経済学的な合理的選択モデルに典型的なように、現状で成立している均衡を出発点として、人々の何らかの合理的な振る舞いによって現象を説明するという特徴が現れていると思いました。ただし、その均衡は先進国で出生率の回復が起きる前の時代背景に基づいていることは、一つ注意したいところです。 

 

  • 特定の人的資本に投資することによる強みは世帯の成員間における明確な分業を促進するものの、それ自体がひとりでに性別分業を説明するわけではない。私は著書の中で、男女は子どもの生産のみならず、育児やおそらく他の活動における貢献に対しても、本質的に異なった比較優位を持つことを示唆した(Becker 1981, pp. 21-25)。そのような生産力における本質的な差異は、活動ごとの性別分業の方向性を決め、またそれによって本質的な差異を強化するような特殊的人的資本の蓄積を起こすかもしれない。
  • 比較優位における本質的な差異が性別分業の重要な原因であるという仮定には、批判も見られた。これらの批判は、むしろ性別分業はもっぱら女性に対する「搾取」によるものであると主張する。しかしながら、本質的優位に基づく性別分業は、搾取が存在することを否定しない。もし男性が分業の決定と、女性に与えられる「生存」量以上の世帯のアウトプットを取り分とすること(競争的な結婚市場であればアウトプットをより平等に分割するであろう)の両者について、完全な権力を有しているとすれば、男性は効率的な分業を課すだろう。というのも、それによって世帯のアウトプットは最大化され、またそのことによって自身の「取り分」も最大化されるためである。とりわけ、女性が育児に対して比較優位を持っている場合に限り、男性は女性にそうした活動を課すであろう。
  • この主張は示唆的であるものの、比較優位の性別による差異が女性に対する搾取と独立であると仮定しているために、結論めいたものではない。搾取された(そして貧しい)人々における非効用の貨幣価値は小さい傾向にあることや、あるいは搾取された人々はその土台を壊す活動への参加を許されていないというだけの理由によって、搾取された女性は不快な活動に対する「優位」を持つのかもしれない。
  • この論文における分析には(そして私の家族についての著書においても)決定的な判断は必要ではない。というのも、差別であれ他の要因であれ、この分析は女性の家庭内の活動における比較優位の起源に依存しないためである。必要なのは、特定の人的資本への投資は、比較優位の効果を強化するということのみである。実際のところ、この分析には初期時点における男女の比較優位の差異が大きいということさえ必要ではない。初期時点におけるわずかな差異が、特定の投資における強化によって、観察される大きな差異へと変換されるのである。

 [pp. S41-42]