夏目漱石『夢十夜 他二篇』

夢十夜 他二篇 (岩波文庫)

夢十夜 他二篇 (岩波文庫)

衝動的に夏目漱石が読みたくなり、渋谷ブックファーストへ。本当は『門』が読みたかったのだが、岩波文庫の棚に見当たらなかったので、代わりにこれを。『夢十夜』の他に『文鳥』、『永日小品』が収録されている。

夢十夜』は自分の読書体験の中でも重要な一作であったように思う。高校1年の時の国語の教科書(確か桐原書店のものだったか)に「第一夜」と「第六夜」が載っていて、当時の国語の先生による解説がものすごく面白かった。

「第六夜」は運慶が明治の時代に現れ、護国寺の山門で野次馬が集まる中、仁王像を彫っているという話。しきりに下馬評をしている明治の無教育な人々に、そのような評判に全く頓着することなく作品を作り上げてゆく運慶が対置されている。

下馬評をしているものの一人が、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんぢゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋ってゐるのを、鑿と槌の力で掘り出す迄だ。丸で土の中から石を掘り出す様なものだから 決して間違ふ筈はない」と言うので、「自分」も仁王像を掘り出してみようと思う。しかし、家へ帰って裏に落ちていた樫の木を彫ってみるが、いくら彫っても仁王像は出てこない。

最後は「遂に明治の木には到底仁王は埋ってゐないものだと悟った。それで運慶が今日迄生きてゐる理由も略解った。」という書き方で終わる。すなわち、(夏目漱石が生きた)明治の人々には、もはや仁王像を見出す力がないのであり、それで鎌倉の時代の人である運慶が明治の時代まで生きざるを得なくなっているのである。


このような内容の授業を聞いて、高校1年当時「小説を味わうとはこういうことなのか」と何となく感じた。それまで、どうして国語の授業の時間をわざわざ使って小説を読むのか全く分からなかったのだが(模試等でも小説の分野だけおそろしく点数が低かった)、これを機に少しずつ小説を読むようになって今に至っている。