ジョック・ヤング『排除型社会——後期近代における犯罪・雇用・差異』

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異

  • 作者: ジョックヤング,Jock Young,青木秀男,伊藤泰郎,岸政彦,村澤真保呂
  • 出版社/メーカー: 洛北出版
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 単行本
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本書の要旨は、欧米社会が1960年代の後半から、包摂型社会から排除型社会へと移行したという認識に基づき、排除型社会の進行過程とその特徴を明らかにし、それを超克するための新しい正義と共同体のあり方を検討する、というものである。

戦後の黄金期に登場したのは、労働と家族という二つの領域に価値の中心がおかれ、多数者への同調が重視される社会であった。そのような社会が包摂型社会である。すなわちそれは、幅広い層の人々(下層労働者や女性、若者)を取り込み、移民を単一文化に組み込もうとする、ひとつにまとまった世界であった。
(p.22)


というように、一元的な社会統合を目指し、人々を同化してゆくのが包摂型社会である。


1960年代から70年代にかけて個人主義が台頭すると、人々が他者を排除するための、いわば排除の私的空間と呼ぶべきものが現れた。それとともに、コミュニティや家族の因習が問題になっていった。これを最初の転換期とするなら、続く1980年代から90年代は第二の転換期であり、この時期に社会的な排除はいっそう進行した。この時期の排除は、二つの過程から成り立っている。ひとつは労働市場が再編され、分割されて、構造的失業者が大量に生まれていく過程である。もうひとつは、このような状況の変化から犯罪が起こり、その犯罪を制御することから排除が起こり、しかも反社会的な行為が排除的な性格を帯びていく過程である。
(pp.29-30)

このような都市に特徴的な状況にあって、私たちは、用心深く、計算高く、世事に長け、保健統計的な[actuarial]態度をとるようになった。そして、困難な問題を回避し、異質な人々と距離をとり、みずからの安全や平穏が脅かされないかぎりで他人を受け入れる、という態度をとるようになった。しかし、このように判断を留保する態度が一般化するとともに、これとは矛盾する態度が現れた。物質的に不安定で存在論的に不安定な状況が、人々のあいだに、自分の感情を他人に投影するという態度を生み出し、道徳主義を広める条件になっているのである。社会のいたるところで、人々のあいだに非難と応酬が飛び交うようになった。シングルマザーやアンダークラス、黒人や放浪する若者、麻薬常習者、クラック常習者などの、コミュニティで弱い立場にある人々が針で突つき回され、非難を浴びせられ、悪魔のように忌み嫌われるようになった。
(p.14)


個人主義多元主義が進展することで排除型社会は出現した。そこでは、家族やコミュニティ、エスニシティといったこれまで確かだったものが不安定になり、経済的、アイデンティティ的な面で不安定な人々が出てくる。過激な人種差別主義や男性中心主義の考え方は、このような不安の現れだという。すなわち、自己の存在を本質化し、他者との相違を強調することによって、アイデンティティの危機を回避するという戦略がとられている。

そして、日本を除く先進諸国で、1960年代後半以降に犯罪が上昇したのは、こうした社会的排除という観点から検討されるべきだとヤングは言う。

従来の犯罪学では、貧困が犯罪の原因であるという考えが強かったが、社会が豊かになっているにもかかわらず、犯罪が増えているのはなぜか。
ヤングは「相対的剥奪感」という概念を用いて説明する。相対的剥奪感とは、他人と比較することで認識される相対的な物質的生活の水準や、能力にみあわない不当な報酬を他者が得ているという感覚である。

例えば、グローバル経済の進行のもと、所得の水準は下がっているにもかかわらず、マスメディアは理想的な夢を流し続ける。郊外に一軒家を持ち、夫と妻と2人の子どもからなる核家族、庭にはペットの犬…というように。
ロバート・K・マートンアノミー理論に従えば、目標は与えられているのに、その機会が与えられていないという乖離。これこそが、犯罪が増加していることの背景であるとヤングは言う。そして、構造的な排除が進行している一方で、消費社会への包摂が同時に起こっていることを厳しく批判している。


このような社会を超克するために、ヤングは新しい正義とコミュニティのあり方を考える必要を提起する。

新たな排除の世界にあって、本当に革新的な政治をおこなおうと思えば、私たちを物質的な不安定と存在論的な不安の状態に置いている根本原因、すなわち正義とコミュニティという基本問題を避けて通ることはできない。
(p.14)


そこで求められることについて、ヤングは多様性に寛容であることと、能力主義に基づいていることを挙げる。
伝統的な社会民主主義では、平等であることと能力主義を結びつけないという欠点があった。

しかし、ヤングは平等を達成するためには能力主義を押し進めなければならないという。

私たちが生きているのは、驚くほど能力主義的でない社会である。(中略)ここで私がいいたいのは、報酬の計算において能力主義の論理をたんなる付随的要因としてしか考慮しないまま、社会の上層から下層まで物資の配分がなされていることである。あるときは報酬がまったく不公正に配分され,あるときはまったく無秩序に配分される。
(p.500)


日本は戦後一貫して犯罪率が減少してきたので、同じ文脈では語れないが、「社会的排除」という概念はかなり有用であると思った。
また、「真に能力主義的な社会」というのも教育の問題を大きく関わってくる。