筑紫哲也さん追悼シンポジウム


早稲田大学までシンポジウムを聴きに行ってきました。


筑紫哲也氏 追悼シンポジウム 多事激論!――ジャーナリズムのこれから」
http://www.waseda-j.jp/sympo/


司会が田原総一朗、パネリストに姜尚中教授、金平茂紀・TBSアメリカ総局長など、錚々たる顔ぶれで、大隈講堂がほぼ満員でした。

第一部が「『筑紫哲也』考」ということで、筑紫哲也さんの体現したジャーナリズムとは何だったのかという内容、第二部が「変容するメディアとジャーナリズムの使命」ということで、インターネットが発達し、新聞・テレビの広告費収入が減少している中、ジャーナリズムは今後どのような道を進むべきかというような内容でした。

やや新聞に話が偏りがちな気はしましたが、興味深い意見がいくつも出ていました。

○サラリーマンであることとジャーナリストであることに葛藤が生じる
○公共性=マジョリティ、平均値ではない
○インターネットは個々人がそれぞれの好みに偏りがち(=サイバーカスケード)。ゆえに新聞やテレビは新しい公共性を担える可能性がある
○日本の新聞は、ニュースは伝えるが調査報道は少ない。アメリカではニュースを伝えるのは通信社で、新聞は速報性よりも内容の深い記事で勝負する
○ジャーナリズムは生もので、アカデミズムは干物のようなもの。
筑紫哲也の『多事争論』は、活字メディアと映像メディアという区分を乗り越えようという試みだった。

などなど。


また、シンポジウムのまとめでも言及されていた、『多事争論』の最後の放送で筑紫哲也さんが語ったという、「自らが目指したニュースのあるべき姿」が印象的だったので、引用。

「力の強い者、権力に対する監視の役を果たし」
「ひとつの方向に流れやすいこの国の中で、少数派であることを怖れず」
「多様な意見や立場を登場させることで、社会に自由の気風を保つ」

(『多事争論』2008年3月31日放送"変わらないもの"より)

大学に入ってから、テレビ番組をあまり見なくなり、「筑紫哲也NEWS23」からも離れていたのですが、改めて筑紫哲也さんの凄さを感じました。