ホセ・オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

ところが今日では、大衆は、彼らが喫茶店での話題からえた結論を実社会に強制し、それに法の力を与える権利を持っていると信じているのである。わたしは、多数者が今日ほど直接的に支配権をふるうにいたった時代は、歴史上にかつてなかったのではないかと思う。
(中略)
今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。
(pp.21-22)

わたしはいまだかつて人間社会は貴族的でなければならないといったことはないばかりか、それ以上のことをいってきたからである。わたしは、人間社会はその本質上、好むと好まざるとにかかわらずつねに貴族的であるといってきたし、また日ごとにその確信を強めている。
(p.24)

大衆文化論の古典。大衆批判の本だということは何となく知っていたが、著者が極めて厳しい物言いで大衆の問題点を指摘し、貴族主義的な姿勢を明確に打ち出していることにちょっと辟易した。

著者によれば、大衆を「優れた少数者」と分けるものは、社会階級上の分類ではない。それは、「自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々」か、あるいは「自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々」かであるという。

本書の内容は表面的な大衆批判だけではなく、その根本には生の哲学がある。著者は自由主義的デモクラシーと技術が、19世紀にヨーロッパの人口を飛躍的に増大させ、また多くの欲求を充足させる手段をもたらしたことに注目する。

しかし、それらの中で上記のような大衆が出現し、また大衆はあたかもそれらの環境を自明視し、それらをもたらしている才能に感謝することを忘れ、自らの権利ばかりを主張していると著者は糾弾する。


著者のいう少数者―大衆という図式が現代、特に日本においてどこまで通じるかは微妙なところだが、民主主義を考える上でかなり重要な問いかけだという印象。けれども、きっと大衆批判に終始しているだけでは駄目。

たぶんこうした問題は、C.ラッシュ『エリートの反逆』で深められているのだろう。なるべく近いうちに読みたい。