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20220314-

「社会は、一種独特の(sui generis)一つの実在である。社会は固有の性格をもっていて、それは宇宙のどこにも見出せない、あるいは同じ形では見出せないのである。社会を表す表象は、それゆえ、純粋に個人的な表象とはまったく異なる内容をもっている。そして、前者は後者に何ものかを付加するものだということを、あらかじめ断言できるのである。」――エミール・デュルケーム『宗教生活の基本形態』

 

20211102-

「意図的にではないにせよ、グウェンとジョンは常に効率性原理を家庭生活に適用していた。アメルコで働く他の親たちと同じく、彼らにとって時間を節約することは家庭における美徳の一種となりつつあった(従来、それは職場における美徳だった)。」――アーリー・ラッセル・ホックシールド『タイム・バインド』

 

20210426-

「社会科学の中心問題は、ある種の社会システムの働きを説明することである。しかし、社会調査の大多数は、システム全体についてではなく、システムのどこか特定の部分について観察がなされたものである。」――ジェームズ・コールマン『社会理論の基礎』

 

20200813-

「古典が教えられるべきか、それとも科学が教えられるべきかというこの問題は、実を申しますと、私には、画家は線描画を習うべきか、彩色画を習うべきか、あるいはもっとも身近な例でいえば、仕立て職人は上着をつくるべきか、それともズボンをつくるべきかという論争と少しも変わらないように思われてなりません。この論争に対して、私はなぜ両方あってはならないのかと答えることしかできません。」――ジョン・ステュアート・ミル『大学教育について』

 

20200515-

「ところが、おまえときたら、自己に目を向けようとしたこともなければ、自己の声に耳を傾けようとしたこともない。だから、おまえがそのような義務を、他人に押し付けてよい理由などないのだ。じっさい、おまえがそんなことをしたのは、他者と共にありたかったがゆえではなく、自己と共にあることに耐えられなかったがゆえなのだから。」――セネカ『人生の短さについて』

 

20200330-

「わが市民たちも人並み以上に不心得だったわけではなく、謙譲な心構えを忘れていたというだけのことであって、自分たちにとって、すべてはまだ可能であると考えていたわけであるが、それはつまり天災は起りえないと見なすことであった。」――アルベール・カミュ『ペスト』

 

20200223-

「ただし、答えてくれ。人間の利益は、完全に正しく計算されているものなのだろうか? いずれの分類法にも収まりえないような利益というものは、ないのか? なにしろあんた方は、俺の知る限り、人間の利益の目録を、統計数学や経済学の公式の平均値で作成している。」――フョードル・ドストエフスキー地下室の手記

 

20200123-

「しかし、百回でも繰り返してあんた方に言いたいのだが、人間が自分にとって有害な愚かしい、どこから見ても愚の骨頂とさえ言えることを、わざと意識的に望みうるケースがひとつ、そう、たったひとつだけあるのだ。それはまさに、己のために愚の骨頂さえも望む権利、己のために賢明なることを望むという義務から解放される権利を持つことなのだ。」――フョードル・ドストエフスキー地下室の手記

 

20191230-

「いったい、自由がひとびとにとって堪えがたい重荷となり、それから逃れたいものとなるようなことが、ありうるのだろうか。多くのひとびとにとっては自由は大切な目的でありながら、他の人々にとっては脅威となるというのは、なぜであろうか。」――エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』

 

20191125-

「ぼくとしては、正しい人々のほうが幸福でもあるということは、これまでわれわれが言ってきたことから考えて、いまでもすでに明らかであるとは思う。しかしそれでも、もっとよく考察してみなければならない。なにぶんにも、この問題はつまらぬことではなく、人生をいかに生きるべきかということにかかわっているのだしね」――プラトン『国家』

 

20191028-

「男たち女たちが、実際には自分の好みにすぎない特殊な主義主張を、いとも容易にいとも完全に何か普遍的な原理による大義と同一視するとき、彼らはそうしない場合よりも通常は悪しき仕方で行動するのである。」――アラスデア・マッキンタイア『美徳なき時代』

 

20190929-

「じっさい私は、教育が、その起源においても、また、その機能においても、すぐれて社会的な事物であり、したがって、教育学が他のいかなる科学よりも緊密に社会学に依存するということが、あらゆる教育学的理論が則るべき基本原則そのものであると考えております。」――エミール・デュルケーム『道徳教育論』

 

20190827-

「感じやすい人間であれ、しかし、賢明な人間であれ。たんにこの両者のどちらかであるなら、きみはなんの価値もない人間なのだ。」――ジャン・ジャック・ルソー『エミール』

 

20190717-

「人間のさまざまな立ち騒ぎ、宮廷や戦争で身をさらす危険や苦労、そこから生ずるかくも多くの争いや、情念や、大胆でしばしばよこしまな企て等々について、ときたま考えた時に、私がよく言ったことは、人間の不幸というものは、みなただ1つのこと、すなわち、部屋の中に静かに休んでいられないことから起こるのだというものである。」――ブレーズ・パスカル『パンセ』

 

20190622-

「この学問は、文明の古くさい形態を、ただそれらの形態を知り、再構成するという目的のためだけに知ろうとするのではない。そうではなくて、あらゆる実証科学と同様、社会学が目的としているのは何よりもまず、われわれに近く、したがってわれわれの思考と行為に影響を与えることのできる現実的な一実在を説明することなのである。この実在とは人間、とりわけ今日の人間である。」――エミール・デュルケーム『宗教生活の基本形態』

 

20190523-

「これらの倫理的な卓越性ないし徳は、だから、本性的に生まれてくるわけでもなく、さりとてまた本性に背いて生ずるのでもなく、かえって、われわれは本性的にこれらの卓越性を受けいれるべくできているのであり、ただ、習慣づけによってはじめて、このようなわれわれが完成されるにいたるのである。」――アリストテレス『ニコマコス倫理学

 

20190427-

「もしわれわれが汚物を避けるとすればそれは臆病な不安の故ではないし、いわんや恐怖とか聖なるものへの畏怖といったものからではないのだ。さらにまた、不浄を清めたりそれを忌避したりする我々の行動のすべてを、疾病に関する観念だけで十分に説明することはできない。不浄とは秩序を犯すものだからである。従って汚物を排除することは消極的行動ではなく、環境を組織しようとする積極的努力なのである。」――メアリー・ダグラス『汚穢と禁忌』

 

20190401-

「たとえば、つよい不安と孤独感にさいなまれて休みなく仕事に駆り立てられる人もいれば、野心や金銭欲から仕事に没頭する人もいる。どちらの人も情熱の奴隷になっており、彼の活動は、能動的に見えてじつは『受動的』である。自分の意志ではなく、駆り立てられているのだから。」――エーリッヒ・フロム『愛するということ』

 

20190301-

「芸術作品には、それ自身ひとつの全体でありながら、同時に自分をとりまく環境とのあいだで統一的全体を作り上げなければならない、という本来矛盾した要求が課せられている。ここには、あの人生一般の難しさ、すなわち全体の一要素たる存在が同時に自律した全体たることを要求するという、あの難しさと同じものが見てとれる。」――ゲオルグジンメル「額縁――ひとつの美学的試み」

 

20190131-

「けれども、現状は、すべての人びとにとって、まことに不幸だ。机にかじりつきっぱなしの学者やお役人の3分の1は、体をこわしていて、憂鬱症という悪魔にとりつかれている始末だ。せめて、これからの世代の人びとを同じような破滅から守るためには、上からの働きかけがどうしても必要になるだろう。」――ヨハン・ペーター・エッカーマンゲーテとの対話』

 

20190102-

「まじめな観察者が日本人以外の他の国民について書く時、そしてその国民が類例のないくらい礼儀正しい国民であるという時、『しかしまた彼らは不遜で尊大である』とつけ加えることはめったにしない。[中略]ところがこれらすべての矛盾が、日本に関する書物の縦糸と横糸になるのである。それらはいずれも真実である。刀も菊もともに一つの絵の部分である。――ルース・ベネディクト菊と刀

 

20181123-

「一般に人間の愛着は、力あるところにしか向かわないことをよく知らねばならない。愛国心は征服された国では永く続かない。ニュー・イングランドの住民がタウンに愛着を感じるのは、そこに生まれたからではなく、これを自らの属する自由で力ある団体とみなし、運営する労を払うに値すると考えるからである。」――アレクシ・ド・トクヴィルアメリカのデモクラシー』

 

20181024-

「リベラルな価値観を貫こうとするなら、パレート最適性を固守することをやめなければならなくなる、といってもよかろう。パレート基準こそ個人の自由の表現だと長い間考えられてきたけれども、3つ以上の選択肢を含んだ選択においてその基準は、とてもリベラルであるとはいえない帰結をもたらしうるのである。」――アマルティア・セン『合理的な愚か者』

 

20180917-

「社会移動の研究をする場合、全く好事家的な、いわゆる客観的な、研究的態度が不可能でないにしても、社会移動が大社会の社会構造とかかわる基本的範疇であるために、またとくに日本の知的世界にあっては社会移動は微妙にゆれ動く価値的ニュアンスをともなっている観念であるために、社会移動に関して研究者がいかなるイデオロギー的、価値的態度をとるか明瞭にさせることなしには、研究は迫力のあるものとはならない。」――安田三郎『社会移動の研究』

 

20180811-

「協調の理論の主要な諸結果は、私たちを元気づけてくれる。それは、たとえまわりに協調しようという者がいない世界においてさえ、お返しに協調しようとする者たちのわずかな内輪づきあいからでも、互恵的協調関係が発達しうることを示している。この解析によれば、協調関係が発展するためには、それが互恵主義にもとづいていること、将来の重みが十分に大きく、この互恵主義が安定であること、という2つの鍵が不可欠である。」――ロバート・アクセルロッド『つきあい方の科学』

 

20180714-

「多くの生徒たち、とくに貧困な生徒たちは、学校が彼らに対してどういう働きをするかを直感的に見ぬいている。彼らを学校に入れるのは、彼らに目的を実現する過程と目的とを混同させるためである。過程と目的の区別があいまいになると、新しい論理がとられる。手をかければかけるほどよい結果が得られるとか、段階的に増やしていけばいつか成功するとかいった論理である。」――イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』

 

20180618-

「男の思考習慣のなかで労働は、弱さと主人への服従を連想させるようなものになってくる。こうしてそれは、劣弱であることの刻印となり、したがって社会的地位の高い男にはふさわしくないと見なされるようになる。この伝統に従って労働は品位を落とすものだと理解され、しかも、この伝統は決して消滅しなかった。」――ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』

 

20180528-

「私自身、いまの今まで『これこれは絶対にしてはならん』と言いつづけ教えつづけたその人が、いざとなると、その『ならん』と言ったことを『やる』と言い、あるいは『やれ』と命じた例を、戦場で、直接に間接に、いくつも体験している。そして戦後その理由を問えば、その返事は必ず『あのときの空気では、ああせざるを得なかった』である。」――山本七平『「空気」の研究』

 

20180425-

「アンケート調査の資料――任意の住民群の任意の意見――は、政治的に重要な検討、決定、措置の資料とされるだけでは、まだ世論(公論)としての資格を帯びるわけではない。[中略]世論についての歴史的に有意味な、規範的には社会福祉国家体制の要請をみたすような、理論的に明晰で経験的に実証されるような概念は、公共性そのものの構造変化から、公共性の発展推移の次元から得られるよりほかはないのである。」――ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』

 

20180327-

「われわれはいまだこうした問題すべてを常識のおしえるところによって割り切ることを習い性としているので、常識を社会学的諸議論から切り離すことは容易ではない。常識から自由になっていると思っているときでも、われわれの無防備を衝いて、常識はその判断を押しつけてくる。こうした誤りを防いでくれるものとしては、長期にわたるある特別の実践しかないのである。」――エミール・デュルケーム社会学的方法の規準』

 

20180302-

「都市とはたとえば、2つとか5つとかの階級や地域の構成する沈黙の建造物ではない。都市とは、ひとりひとりの『尽きなく存在し』ようとする人間たちの、無数のひしめきあう個別性、行為や関係の還元不可能な絶対性の、密集したある連関の総体性である。」――見田宗介『まなざしの地獄』

 

20180112-

「本書は経験的社会調査が求めるような全体の傾向を代表するような論述ではない。私の論述は代表性を重視する考えではなく、もう一つの要請に沿っている。すなわち、未だなお支配的である過去と対照することにより、今日既にその輪郭をみせている未来を視野の内に据えることを追求するものである。」――ウルリッヒ・ベック『危険社会』

 

20171213-

「欲求をめぐるあらゆる議論は、素朴な人間観に支えられている。それは、人間には幸福追求の心情が生まれながらそなわっているとする人間観である。[中略]幸福という概念のもつイデオロギー的効力は、もちろん個人が自分で幸福を実現しようとする自然にそなわった傾向に由来するものではない。」――ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』

 

20171107-

「個人が自律的になるにしたがって、より緊密に社会に依存するようになるのはどうしてであろうか。どうして個人は、同時に、より個人的であって、そして連帯的でありうるのであろうか。なぜならば、これらの二つの活動は、矛盾しているようにみえても、平行的につづけられていることは、疑いのないことであるからである。これこそ、われわれが自らに課した問題である。この外見的二律背反を解決するものが、分業の常に増大しゆく発展に基づく社会的連帯の変化であるように、われわれには思われるのである。」――エミール・デュルケーム『社会分業論』

 

20170921-

「諸君は二つのものを結合せしめるような一つの体系を要求している。すなわち一方においては事実にたいする科学的忠実さと事実を進んで尊重しようとする熱意、簡単に言えば、適応と順応の精神であり、もう一つは、宗教的タイプであるとローマン的タイプであるとを問わず、人間的価値にたいする古来の信頼およびこの信頼から生ずる人間の自発性である。」――ウィリアム・ジェイムズプラグマティズム

 

20170711-

「[公正としての正義では]自我の境界が優先し、断固として固定されているとみなされることによって、われわれの共同性は、善の一側面に格下げられ、善も、たんなる偶発性に、つまり、『道徳的見地からは適切ではない』、見境のない欲望や欲求の所産に格下げられている。」――マイケル・サンデルリベラリズムと正義の限界』

 

20170618-

「目下のところ、社会学が主として関心を寄せているのは、比較的短期的な過程であり、また一般には、社会のある特定状態に関係する学問にすぎない。社会構造の長期的変形と、それに伴って生じる個人構造の長期的変形に関しては、全般的には現在のところ、ほとんど無視されてしまっている。」――ノルベルト・エリアス『文明化の過程』

 

20170504-

「言っておくが、人間というこの不幸せな存在にとっては、生まれながらにして授かった自由という贈り物をだれにいち早く手渡すべきか、その相手を見つけるための心配ほど、苦しいものはないのだ。」――ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟

 

20170411-

「われわれの主要な任務は、むしろ、こんにち、一定の限られた範囲のデータに適用できる特殊な理論――例えば、階級動態、相葛藤する集団的圧力、権力の発現、人間相互間の影響の作用などに関する理論――の展開にあるのであって、一挙にして、あれやこれやの理論を導出することのできる『統合された』概念的体系を求めてはならない、とわたくしは信ずる。」――ロバート・K・マートン『社会理論と社会構造』

 

20170224-

「実際のところ、行為のルールによって導かれるほとんどの行為は無自覚のうちに行われる。であれば、その行為者は、わたしは『わけもなく』やったのだとか、『やりたかった』からやったのだ、と言うだろう。日ごろあたりまえにやっている行動にブレーキがかけられるときに初めて、行為者は、自分の無色でささいな行為が所属集団の礼儀にちゃんと適合していたことに気づき、適合していなかったら恥にもなり屈辱にもなったことに気づくことになる。」――アーヴィング・ゴッフマン『儀礼としての相互行為』

 

20170204-

「いずれにせよ自然は、人間が安楽に生きることなどは、まったく考慮しなかったらしい。自然が深く心に掛けたのは、――人間は、自分の行動に依って、自己の生活と身心の安寧とを享受するに値いするような存在になる、ということであった。」――イマニュエル・カント『世界公民的見地における一般史の構想』 

 

20170115-

「職業団体であれ、そうでないものであれ、何等かの社会集団が充分な融合性をもち、それ自身とその道徳的統一性についての自覚をもつためには、成員間に一定数の共同の観念や感情が存在するだけでは充分ではない。さらにこのほかに集団がそれに制限を加え、抵抗する他の集団と対立するよう誘われることが必要であった。」――エミール・デュルケーム『フランス教育思想史』 

 

20161216-

「われわれは、これらすべての主題の分割がどこからおこったのか知っている。[中略]市場の領域にも国家の領域にも明らかに存在していない多くの現実が存在しているように思われたので、それを埋め合わせるように、こうした現実は社会学という大きな名称をまとった残り物用の福袋に入れられたのである。」――イマニュエル・ウォーラーステイン『脱=社会科学』 

 

20161026-

「私の自尊心を保つためには精力的に仕事をするしかないのだと思った。私の仕事は面白くもないし魅力的でもないが、だからと言ってまったく無意味というわけでもあるまい、と自分に言い聞かせた。」――ブロニスラフ・マリノフスキー『マリノフスキー日記』 

 

20160926-

リベラリズムは、倫理のある一定の相対的に具体的な水準では、中立的でありうるし、またそうであるべきである。しかし、いかに生きるべきかの細かいところで困惑するのではなく、いかに生きるべきかという問いそのものの性格・力・身分についての困惑という抽象的な水準では、中立ではありえないし、そうあるべきでもない。」――ロナルド・ドゥウォーキン『平等とは何か』 

 

20160905-

ジェンダーは結局、パフォーマティヴなものである。つまり、そういう風に語られたアイデンティティを構築していくものである。この意味でジェンダーはつねに『おこなうこと』であるが、しかしその行為は、行為のまえに存在すると考えられる主体によっておこなわれるものではない。」――ジュディス・バトラージェンダー・トラブル』

 

20160817-

「人間の弱さは何が原因か? 人間の能力と欲求とのあいだにみられる不均衡がその原因なのだ。わたしたちを弱いものにするのはわたしたちの情念なのだ。なぜなら、それを満足させるには、自然がわたしたちに与えてくれた以上の能力が必要であろうからだ。したがって、欲望をへらしなさい。そうすれば、ちょうど能力を増したのと同じことになる。」――ルソー『エミール』

 

20160802-

「最も野蛮な、あるいは風変わりな儀礼、最も奇妙な神話であっても、なんらかの人間の欲求、個人的であれ社会的であれなんらかの生活の側面を示しているのである。[中略]それゆえ結局のところ、偽りの宗教は存在しない。あらゆる宗教はそれなりに真でである。」――エミール・デュルケーム『宗教生活の基本形態』

 

20160704-

「経済史の示すところによれば、全国市場の出現は、けっして経済的領域が政治的支配から漸次かつ自然発生的に解放された結果ではなかった。それどころか、全国市場なるものは、非経済的な目的から市場組織を社会に押しつけた政府の、意識的で、しばしば暴力的な干渉の結果であった。」――カール・ポラニー『大転換』

 

20160619-

「虚栄心は広くゆきわたって見られる性質で、これがまったくないような人間はいない。そして大学や学者の世界ではこれが一種の職業病になっている。ただ学者の場合には、その表れ方がどんなに鼻持ちならぬものであっても、普通、学問上の仕事の妨げにならないという意味では、比較的無害である。」――マックス・ヴェーバー『職業としての政治』

 

20160521-

「社会科学には普遍的な法則など存在しないし、今後も存在することは決してない。[中略]人間の社会的行動についての一般命題に含まれる因果的条件が、行為者が自らの行為の環境についてもつ知識(あるいは確信)それ自体と関係づけられると、本質的に不安定になるからなのである。」――アンソニー・ギデンズ『社会の構成』

 

20160423-

「民主主義には完璧な平等が必要なわけではないが、市民が共通の生を分かち合うことが必要なのは間違いない。[中略]つまり、結局のところ市場の問題は、実はわれわれがいかにしてともに生きたいかという問題なのだ。」――マイケル・サンデル『それをお金で買いますか』

 

20160405-

「今日、科学の分野では、著書は普通、教科書か科学者生活のある面を描いた回想の書か、いずれかである。科学者は、本を書くと自分の職業的名声を高めるより減じることのほうが多い。科学の発展の初期の、パラダイム以前の段階においてのみ、著書は他の創造活動の分野でまだ見られると同じ専門的業績とみなされる。著書が研究成果の発表機関として意味を持つ分野では、素人と玄人を区別する線が未だ明確ではなくて、素人も専門家の報告を読んで進歩について行けそうな分野である。」――トーマス・クーン『科学革命の構造』

 

20160203-

「名声を博したり、人生で高い地位についたりするのは、悪くはないよ。けれども、私が名声と地位によってなしえたことといえば、他人を傷つけないようにと、他人の意見に対して沈黙を守ること、だけだった。おかげで、私は他人の考え方を知りながら、他人は私の考え方がわからないという点で、私の方が得だからいいようなものの、そうでもなかった日には、じつにひどい、ふざけた話さ。」――エッカーマンゲーテとの対話』

 

20151223-

「『正直は最善の策』とは、感傷的な決まり文句というよりもむしろ賢明な格言であるが、それも他者が同じ原則に従うときのみである。社会的信頼が価値あるコミュニティ資産となるのは、それが保証されたとき――そしてその時のみ――である。」――ロバート・D・パットナム『孤独なボウリング』

 

20151207-

“When the poet Paul Valery once asked Albert Einstein if he kept a notebook to record his ideas, Einstein looked at him with mild but genuine surprise. "Oh, that's not necessary," he replied. "It's so seldom I have one.”

 

20151114-

「われわれは、絶えまない活動を求めるはげしい欲求が、孤独と不安にもとづいていることをみた。仕事にたいするこのような衝動は、他の文化における仕事にたいする態度とはことなっている。他の文化においては、ひとびとは必要なだけ働くのであり、かれらの性格構造のうちにある余分な力によって、かりたてられるのではなかった。こんにちでは、正常人はすべて仕事にたいして同じような衝動をもっているので、またさらに、ともかく生存しようと望むならば、仕事にたいするこのようなはげしさが必要とされるので、この特性に含まれている非合理的な要素はみのがされやすい。」――エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』

 

20151013-

「観測するだけでは十分ではない。これらの観測を利用しなければならないし、それには一般化を行なわなければならない。これはいつでも行なってきたことである。ただ過去の誤りを回想して人間は次第に用心深くなったから、次第に多く観測して、次第に少ししか一般化しなくなった。」――ポアンカレ『科学と仮説』

 

20150910-

「アガトン。ぼくたちが互いに触れ合うだけで、知恵に満ちた側から空っぽの側へと、知恵が流れていってくれるなら、ありがたいことだ。まるでコップの水が糸を伝い、満ちた側から空っぽの側に流れていくようにね。」――プラトン『響宴』

 

20150713-

「けだし、事物を知るということは、それを通して自己を知ることである。ソクラテスが『汝自身を知れ』と言ったのは、この意味において真理を道破したものというべく、真の知性は、結局、それを通してむしろ自己自身を識り、人間個性をつくることにあると言わなければならぬ。」――南原繁「学徒の使命」

 

20150520-

「でも考えてごらんなさい。悪魔は年寄だ。だから年寄にならないと悪魔の言葉はわかりませんよ。」――ゲーテファウスト

 

20150424-

「およそ何ごとをとってみても、所詮すべては、それ自身とは別の目的のために選ばれるものなのであって、ただ幸福のみがその例外をなす。幸福こそが究極目的なのだからである。」――アリストテレス『ニコマコス倫理学

 

-20150423

「人に欺かれるのではない、自分で己を欺くのである」――ゲーテ『格言と反省』