熊沢誠『リストラとワークシェアリング』

リストラとワークシェアリング (岩波新書)

リストラとワークシェアリング (岩波新書)

 とはいえ、長時間労働は、第一に多くの人々の雇用機会を狭める。サービス残業を廃止すれば90万人、残業を全廃すれば160万人の雇用が可能というマクロ経済的な試算(三章2節)をいまいちど想起したい。
 第二に、正社員の界隈におけるこのような長時間労働の常態化は、「家庭責任」がかかってくる30代以降の世代になる女性の継続就業を著しく困難にしている(熊沢 2002)。
[127]

 執拗に各ケースの労働時間を書きこみ、また「労災認定」とくりかえしたのはほかでもない、長時間労働こそ過労死の最大の原因であること、そして労働時間さえ把握されれば労災認定は今やそれほど困難ではないことを示したいからだ。
(中略)
 日本の正社員の労働時間は短縮されねばならない。サービス残業の全廃、三六協定の遵守、所定内労働時間の短縮、有給休暇の完全取得など、あらゆるルートを通して。
[131]

 中高年層をなじみの職場から放逐して寒風のスポット労働市場に投げ出す、学卒の若者に正規の雇用を与えず不安定なフリーター生活を余儀なくさせる、人員をぎりぎりに絞りこみ、非人間的なまでの長時間労働を強いる――こうしたリストラへの協力または無抵抗が、およそ労働組合というものへの労働者の信頼をほとんど絶望的なまでに喪わせている。そう考えるならば、労働組合という組織にとっていまワークシェアへの歩みは、奇妙な表現ながら一つのサバイバル策とさえいうことができる。
[157]

 二つの形態のワークシェアは、すさまじい長時間労働を代価として男性正社員が稼いできた相対的高賃金を抑制して、日本の労働世界に、もっと雇用の安定、生活のゆとり、個人の選択の自由、そして男女平等をもたらそうとする営みにほかならない。それは、労働にまつわる現実、とりわけ失業と働きすぎの共存に対する「もうひとつのこの世」の働き方である。日本の労働の状況を変える運動に関しては、私たちはすでに十分にシニシズムに浸されてきた。だが、労働のありかたについてあえて希望というものを語るなら、希望はおそらくそこにしかない。
[199]

熊沢先生の岩波新書の三作目もやっと読了。前二作を読んだのは12月と2月だった。
http://d.hatena.ne.jp/state0610/20091229/p1
http://d.hatena.ne.jp/state0610/20100208/p1


女性や高齢者、体力に恵まれない人などを排除する能力主義や長時間労働への批判、均等処遇の必要性の主張は本作でも徹底されていた。過酷な労働状況を取材したインタビューや、真摯さがにじみ出ている文体には相変わらず惹かれる。

ひとくちにワークシェアと言っても、細かい類型に分けることができ、またその中には不当な拡大とも言えるような処遇もあるのだと、勉強になった。

しかし、日本の労働組合がイギリスのクラフトユニオンのように、組合員のリストラに対して団結して対抗してゆき、ワークシェアを広める運動の担い手となり得る希望を見出していることについては、本書刊行から7年経ち、世界同時不況を経験した現在から見ても、やはりまだまだ難しいのでないかと感じた。