福沢諭吉『学問のすゝめ』

 

学問のすゝめ (岩波文庫)

学問のすゝめ (岩波文庫)

 

 

 冒頭だけ読むと、単に個人の平等を謳ったものであるとか、あるいは立身出世の方法を論じたものだとか誤解しそうになりますが(恥ずかしながらちゃんと読んだことがなかったので、自分はそんなイメージがありましたが)、通して読むことで近代主義者としての福沢諭吉の思想が伝わってきました。

 第一編が書かれたのが明治5年であり、すでに日本は開国して数年が経過し、物質的・形式的には西洋の文化が様々に入ってきたものの、人々の精神的な面では未だ封建時代と何ら変わっていないと、福沢は舌鋒鋭く論じています。つまり、日本が近代国家になるためのエートスの転換を随所で求めています(「一身独立して一国独立す」)。

 特に、第六編(「国法の貴きを論ず」)は、社会契約的な観点による国家論や、近代国家における「合法的支配」の重要性が展開されており、今日においてもまったく色あせていないように感じます。

 第七編(「国民の職分を論ず」)では、法の支配が優越する近代国家では、暴政に対しては「正理を守って身を棄つる」として、論を以って政府に訴えるべきだとしています。しかしこのことを強調するために、封建時代の忠義の関係によって自らの命を抛つことを、「その形は美に似たれどもその実は世に益することなし」と強い言葉で非難したことは、様々な反発を招いたとのことです。巻末の小泉信三による解説によれば、当時の文部省の担当者はみんな慶應義塾出身であったことから、福沢は検閲を恐れずに大胆な筆致であったということですが、面白いですね。

 他に興味深かったのは、福沢が学問と述べる際の、「実学」の強調でしょうか。福沢は伝統的な漢学が思弁的で文明の進歩をもたらしていないことを批判します。また自身が先駆者として日本に取り入れてきた洋学についても、単にそれを知識として取り入れるだけで活用をしないことについても戒めています。