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Becker (1994) "Human Capital Revisited"

Becker, Gary S. 1994.  "Human Capital Revisited." Human Capital: A Theoretical and Empirical Analysis with Special Reference to Education (3rd Edition). The University of Chicago Press, 15-28.

 

 自分用メモ:Rosenbaum(2001)の立場との共通点・異なる点を整理する。

 

 人的資本分析は、学校教育が主に知識、技能、問題分析の手法をもたらすことで、所得と生産性を向上させると想定する。しかしながら、これとは異なる見方として、学校教育が生産性を改善することを否定し、「学歴主義」を強調するものがある。すなわち、学歴は潜在的な能力、忍耐力、他の貴重な特質についての情報をもたらすものだという見方である。これらの分析の極端なものによれば、たとえば大卒者の所得が高卒者の所得を上回るのは、教育が生産性を向上させるためではなく、より生産的な生徒が大学に行くためであるとされる。
 学歴主義は明らかに存在する。しかし様々な証拠によれば、学歴主義は所得と学校教育にある正の関連のうち、ほとんどを説明していないのである。
 学歴主義に伴う大きな問題は、企業は学業における成功の情報を欲しているのではなく、職業生活の文脈における能力と成果に関する情報を欲していることである。それらには、工場において課される規律、顧客を満足させる必要性、同僚とうまく付き合うことなどが含まれる。多くの国における大学やアメリカの高校に見られるように、融通がきき、個人主義的であり、ほとんど規律化されていない状況は、有意味な情報を多くは伝えない。私は自分の講義で、奇人・変人がはるかに生き残りやすいのは労働者としてよりも学生としてであると述べているが、学生たちはそれは大学教授においても同様であると返答している。
 雇用主に情報をもたらすためのより安価で効率的な方法は、産業革命以前のように、未成年者が直接に働き始めることである。6年間の労働経験の後には、6年間の追加的な学校教育を受けた場合よりも、仕事に関連した能力や他の特質について、はるかに多くを知ることができるだろう。技術的に進展した経済においては、学校で獲得される追加的な知識や情報はあまりに重要であるために、高校・大学教育は近代経済において大規模に拡がったのである。アメリカでは近年において学校と労働の質に対する関心が高まるとともに、学歴主義アプローチの賛同者はだいぶ口をつぐむようになったこともつけ加えるべきであろう。

[pp. 19-20]