上野千鶴子『家父長制と資本制ーマルクス主義フェミニズムの地平』

 社会主義婦人開放論は女性解放を社会主義革命に還元し、ラディカル・フェミニズムは性革命を最重要視する。それぞれの背後には、階級支配一元説と性支配一元説とが存在する。近代産業社会における階級支配の歴史的に固有なあり方を、マルクス主義は「資本制capitalism」と名づける。同じくフェミニストブルジョア単婚家族における性支配の歴史的に固有なあらわれ方を、「(近代)家父長制patriarchy」と名づける。
 マルクス主義フェミニズムは階級支配一元説も性支配一元説もとらない。両者は相互に排他的な、二者択一のものではない。マルクス主義に対する批判を通過したフェミニズムは、行き過ぎた性支配一元説を問題視する。そしてこの分割から出発してその間の相互依存関係を問おうとする。マルクス主義フェミニストがとりあえず採用する立場は、階級支配と性支配をそれぞれ独立変数と見なして、相互の関係の固有に歴史的な形態を解明しようとすることである。この立場からは、近代社会に固有の抑圧の形態は「家父長制的資本制patriarchal capitalism」と呼ばれる。近代社会の中で、女性は「資本制」の抑圧だけでなく「家父長制」の抑圧もともに受けている。
(p.13)

 解放の理論を欠いた解放の思想は、啓蒙もしくは運動論に帰着するほかはない。女性解放運動家にとっては、この世の中は、「性差別」という「社会的不公正」がはびこる野蛮な社会であり、この「不正義」を許しているのは「男性の横暴」と「女性の蒙昧」だということになる。「すすんだ理想」と「おくれた現実」―これが近代主義フェミニストがしばしば陥る「フェミニスト進歩史観」である。そして「すすんだ理想」と「おくれた現実」のあいだを埋めるのは、「啓蒙」という名の、徒労に似た「シジフォスの労働」だけになる。
(p.17)

前々から読もうと思っていたが、やっと読めた。
著者の主著であるが、評判に聞くとおりすごい本だ。女性学をやる人だけではなく、家族社会学の人も読むべきだし、またリベラリズムに対しても非常にラディカルな批判になっている。

自分が読みながらずっと考えさせられていたのは、社会学における理論とは何かということ。
著者によれば、マルクス主義フェミニズムの最大の理論的貢献は家事労働という概念の発見であるという。市場と家族が分離した近代産業社会の中で、家事労働がその2つを結びつけているという指摘は、世界観を揺さぶられるようなもので、理論の持つ力を感じる。

また、著者が家父長制と資本制の統一理論へとは向かわず、二元論の立場を採用すると述べている部分は、非常に重点を置いて書かれている。まさにこの部分はいかにすれば性支配の構造を解明できるか、という徹底して理論を追求している箇所であり、そのためには、マルクス主義を変更・あるいは捨て去ることも辞さないという非常に強い姿勢が見られた。


第一部の理論篇が非常に精緻で包括的なものであるだけに、第二部の分析篇が結構粗いものに見えてしまうのは残念。