Abbott(1998)「因果の継承」

 

Abbott, Andrew. 1998. "The Causal Devolution." Sociological Methods and Research 27(2): 148-81.

 

  • 前に研究会で読みました。Abbottは難しいことを難しく論じる特徴があり一読ではあまり理解ができません。

 

  • Durkheimにおける因果は決定論的・機械的な力であった
  • Durkheimにおける因果の種類は、19世紀医学における「誘発因子」(predisposing cause)に主にあてはまる;誘発因子とは特定の病気を人々が罹患しやすくするもの(特定の気候など)
  • ただし、遺伝を自殺の要因として否定している箇所では、遺伝を誘発因子として退けており、後に導入される社会的要因は増悪因子(precipitating cause)とみなされている
  • 後にDurkheimは、分散分析(ANOVA)モデルの因果と呼べるアプローチを採用している;これは社会的な力が潜在的なパラメータを直接決定しており、その周りに個人は局所的な因果に呼応してばらついているというモデルである
  • 誘発因子/増悪因子モデルとは異なり、Durkheimは社会的要因を決定論的な必要条件としてみなそうとしていた
  • 19世紀の医師たちは高次の水準(誘発因子)は変えることができず、それゆえ単に学術的関心以上のものではないと考えていたのに対して、Durkheimの関心はまさにこの高次の水準の要因(つまり社会的要因)にあり、むしろ直接的な原因は興味の対象ではなかった
  • 社会科学に統計学を導入した3つの潮流では、因果に対して複雑な態度がとられていた;生物統計学者と計量経済学者は、不変の関連・相関という意味で因果を議論し、心理統計学者は因果にまったく関心を払っていなかった
  • これに対して社会学では、因果を議論しようとしたのは古いスタイルの定性的研究者であった;MacIverは、数量化によって因果が相関の中に霞んでしまうことを批判した
  • 「存在するのは相関のみである」という極端な実証主義者を批判するときにMacIverが念頭に置いていた因果の概念は、むしろ説明の概念に近い;MacIverにとって因果の評価とは、「なぜ、あるものやある規則性が生じるのか」に対する答えを探すことであった
  • 戦後、因果の概念は定量社会学で用いられるようになっていった
  • Lazarsfeldは因果の探求をその方法的プロセスの中心に置いたものの、懐疑を持っていた;分析者は因果の評価よりも「説明」、すなわち「一般的な規則性の発見」を求めるべきとされていた
  • パス解析を社会学に導入したのはBlalockとDuncanであり、Blalockは定量的分析と因果が本質的に結びついていると考えていた;これに対して、Duncanはパス解析を使用するにあたって明示的に因果の概念を喚起することはなかった
  • DuncanよりもBlalockによる因果のイメージが支配的となり、因果とは現実の性質というよりも、数理的・統計的な性質とみなされるようになった
  • Blalock/Duncanの時代に因果分析がこのような形で広がった理由としては、社会学者の「科学」に対する信奉があったと考えられる
  • 因果主義者たちは個々の戦いには勝利したものの、戦争には敗北した;この戦争とは社会生活に関する説得的かつ面白い説明を行うという意味での戦争である
  • Durkheimや多くの社会科学者・自然科学者は、西洋哲学における因果の伝統をまったく無視してしまっている
  • 哲学の研究から示唆されるのは、社会学的説明は、解釈的説明(意図的、目的論的説明)と因果的説明(決定要因による説明、法則論的説明)を統合することが可能かどうかということである
  • 解釈学的哲学における説明では、規則的な関係のみならず、そこからの偏差も同様に重要なものとみなされる
  • 解釈学的哲学と歴史哲学は、分散分析的な因果観とは異なり、行為を中心に置く
  • 社会学が公共的な影響力を失ってしまっている理由として、因果にのみ焦点をあてて記述を軽視してきたことがある;社会学者は純粋な記述に徹する論文を拒むのである
  • 記述の手段としてみたときに、回帰分析はデータの次元を縮減してしまうため、きわめて劣っている
  • 生物学における種の分類研究の発展に見られるように、真の科学とは因果よりもむしろ記述であり、社会学は記述に対して真摯に向き合わない限り、社会生活の一般科学として受け入れられることはないだろう
  • Goffmanの研究に見られるように、社会的プロセスの相互作用を分析する定量的方法が必要であり、そのためには、シミュレーションが必要であろう
  • 「パラメータの意味」は人々の戦略的な行為によって変わりうるものであり、この意味においてシミュレーションはありうる最善の方法と思われる